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【番外編】キミのうまれた遠い日に③
赤いペンでグルグルに囲った九月二日の日付のマスに『たんじょう日!』と下手くそな文字が書いてあるのが見えた。カレンダーをもらってすぐ、飾る前に自分と景虎の誕生日にマルをつけたのを、庄助はすっかり忘れていた。
今年の九月二日は平日だから、土日にお祝いを繰り上げようと庄助が先日提案した。涼しくなる夕方には、二人で誕生日の買い物ついでに、街をブラブラしようと話していたところへ、ヒロキから電話がかかってきたのだった。
「で、決めたのか? 友達に何を贈るか」
待ちかねたとばかりに、景虎の逞しい腕が後ろから伸びてきた。やめろという間もなく抱きしめられて、髪の匂いを嗅ぎながら頬擦りされる、いつものパターンだ。
「……もうアマギフでええかなって」
「いいのか? デパートに寄って、赤ちゃん用品店を覗いてもいい」
「ガラの悪い男同士で、そんなとこ入れるかっちゅーねん。あ、オカンがカゲによろしくって言うてた」
すん、と景虎が小さく鼻をすすった。彼からうっすら、コーヒーの香ばしい匂いがする。
「そうか。いつかお前の母さんに、ちゃんと会ってお礼をしないとな」
「何のお礼や?」
「庄助を産んでくれてありがとうって」
慈しむような優しい声だ。とくとくと胸の鼓動が聞こえる。庄助の腹のあたりに回されていた景虎の大きな手のひらに力がこもる。
「大げさやて。オカンもヤクザにそんなん言われたらびっくりす……いや、あの人ヤクザ映画好きやし、案外喜ぶかもしらん」
いつかあるかもしれない母親と景虎、自分の大事な人同士の邂逅を思うと、庄助は不思議と暖かい気持ちになった。
お互いにどんな顔するんやろ。なんて言って紹介したらいいかまだわからんけど、カゲとオカンが喋ってるとこ見たいかも。
お互いに吐息だけで笑いあったその時、ふと景虎の手のひらの下で、庄助の腹の虫がぐう、と鳴いた。
「腹、減ったのか?」
「……ちょっとだけ」
照れくさそうに身体を捩る庄助の、ぺたんこの腹を撫でる手は優しい。目を閉じると、背中に伝わる景虎の体温がよくわかる。
「少し早いけど、何か食いに出るか?」
「ん。でもまだ暑いやん、外。もうちょっとだけ……」
まだ二人でくっついていよう、とは言わずに、頭を景虎の胸に預けた。気持ちが伝わったのかはわからないが、すぐに熱烈なキスが眉間や瞼に降ってくる。へそのあたりを撫でながらタンクトップの下に入れられる指先は、しっとりと湿っていた。
景虎が優しく触れる腹が、彼の種を宿して膨れることは決してないけれど。それでも、男として産まれた事ごと愛してくれるなんていうのは、きっと幸せなことなのだろう。
時に新しい生命が眩しく、羨ましく見えるとも、景虎と二人でしか辿り着けない景色はきっとあるに違いない。確信を持って言える。
種を残せなくたって、誰かと共にありたいと思ったことを後悔したくない。
生まれてからここに至るまでの年月以上に長い時を、景虎と共にしたいと思い始めているから。
庄助は柄にもなく、今までとこれからに想いを馳せる。先が見えなくて不安だからこそ、人は誓いの形を欲しがるのかもしれないと、少し思った。
「カゲ……あんな、俺な。誕生日プレゼントにさぁ……」
「ふふ、庄助のお腹の音は可愛いな……アナグマのいびきみたいだ。興奮してきた……」
また腸がぐう、と動くと、景虎の美しい口元が庄助の顔の上で蕩ける。
前言撤回、やっぱり景虎は変態だ。ほんま嫌いこいつ。空気読めよ、いや無理か……。
心底嫌そうな顔をして言葉を飲み込んだ唇の上に、被さるように本格的な口づけが落ちてきた。
庄助が誕生日に何が欲しいと思ったのかは、この先きっと誰にも言わない。
結局ヒロキにはギフト券と、実家にあるような布張りのフォトアルバムを贈った。庄助の好きなオレンジ色の表紙のものを、誕生日デートで二人で選んだのだった。
新しく生まれた生命にも、ここまで生きてきた生命にも「おめでとう」の祈りを込めて。
〈終〉
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