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第四幕 九、デビル、がんばる①
黒い海が凪いでいる。
夜の工業団地を抜けるぬるい海風が、少し開けた車の窓から入ってきて、熱を持った肌にまとわりついてくる。
迫りくる嵐のための準備をしないといけなかった。できるだけ早く。しかし寄り添った二つの生命は、疲れて重くなった身体をくっつけ合い、瞼の裏とそう変わらない暗さの、夜のさざ波をただ見ていた。
セックスのあとの精のにおいのする、作業車の荷室。気怠さに満ちた車内の空気が心地よくて、お互い動けずにいた。
「……こうしていると、思い出す」
低い声が、庄助の頭の骨を直接震わす。向こう岸の防波堤のヤードライトの白い光が、一瞬瞬いたような気がした。庄助は、ん? と声を出して応えた。裸体に巻きつけたタオルケットごと、景虎は庄助の肩を抱き寄せた。
「五月くらいか、このあたりにお前と釣りに来ただろう。あの時、俺は何も釣れなくて……それで」
「ああ、途中で国枝さんに会うたやつ……?」
前に庄助を拉致した半グレグループの、たしか黒弧陀入|《くろこだいる》だったか。そのグループの一人が、国枝にこのあたりの埠頭の廃工場に連れ込まれていった。中で何が起こったのかは知らないが、あの時のことを思い出すと、未だにゾッとする。
「少し前のことなのに……懐かしく感じるくらい、色んなことがあった」
「せやなァ……へへ」
物語の最終回の台詞みたいで、思わず笑ってしまった。事態は何も解決していないのに、二人でこうしていると、まるでいつもの平和な日々が戻ってきたようだ。
「また、釣りしよや。今はほら、あっついから、涼しなってから。ここのサカナ死体食ってそうやし嫌やから、別のとこで」
「こんな近くに捨てない。急速冷凍して、ブロック状にしてから沖に……」
「わああっ待てって! こわいて!」
恐ろしい言葉が飛び出してきたので、庄助は慌てて景虎の口を塞いだが、この期に及んで、と頭の冷静な部分が思う。
背後の倉庫には、攫ってきたイクラとタニガワを、縛り付けて監禁してある。彼らは対立関係にあるとはいえ、腐っても同じ川濱組だ。口裏を合わせられないように、別々のところに繫いでいるという。
発端はどうあれ、今やっていることは川濱組と同じだ。景虎も自分も、正真正銘の悪党だ。庄助は、タオルケットの中の汗ばんだ手のひらを握りしめた。
これは子供の喧嘩とは違う。人が死んで、血が流れた。庄助自身もひどい目にあった。もうとうに、穏便に解決する方法なんてものは存在しないのだ。
今、庄助は憧れ続けたヤクザの抗争のただ中にいる。映画ではなく、現実の。決して楽しくはなかったが、妙な高揚がずっと胸の奥で燻っていた。
「なあ。イクラたちはどうするん……?」
「話を聞かせてもらう。その後は上の指示に従うだけだ」
景虎の声に迷いはなかった。長時間ウィッグをかぶり続けたためぺちゃんこになった庄助の金髪に、彼方から潮風が次々に吹きつけてくる。
上とは? 指示とは? 子細を聞くのがためらわれた。
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