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第四幕 十、全員悪人③
「イクラの野郎を地獄で謝罪させてやろうって。俺ァそればっかり考えてたんだ」
タニガワの吐くタバコの煙が海風に乗るのを見ていた。
副流煙に配慮しているから室内では吸わないと、タニガワは言った。先程まで同じ組の人間を拳で滅多打ちにしていたような恐ろしい男なのに、そういった気遣いはする。国枝と似ていると思ったが、人の上に立つヤクザは皆そうなのだろうか。
庄助は何も言えず、タニガワに買ってもらったペットボトルの麦茶をぐびぐびと音を立てて飲んだ。暑い。夜はとうに明けて朝になった。はやくもアスファルトがじわじわと放熱し始める。焼かれる前のカルビの気分だ。
セトツグミになりきっていた女は、厳密にはタニガワの愛人ではないそうだ。住居を与えてやるのに、その肩書があったほうが都合がいいからそうしろと、タニガワが彼女に提案した、らしい。真偽は不明だが。
ともかく、親権者である父から虐待を受けていた彼女は、祖国の地下売春組織の手引きにより日本に逃げてきた。“セトツグミ”という十九歳の戸籍に背乗りした彼女の実年齢は、十六歳だったという。
「ツグミは、子供のくせに度胸があって気の強い女だった。ちょうどあんたみたいにな。金を貯めて日本にいるはずの母 を見つけて、一緒に暮らすんだと言っていてな」
俺は女でも子供でもない、と、反論しようとして飲み込んだ。タニガワの、瞼が腫れて奥まった目が、じっとり濡れていたからだ。
川濱組から買った戸籍でセトツグミとなった女は、織原組のシマの風俗店で、性サービスのコンパニオンとして働き始めた。
織原の管理の店で働けば、給料に色をつけるとタニガワが指示をした。従業員として潜らせれば、内部を探るのにも何かと都合がいいし、トラブルや摘発が起きても織原組のせいにできるからだ。
タニガワは、景虎と佐和が消えていった倉庫のドアを淋しげに見つめている。
「ヤクザなんて大嫌いだって、まるで反抗期の娘みたいだったよ。だから、イクラなんかに目ェつけられたんだな。馬鹿だな、嘘でも可愛がられるために、大人しくしてりゃ……」
セトツグミはイクラの手によって帰らぬ人となった。直接の死因は、ドラッグの過剰摂取による呼吸抑制からの心肺停止だとされる。
彼女の死体が、人が通るような山道を選んでうち捨てられていたのは、愛人(という名目)のタニガワに捜査の手が回れば都合がいいと考えたから。
イクラは先程、血反吐を吐きながらそう白状していた。
元々、タニガワのシノギである薬物売買のシェアを、イクラが横から掠め取ったことが、両人の軋轢の発端でもあった。
イクラは不良外国人とつるんで、違法薬物のカクテルである『タイガー・リリー』を製造し、安価で手広く売り始めた。
年々、警察と法律により締め付けの厳しくなるヤクザの世界で、イクラの強引な商売のやり方は危険視されたが、それでも彼の金を稼ぐ力が、血気盛んな若者たちには侠気に映った。彼を旗頭に、ついていこうとする者たちは意外と多かったのだ。
「タニガワさんがセトツグミの愛人と違うんやったら、あのエッチな画像は……?」
「ありゃあ、イクラから盗んだもんだ」
タニガワの持っていた、件のハメ撮りのデータは、セトツグミを殺した確たる証拠をイクラに突きつけるためのものだったそうだ。彼女の無念を晴らそうと、イクラを詰める機会を伺っていたらしい。
庄助は、聞いていてわけがわからなかった。タニガワは決して善人ではない。違法薬物を売り、未成年の少女に売春を斡旋したような男だ。なのに、セトツグミの境遇に同情し、娘のように思っていたという。一体どういう心境なのだろうか。
イクラがセトツグミを殺したと白状したとき、タニガワは泣いた。地の底から搾り出すような咆哮、慚愧に堪えないといった嗚咽に嘘はないように庄助は感じたのだ。
景虎や国枝もそうだが、彼らの暴力的な面とごく普通の人間らしい面、その二つを垣間見るたび、庄助は不思議な気持ちになる。そのどちらの顔も彼らのほんの一部なのだということを、この短い期間に知った。
人の道から外れた人間だからこそ、自分なりの正義を持たなくては飲まれてしまうのだろうか。清濁を飼い慣らす男たちに、庄助は尊敬と畏怖と違和感、複雑な感情をずっと抱き続けている。
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