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【番外編】キミのうまれた遠い日に②
◇
《いや~そうなん! ヒロキくん結婚したん! あの子不良やったけど、建設の仕事やりはじめてから真面目になったもんなあ! あ、そうなんや~、ほんまあ~》
出産経験のある身近な人に聞くのが一番だと、景虎の提案に従ったのは間違いだったと、通話開始数分で庄助は後悔した。
庄助の母親、早坂愛子 の声はキンキンと甲高い。スピーカーモードにもしていないのに、庄助の立っているキッチンからソファに座っている景虎にも、彼女の声はよく聞こえていた。
「せやねん。ほんでな、出産祝いてなにやったらええか、オカンに聞こう思て……」
《現金でええやろ》
景虎と全く同じことを言うので、庄助は冷蔵庫にがっくりと寄りかかった。揃いも揃って、思いやりのない。ロマンのわからん奴らだ。
「や、現金もええけど、やっぱり思い出に残るような贈り物がしたいやん? ヒロキは友達やし……」
《思い出~!? ハァ、これやから男は……ええなあ気楽なご身分でなあ……》
電話の向こうで、愛子は呆れたような声を出した。
「な、なんであかんのやっ」
《別にあかんわけやないで。ただ、女は命懸けで出産して、寝る間もなく必死に生まれてきた子の世話しとんねんで。旦那の友達から『思い出にしてねっ』とか言うて、しょ~~~っもないもん送られてきてみぃ。ほんっま男は呑気でええなあ、くらいは思うで》
そういう経験があるのだろうか。随分恨みがこもっているような口ぶりだ。
愛子がめっきり男という性別が嫌いになってしまったのは、やはり庄助の父との離婚が原因のように思う。
離婚当初は、小学校に上がる前の幼い庄助に気を遣ってか、愚痴や泣き言の類は一切言わなかった愛子だった。が、庄助が成人してからは、元夫や男全体への不満を延々と垂れ流すときがある。怒りのスイッチが入れば、まさに堰を切ったように。
ずっと我慢していたのだろうとは思うが『男はこれだからダメ』と言われると、属性ごと自分を否定されたような気分になって、庄助はちょっとしょんぼりしてしまう。
《大人しくお金渡すか、それか数千円の消えものを、内祝い不要です~言うて渡すかどっちかがええんとちがう。人様の人生の節目に贈るものやろ? そんなもんに我を出さんでよろしいの》
「うう~……」
冷蔵庫に貼られた水道修理業者のマグネットを握りしめて、庄助は唸った。悔しいけれど一理あるかもしれない。助けを求めるようにリビングの方にちらりと目を遣ると、ソファに座った景虎も庄助を見ては、少し不憫そうな顔をしている。
「じゃ、じゃあオカンは、出産のお祝いでもらって嬉しかったものとかなかったんかよ……」
《……それはまあ、全部嬉しかったよ?》
「ほら見てみい、嬉しいやん。どんなんもらったか憶えてる?」
《あんたなぁ、二十年以上も前のことやで? いつまで自分のこと赤ちゃんや思うとんの。おねしょが五歳まで治らんかったからって……》
「おわーっ! 声でかいねんクソババア!」
ちょうどボトルのアイスコーヒーを注ぎに台所に立った景虎が、通りすがりに「漏らしグセは昔からなんだな」と囁いたので、庄助は黙って背中を殴りつけた。
《庄助は憶えてるかしらんけど、家にピンク色のアルバムあるの知ってる? 産まれたての庄助の写真貼ってるやつ。あれ、ママの友達からの贈り物やねんけど、あれは嬉しかったなあ》
「あ~……あの押し入れに入っとるやつ?」
リボンやレースのふんだんにあしらわれた、布張りに金糸で天使の刺繍がされてある誕生アルバム。実家の押し入れのカラーボックスの中に、やたら大事そうに梱包されて入っているそれの存在を、庄助は思い出した。
表紙をめくると一ページ目に、産まれたての、それこそ猿の赤子のような顔をした庄助が、小さなベビーバスで沐浴させられている写真があったはずだ。
《お腹の中にいてるとき、私もみんなも庄助のこと女の子やって思ってたから。それであんな可愛いデザインのやつくれたんよ》
「え! そうやったん?」
初耳だった。
《そうや。お腹から出てくるまでずっと、お医者さんに女の子や言われとったんよ。あんたのチンチンがちっさすぎて、エコーに映らんかったから。あはは!》
「……ふっ」
とうとう景虎が背後でコーヒーを噴き出した音がしたので、庄助は慌てて愛子に食ってかかった。
「笑うなっ! ちっさくない! 機械の精度が悪いねん! 大昔やろ! テレビ白黒の時代やんけ!」
《そんなわけないやろ! あんたママのこと、どんだけババアや思っとんねん!》
漫才のようなやりとりに、景虎はほんのり嬉しそうに耳をそばだてている。
母親に余計なことをバラされるのも、親子同士のやり取りをこれ以上景虎に聞かれるのも照れくさくて、庄助はすっかり逸れてしまった話を駆け足で切り上げた。
《遠藤さんとシズくんにもよろしく~。せや、九月二日にまたラインするから》
通話が終わる間際にそう言われて、反応しきれずに切ってしまった。
「二日?」
何かあったっけ? と、壁にかかったカレンダーに目を向ける。上半分が動物の写真、下が日付けになっているそれには、ユニバーサルインテリアのロゴが印刷されている。八月は、水の中で遊ぶコツメカワウソの写真だ。
庄助はそれをぺらりと一枚めくった。明後日には訪れる九月のページには、岩場で牙を剥くクズリの写真が載っている。……謎多きこの動物のチョイスは、一体誰がしたのだろうか。
「あ」
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