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第四幕 十、全員悪人④
「イクラにケジメをつけさせたら、組を立て直すよ。今どきヤクザなんて流行らんがよ、俺は川濱組と心中するって決めてんだよ」
タニガワは真剣な眼差しで言うと、アスファルトにタバコを捨て、革靴の底で火を捻り消した。庄助が乳首に貼っていた絆創膏を有難がっていたおじさんとは思えないくらい、かっこいい台詞だ。
「立て直して、タニガワさんがトップになったら、この抗争やめれるかな……」
「さあなァ。たとえ俺がその気でも、まだ解決してねえわだかまりがあるだろう?」
タニガワは肩をすくめた。
「ま、しょこらちゃんが織原の偉い人になったら考えるさ。でもその頃には俺ァ、ヨボヨボの爺さんかもな」
「へへ……ほなら俺がスピード出世して織原の幹部になるしかないな」
奇妙な友情のようなものが、二人の間に芽生えていた。敵の敵は味方という言葉があるが、変態ヤクザおじさんにこんなに気に入られてしまうとは、まさか思わなかった。よもやよもやだ、とはこういう時に使うのか。庄助は全く関係ないことを、深く納得していた。
倉庫の扉が開く音がして、景虎と佐和が姿を見せた。深緑色の猫車に、大きな麻袋が載せられ、運ばれてくる。
景虎と佐和の二人がかりで、コンテナの荷室に乗り込みそれを転がすと、袋の中から男の怒鳴り声がした。
「殺すぞ、ガキッ! おいっ! ふざけんな!」
景虎は髪をかき上げた。ふう、と一つ息をつくと、長い脚を振り上げた。
革靴の爪先が袋にめり込むと、ごぼごぼと排水口の詰まりが取れたような音がして、袋は動かなくなった。景虎の背中の般若の目が、暗闇でぬらりと光ったような気がして、庄助はドキッとした。
「これはお返しだ」
景虎は袋に向かって短く言うと、荷室から下りて庄助の隣に立った。一晩寝ていないのに、疲れを微塵も感じさせない美しい横顔がすぐそこにある。見惚れる庄助の身体を、景虎がそっと引き寄せた。
「織原組の秘密基地の場所、知っちゃいましたけど……俺らも色々醜態晒してるんで。痛み分けってことにしといてもらえると」
佐和は、地面に落ちて無残に捩じ切れ潰れたタニガワのタバコの吸殻を拾い、溢れた葉を蹴散らした。
「あの……イクラってこのあとやっぱり……」
佐和の背中に、庄助がバツが悪そうに問いかけた。振り向いた佐和の目は、出会った頃の景虎以上に無感動だった。
「この後のことは気にしないでください。ケジメつけさせるのは、俺みたいな薄汚ねぇネズミの仕事なんで。あんたはキレイなまま、織原の虎に守ってもらってりゃいいんじゃないですか?」
「な……っ」
見透かしたような皮肉に腹が立ったが、何も言えなかった。景虎に人殺しをやらせたくない。かといって、自分では怖くてできない。だからタニガワに委ねた。まがりなりにも自分に惚れたと言った人間を利用して、責任を全部押し付けた。
庄助のその狡さを、初対面のこの男に見抜かれていたのだ。
「こら佐和、挑発するな。大体、ケジメだのネズミだの、お前の言い方は色気がねえよ。なあしょこらちゃん」
タニガワは佐和を咎めた。が、しかしどこか憑き物が落ちたように晴れやかな顔で言ったのを、佐和が補足するように続けた。
「そうですね。食えない豚トロでもミンチにして海に撒けば、魚やシャコやエビがそれを食って大きくなって、明日はあなたの食卓へ、ってやつです。生命の循環っすね」
「…………うえ」
怖かったが、もう新鮮に驚きはしなかった。ただ江戸前寿司は、もう二度と食べたくない。庄助は心に誓った。
佐和が無慈悲にリア扉のロットバーを上下とも閉め切ってしまうと、もう叫び声も、物音すら聞こえない。中は蒸しそうだ。到着までに暑さで死んでしまわないだろうか、むしろそちらの方が楽なのでは……などと、庄助は妙な心配をした。
「じゃあ、俺らはこれで。お騒がせしました」
タニガワを助手席に案内した後、佐和は庄助たちのもとへ戻ってきた。自分の腰のポケットを探り一枚のチラシを出すと、景虎に手渡した。
「なんだ」
「“落とし物”です」
「落とし物?」
紙面になにが書かれているのか見ようと、庄助は後ろで背伸びをしてそれを覗き込む。
『予期せぬ妊娠で困っているあなたのために。悩まないでご相談を』
柔らかい手書き風のフォントでそう書かれている。見た感じ、病院や役所に置かれていそうな、乳児院のチラシだ。自分たちとは全く縁のないであろう内容に、庄助と景虎は首を傾げた。
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