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第四幕 十一、まごころと、呪い①
だだっ広いベッドが部屋の大半を占拠している。鏡張りの天井、透けて中が見えるシャワールーム、枕元のナイトパネル。こんな時でなければ、そのチープな内装に思い切りワクワクしたのに。
白いタオル地のガウンを羽織った庄助が、シャワールームを出てくる。先にシャワーを浴びた景虎の皮膚に、寒いほどの空調が突き刺さる。安ラブホテルの安エアコンにはグレーゾーンがない。極端に暑いか、極端に寒いかのどちらかだ。
「……きれいになった」
珍しく口数の少ない庄助が、景虎のガウンの裾を引いた。庄助はベッドに座ると、景虎に擦り寄って肩に頭を乗せた。タオルドライだけの濡れた髪、上気した柔らかい肌、洗いたての身体は、先ほどと違い清潔な匂いがする。ほんとうに、こんな時でなければ。景虎はため息をついた。
「先に寝ろ。俺はまだ報告することがある」
スマホから目を離さない景虎に向かって、庄助は咎めるような声を出した。
「お前も寝ろよ。俺は……心臓バクバクして寝られんもん」
「見張ってる。安心していい」
「……そんなすぐに安心できるかい」
雛鳥のように景虎にくっつく庄助の身体は、まだ少し小刻みに震えている。無理もない、決死のカーチェイスだったのだ。景虎がアクセルを底まで踏むたび、内臓が速度に置いていかれた。その感覚がまだ残っている。
銃弾でサイドミラーを吹き飛ばされた後、国道のランプに飛び込み、朝の配送渋滞の背の高いトラックの群れに紛れた。追跡してきていた黒い四輪駆動車は速度を落とし、見えなくなったものの、油断はできない。都市部のランプを降り一般道に出ると、破損した作業車を適当なパーキングに停め置いた。景虎に手を引かれるまま、身を潜めるように二人で早朝の歓楽街を駆けた。
「タニガワさんら、無事かな……」
不安げな声に、諸々の連絡を慌ただしくスマホに打ち込んでいた景虎の指が、ぴたりと止まる。
今はとにかく、身を隠しながら一刻も早く休まなくてはならなかった。だから、アシがつかないように都会のラブホテルに庄助を連れ込んだ。それなのに庄助はベッドに寝転がろうともしない。
それどころか、あの変態の生死の心配までしている。本当にバカだ、嫌になるほど。お人好しというよりもどちらかというと、他人の生死に自分が関わっているのが厭なのだろうが。
「さあな」
「……川濱組が襲われて、俺らも銃持って追いかけられた。誰なんやろ。あの、俺を襲った辮髪の男の仲間とか? 川濱組とグルなんやと思てたのに、もうわからん」
バックミラーで見た二人の追っ手は、マスクで顔を隠していたものの、おそらく運転手も射手も初めて見る男だった。
「タニガワさんらが死んでもーてたら、俺のせいや。俺が……イクラを引き取りに来てくれって頼んだから……」
「仮にお前のせいだったとして、何を悲しむ必要がある? ヤクザは社会悪だ。タニガワも佐和もイクラも俺もみんな、等しく死んだほうがいい人間だ」
景虎は、俯く庄助の肩を抱き寄せた。
励ましにもならない言葉に、庄助は押し黙っている。景虎の言う社会悪であるヤクザの中に、まだ自分の名前が出てこないことが不甲斐なかった。卑怯なことをして、人を死に追いやったかもしれないのに、それでも悪の片棒はまだ担がせてもらえない。
それはそうだ。車を銃で撃たれても、震えて固まることしかできなかった。こんな体たらくで、何が景虎の相棒だろうか。辛そうに寄せられた庄助の眉に、景虎が口づける。いつものピアスのついていない、左の眉。柔らかい金色の毛の流れに唇をのせる。
「お前のあとに俺も少し寝るんだ。だから早く寝てくれないと俺が困る」
頭を撫でてそう促すと、庄助は諦めたようにベッドの中ほどまで這ってゆき、腰までを布団の中に入れた。
「ほんなら、カゲも一緒に入れ」
「どういうことだ、セックスはさっきしただろう? 庄助は性欲が強すぎるんじゃないか?」
「誘っとるわけないやろ、アホか!」
庄助は目が覚めたようにツッコミを入れた。命の危険によって過剰に分泌されたアドレナリンのせいか、可笑しさがこみ上げてくる。それは景虎も同じのようで、二人して少し笑った。
景虎に会いたかった。ゆっくり顔を突き合わせて話したかった。こんなのっぴきならない状況なのに、物理的にそばにいる景虎の存在が嬉しい。
笑い終えると、庄助は誘うように腕を伸ばした。くっつくのが自然みたいに、なじむ肌を追い求めて。
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