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第四幕 十三、烏(からす)は密かに①
いけ好かない造りのマンションだ。
エントランスをぐるりと見回すと、各所に背の高い観葉植物や抽象画が飾られている。華美ではないのに高級感が光る、洒落たブティックホテルのロビーのような雰囲気だ。
集合インターホンの操作盤に、部屋番号を押し込む。景虎は流れてくる額の汗を手の甲で拭った。呼び出しボタンを押すと、数回のコール音の後、インターホン越しに聞き慣れた声が響く。
「遠藤さん、どうぞ」
静流の声だ。数秒の後、ピッという短い電子音と共に、自動ドアが開いた。エレベーターホールへと続く廊下は、外部からの視線を遮るように奥へ伸びている。有名人が住んでいても目立たないよう、プライバシーを重視した造りになっているようだ。
センサータイプのパネルに指をかざすと、艶のないブロンズ調のエレベータードアがゆっくりと開いてゆく。なんだか、何もかもに金をかけているような造りだ。
カーペット敷きの取り澄ました箱に乗り込むと、上階の静流の部屋を目指した。エレベーターの奥の壁の鏡に、疲れた自分の顔が映る。飲み物や弁当の入ったコンビニの袋が、荘厳とも言える造りのこのマンションに対して、ひどく見すぼらしく不釣り合いに見えた。
静流の部屋の前に立つと、薄くドアが開いた。黒い扉には上下に鍵穴が二つある。このマンションを選んだ、静流の防犯意識の高さが伺える。高セキュリティが必要なのは、なにも有名人だからという理由だけではないのかもしれない。
「お疲れ様です」
静流は愛想笑いをすると、景虎を招き入れた。踏み入れた室内は真新しく、ゴミ一つ落ちていない。ここに庄助が来たのだと思うと無性に苛ついて、壁を穴だらけにしたくなった。リビングと隣接するバーカウンターのあるキッチンから、ふと焼いた肉の匂いがする。
「すみません、色々買ってきてもろたのに……化野さんが、お腹空いた言わはるから先に……。あ、店のお客さんに、シャインマスカットのジュースもらったんですけど、遠藤さん甘いの飲めます?」
「ああ、それは僕ももらおうかな」
カウンターのスツールに座って、ノートパソコンを睨んでいた化野が挙手した。肉を食ったのか何なのか、髭にソースがついて固まっている。静流の家に泊まってそのまま起きてきたと思しき蓬髪に、ライオンのたてがみのような寝癖がついている。
インテリアの広告に出てくるような、モダンで質の良さそうな掛け時計が、午後一時前を指していた。
キッチンカウンターの上の、小さなペルチェ式の冷蔵庫から瓶を取り出し、栓を開けた。甘い匂いとともに、ピスタチオみたいなくすんだ黄緑色が、とくとくとグラスに満ちる。
奥にも冷蔵庫が見えているのに、どうして別口で小さいものが要るんだろうか。静流に答えを聞いたとして、おそらく納得することはできなさそうだと景虎は感じた。
「お疲れのところ、来てもらって申し訳ないね。PCもあるし、セキュリティ的にもここが一番話しやすいだろうと思ったけれども。遠藤くんにしたら、敵陣に単騎で乗り込むような気持ちなのかな? 必要ならば僕がジュースの毒味をしようか」
化野はマスカットのジュースをストローで飲みながら、カウンター向こうから静流に髪を梳かされ前髪をゴムで結われている。まるで大きな幼児のようだ。相変わらずの回りくどさに呆れ果て黙って口をつけたジュースは、焼けるように甘く、逆に喉が渇きそうだった。
「世間話をしに来たわけじゃない。手短に頼む」
化野の隣のスツールに陣取る。いくつかのウィンドウが開いていて、何らかの作業中だったことが伺える。一応真面目に仕事はやっているようだ。
「まあまあ。そっちは朝から大変だったそうじゃないか。その話もぜひじっくり聞きた……お、ごはん買ってきてくれてありがとう、シズくんと遠藤くんはどれにするかい?」
持ってきたビニール袋の中身をカウンターにぶちまけると、化野はツナのおにぎりを破って食べ始めた。
前髪を女児だか犬だかが着けるような、さくらんぼのフェルトがついたゴムで括られた中年男性は異様だった。目と眉の距離が近く、意外とキレイな目をしているのがまた恐ろしい。
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