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第四幕 十、全員悪人①
夏の朝は早い。午前四時前、蚊柱の立つ埠頭のすでに明るくなり始めた空の下、タニガワを迎えに来たのは、小型のコンテナトラックだった。
運転席から降りてきたのは、歳は三十前後といったくらいの、細身の男だった。
「すみませんね、内部の醜い争いを見せちゃって……あんた、遠藤さん?」
初めて見る男は出会い頭にも関わらず、景虎をまじまじと見つめた。上半身裸のまま、朝日に般若の刺青を背負って立つ偉丈夫の姿は、まさに任侠映画のワンシーンのようだ。
「そうだ」
「ふぅん……確かに、聞いた通りのイケメンですね」
珍獣でも見るかのように、男は三白眼気味の瞳を景虎の頭の上から膝の下まで巡らせる。それと同時に、庄助がタニガワと連れ立って、倉庫の裏手から出てきた。
「遅なってごめん、タニガワさんのスーツ血まみれやから洗っとったん……あれ、どちらさん?」
「……おお、佐和 」
濡れたスーツの前を軽く整えると、タニガワは男の名を呼んだ。泣き腫らした目は、イクラに頭突きをされて腫れた顔面に埋没し、幸いなことにあまり目立たない。
顔が腫れててよかった。よくないけど。
庄助はそう思いながら、佐和と呼ばれた男の姿を見た。
「タニガワさん。大丈夫……じゃなさそうですね、お疲れ様です。それで、もう殺しちゃったんです?」
コンテナのリア扉にくっついた錆びついたロットバーが、朝日を鈍く反射している。その金具をずらしながら、ごく軽い調子で佐和は言った。
ピアスがたくさん開いているタイプの怖いお兄さんという感じだが、陰気な雰囲気を纏っている。喋るとなおさらボソボソと早口で、見た目は厳ついのに、どこかオタクっぽさすら感じさせた。
「いや……まだだ。イクラはとりあえず生かしたまま連れて帰る。ケジメは皆の前でつけさせないといけねえだろ」
「へえ。殺したくてたまらないって言ってたのに、どういう心境の変化ですか?」
「心境の変化というか……ぶっちゃけ、この子……しょこらちゃんにな。ここで人を殺すな、持って帰れって言われたからやめただけなんだけどよ」
タニガワが庄助の方を顎で指してみて初めて、佐和はタニガワの隣の庄助に目を遣った。
「しょこらちゃん? ……その方、動物園から逃げてきた猿かなにかですか?」
「めっちゃ失礼やなあんた!」
庄助は声を張り上げたが、佐和は軽く片眉を上げただけだった。
「ま、なんでもいいです。俺はイクラを回収しにきただけなんで……はぁ。そうだ、あの人すげえ重いんで、遠藤さんにも手伝ってもらえるとありがたいです」
開いたコンテナの内部から、猫車と真新しい麻袋を引っ張り出すと、佐和はいかにも面倒くさそうに先を歩いた。その後ろを、景虎が無言で追う。チラリと一瞬、庄助の方を振り返った。
「あの失礼な兄さんて、川濱のひとなんですか?」
庄助はタニガワに耳打ちした。
「ああ。あいつは……物言いは雑だが、優秀な“処理係”だよ。さっきも言ったが、川濱組 は今、イクラと俺の二つの派閥に分かれてる。佐和は組長に恩義があるからなァ。俺寄りの考えだよ、奴も組を立て直したいのさ」
川濱組は、もともと一本独鈷のヤクザ組織だが、後進の育っていない状態で組長と若頭が、それぞれ闘病と懲役でいなくなり、内部の基盤が揺らいでいた。そこへつけ込んで、若手のイクラが急にのし上がってきたそうだ。
イクラは強引なやり方で金を稼ぎ、数年で若頭補佐候補にまでなった。彼は暴力団員としては優秀な人間だった。元々、穏健派の若頭のやり方が合わなかった者たちも、イクラについてゆけば自分たちの好きにやれるかもしれない。そういう空気に焚きつけられ、吹き上がっている者が組に増えている、というのが現状らしい。
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