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第四幕 十二、良将の成すところ③
「今どき、フェンタニルを混ぜてるドラッグは決して珍しくないけど……タイガー・リリーの配合はトび方が他とは違うらしいね」
話を聞いていた国枝が、胸ポケットから小さなビニールパッケージを取り出す。丸くて薄い橙色の、小指の先ほどの大きさの錠剤が入っている。庄助は眼を見張った。
「それ……!」
「凝ってるよね。刻印が入ってる」
わざわざ手に入れてきたのだろうか。タイガー・リリーの錠剤の表面に目を凝らすと、三枚の花びらを象った、フルール・ド・リスのシンボルが刻まれているのが見えた。
無害そうな清涼菓子にも、単なる風邪薬にも見えるその邪悪な粒を見て、ザイゼンは眉間のシワを深めた。
「タイガー・リリーを開発したのは、川濱とつるんどる大陸系の外若らしいですわ。今はトクリュウや半グレ言うんか、烏合の衆が……。そいつらに日本での戸籍を買わせて、さらに払えんかった分は仕事を斡旋して返させる。最近の川濱組は、イクラを筆頭にそがいなことをやりよったみたいです」
タニガワが言っていた、セトツグミのケースと似ている気がする。彼女も戸籍を買って、川濱組から指示され性産業に就いていた。庄助は、まだ覚醒しきっていない頭で思い出す。
そこまでして、日本の戸籍なんて欲しいもんなんやろか。みんな他人の目線ばっか気にして生きてて窮屈やのに。
海外に行ったことのない庄助には、毎日食事があり、戦争や病気がないことが標準である日本の良さというものが、あまり理解できていなかった。
音揃は肩をすくめ、嘆息した。
「ずいぶんな荒稼ぎねぇ。下が捕まれば、上までお縄になることなんて考えてなさそう」
「こう言っちゃなんだけど、イクラ派には仁義なんてないだろうね。組なんて、なくなったらなくなったで困らない、みたいな。そもそもヤクザって職業自体が若い子に舐められてるんだし、上が力を無くしてる川濱組じゃ、なおのことだよねえ」
国枝のその言葉を受けて、音揃はヤクザたちの顔を見回した。
「そりゃ時代も変わるわよね。ユニバーサルインテリア にももう、昔の僕や矢野さんを知るメンバーって、国枝とナカバヤシしかいないんだもんね」
「はは、俺ァ歴だけは長いから、未成年の頃のギラついた国枝さんも、狂犬みたいな若頭も、みィんな知ってるからなあ」
大きな腹を揺らして、ナカバヤシが楽しそうに笑った。
「やだ~、恥ずかしいから若い時の話はやめてよね! ほんと歳は取りたくないものねぇ、国枝も僕も、牙が抜けちゃったかもぉ」
「あっは、大丈夫ですよ。兄さんはまだまだ恐ろしいンでぇ……」
しなだれかかる音揃の身体を、国枝は明らかに嫌そうな笑顔で受け止めている。まだ酒は入っていないはずなのに、妙にテンションが高い。割って入るために、ザイゼンが咳払いを一つした。
「日本人の気質的に、フェンタニル単品ならさして流行らんとはワシは思いますが……独自の配合で覚醒効果もある、市販薬をオーバードーズするより安く派手に飛べるっちゅうんなら、若いモンは手ェ出すじゃろし。タイガー・リリーが流行ったら、日本の麻薬取引のバランスが、大きく変わるでしょうや」
「ま、世界的な麻薬戦争はもうすでに始まってるとはいえ……こうも堂々と縄張りで売りさばかれちゃあ、仁義の集団、織原組の名折れってやつだからねえ」
自分たちを“仁義の集団”などと、微塵も思ってもいないことを口にして、国枝はケラケラと笑った。
「さあ、暗い顔してないで一旦キリのいいとこで飲みましょうか。僕もう喉乾いちゃった。……ところで、景虎は今日は来ないのね」
しびれを切らしたような声を聞くなり、国枝はスマートに音揃に透明なワイングラスを持たせた。底の丸く広いブルゴーニュ型は、音揃の愛するイタリアンワイン、バローロのヴィンテージに最もよく合う形だ。
「今、あいつには潜ってもらってるところなんですよ。自分の親父が殺されかけたんだ、自分でケリをつけたいでしょう」
「チッ、僕のお酌は景虎にやらせようって決めてたのに……まあいいや、ひよこちゃん。ちょっと」
「お、俺ですか!?」
手招きされて、庄助は飛び上がった。
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