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第四幕 十二、良将の成すところ②

大きな窓の外には夕暮れのオフィス街。  青いキキョウのフラワーアレンジメントが飾られたテーブルの上には、近くのイタリアンから取り寄せたデリバリーオードブルに、ワイン。ちょっとおしゃれな女子会のようだ。  ママ友同士のオフ会にも便利、という謳い文句通りに室内はフラットで、あるものは椅子に、あるものは柔らかいソファやクッションに陣取って寛いでいる。奥にはご丁寧に、マットの敷かれたおもちゃ付きのキッズスペースまである。  会合の場を綺麗な女性のいるクラブやラウンジにしなかったのは、この前矢野が急襲されたから……ではなく、単純に音揃がそういう所が好きではないという理由だ。  彼は気の置けない仲間だけで、くつろぎながら飲むのが一番好きだという。それを国枝は理解しているから、あえてこういった場所を借りた。人一倍警戒心が強い音揃のため、知らない人間をケータリングサービスのために入れることもしなかった。 「頭、すみません。庄助、ぶっ飛ばして起こしますね! あっ、折りたい骨とかあったら、言ってくだされば折ります!」 「いいのよトキタ。僕が起こすから」  拳を固めるトキタを笑顔で制すると、音揃は庄助の寝顔を軽く覗き込んだ。間髪入れず、小さくいびきをかく横面を軽く一発叩き、そのままぎゅうっとつねり上げた。 「ぷぎゅっ!?」 「おはよう、ひよこ頭の庄助ちゃん。初対面の、しかも若頭の前でねんねするなんて、さすが期待の新星ね」  夢から恐ろしい現実に引き戻され、庄助は飛び起きた。腰が抜けるかと思った。寝たつもりはなかった。ザイゼンの話が学校の授業みたいで、つい目を閉じてしまったのだ。それに、まだ昨日からの疲れが残っているに違いない。部屋も薄暗いし。  庄助は咄嗟に言い訳をたくさん思いついたが、何を言っても殺される可能性が高いと思ったので、どれも全て飲み込んで謝罪に変えた。 「すびっ、すみません! まことに申し訳ありません!」 「目ェ覚めた? ちゃんとお話聞きましょうね」  奇妙な女言葉を話し、物腰こそ穏やかだが、血と脂で濡れた刀身のようにギラギラとした目をしている。音揃は子供に言って聞かせるように言うと、庄助のモッツァレラチーズのように伸びる頬から勢いよく指を離した。腕にはめたウブロのキングゴールドが、控えめに輝いた。  よりによって、組のナンバーツーの前で居眠り。ものすごいことをやらかしてしまった事実に、震えあがって半泣きになる庄助の背中を、ナカバヤシの小指のない左手が落ち着かせるように撫でた。 「疲れてんのはわかるけど、しっかり起きてな。なんせ指詰めは痛いからよ……」  そう言われ、庄助はさらに一段階縮み上がって、洗われたばかりの犬のようにしょんぼりと小さくなった。 「ひ、ごめんなさい! 小指は勘弁してください!」 「バカ。下っ端の小指なんかいらないわよ、ナメてんの?」  音揃は、ナカバヤシの大きな身体の後ろに隠れ震える庄助を、鋭い目つきで睥睨した。  この音揃夢一という男は、織原組や関東馬頭會(かんとうめずかい)本家の人間を東南アジアに引き連れて、民間軍事の会社を数社経営している、組織の大きな資金源を担う凄腕だ。紛争地域などに現地で雇った人間を派遣し、自分たちもそこで訓練を受けたりしているらしい。  日本国内では暴力団の枝組織、小規模な三次団体の織原組だが、司法の目の届きにくい海外では、また違った顔を見せている。  庄助は音揃の迫力に慄き、しつこいと叱られるまで頭を下げ続けた。 「ほいじゃ……改めて、ざっくりと」  室内の照明を明るく戻し、ザイゼンが口頭で説明をし始めた。  一般的に日本で違法薬物と呼ばれる、それこそ大麻や覚醒剤などというものは、原料の調達や製造のためにプラントや大規模な工場が必要であり、ゆえに製造コストがかかる。  しかし、十年ほど前から、マンションの一室でも化学の知識があれば作れるような薬物が広く蔓延し始めた。フェンタニルという。  もともと末期癌の患者への、強力な鎮痛剤として使われていたその薬物は、前駆体さえあれば製造も比較的容易で、しかもわずかな量で効く。またたく間に蔓延し、海外では年間十万人超の規模で死者を出し、今や社会問題となっているのだ。  タイガー・リリーは、それを他の薬物と混ぜて独自に作られたものだという。なるほど、ゾンビーズ・ハイウェイでイクラが言った『これからはタイガー・リリーの時代や』という言葉は、こういうことだったとも取れる。庄助は、昨日の夜のことを思い返していた。

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