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第四幕 十二、良将の成すところ①

「……ほいじゃ次に、イクラの売っとるドラッグについてなんですが、まずこちらの表を見てもろてええですか。これは二〇一〇年のアメリカにおける合成オピオイドの市場と……」  真面目で硬質な声が、前方で聞こえる。  ザイゼンが指示棒で指し示すプロジェクターがジリジリとかすかな音を立てると、前方のスクリーンが切り替わって何かのグラフを映し出した。  男たちは皆、スーツ姿で(いかめ)しい表情を並べ、椅子に座って腕を組み、じっと彼の話を聞いている。 「安価で製造に工場もいらん。その上ヘロインの何倍も効き目があるけえ、どこも密輸のルートを確立しようと必死なんですわ。実際、中国からの供給でメキシコやアメリカは……」  ザイゼンは、手に持ったポインターで画面上の地図を指し示した。  ふと、空気を読まずトキタが挙手する。 「ザイゼンせんせ~い、すでに早坂くんが寝てます」 「なっ……!?」  ザイゼンは、信じられないといった感情を、まともに顔に出した。  庄助は、隣の椅子に座るトキタの屈強な肩にもたれ、口を開けた間抜けな寝顔を晒していた。スヤスヤと寝息を立てては、深い眠りの中に意識を落としている。  五反田の、絶妙に立地が悪く、持ち主が腐らせかけているようなマンションを、フルリノベーションしたレンタルスペース。曇天の夏の宵の口、景虎を除いたユニバーサルインテリアの主な社員たちは、そこに集合していた。  見晴らしのいい最上階の部屋が空いておらず、その下の十二階を「オンラインゲームのオフ会」などという、嘘をつくにしてももっとあるだろうというような、明らかにやっつけの名目で国枝が借り切った。  これは会合を兼ねた作戦会議であった。組とそれを取り巻く敵対組織の現状を、まさに今ザイゼンがプレゼン形式で説明していたのだった。 「俺も年寄りだから横文字出されると弱いなあ……頭に入らんよ」  その隣のナカバヤシが、眉をしかめて申し訳なさそうに禿頭(とくとう)を抱えた。 「ん~密輸がどうとか供給国だとか、全員に説明したって仕方ないよね。丁寧なのはありがたいけど、もっとざっくりでいいかな。俺もちょっと眠いもん」 「えっ……そ、そうなんですか」  庄助・トキタ・ナカバヤシの三バカはともかく、国枝にまで眠いと言われザイゼンは絶句した。元は証券マンだった彼からすると、これが普通の進行のやり方だったのかもしれない。肩を落とすザイゼンに、一人の男がソファから立ち上がって声をかけた。 「ごめんねぇ、ザイゼン。今夜のメインは僕の帰国パーティーなんだから、国枝の言う通りそのへんはざっくりで。詳しい作戦会議はあとでにしましょうか」  彼は件の織原組若頭、音揃夢一(おんぞろゆめいち)だ。歳の頃は五十前後といったところ、細身に見えるが関節を曲げ伸ばしするたびに、手足の筋肉が黒いスーツの下で張り詰めているのがわかる。よく日に焼けた肌は真っ黒で、狩猟犬のような身体つきだった。 「あ、もちろんです、(カシラ)……! 手短にやらせていただきます」  ザイゼンは、音揃に向かって深く頭を垂れた。 「ザイゼンの話が終わったら、ひとまず乾杯ね。みんなもそれでいいわね?」  部屋の中の人間たちを眼鏡越しに見遣ると、眠っている庄助以外の全員が立ち上がり、勢いよく返事をした。  急な帰国だった。というよりも、矢野の退院が来週の水曜日に決まったため、帰国するにしてもそれに合わせてだと、誰もがそう思っていた。 「予定が早く終わったから、今から成田までの飛行機に乗る」と、音揃から国枝に連絡があったのは、昨日の夜遅くのこと。一日働き、やっと国枝の枕元の充電器に辿り着いたスマホが、眠りを妨げられた赤子のように震え鳴いた。  “七面倒臭い”若頭から、ミャンマーはヤンゴン空港から成田へのフライトを一時間後に控えていると伝えられた国枝は、すっかり目が覚めてしまったそうだ。

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