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第四幕 十三、烏(からす)は密かに③
「デザインはボクがしたけど、アイデアはウーヤさんやね」
静流がレタスサンドを手に取ったので、景虎は四つ入りのクリームパンを開封し、小さな一つに齧り付いた。安い小麦の香りが大味なカスタードを包む、わかりやすい味だ。
「ウーヤって奴は変態なのか?」
「ん~。変態なんは間違いあらへんけど、これは彼が自分が子供の頃よく見とったものらしいですよ。このほかにも何個か彫ったな。畑の畝 に捨てられた嬰児 のミイラとか……」
タトゥーアーティストが大変なのはわかったが、あまり食事時に取り上げたい話題ではなかった。
「そだ。遠藤くんに聞きたかったんだけれど、ここの病院の夜間のセキュリティってのは、どうなってるんだい?」
飲みきってしまったマスカットジュースのグラスの上からコーラを注いで、化野は景虎に目を向けた。
「夜間は、正面玄関と救急搬送用の入り口以外は施錠しているし、どの入り口にも警備員が常駐している。今回みたいな“患者”の入院中は、特に厳重になるな」
「だったら、このウーヤってのはどうやって入り込んだんだろうかねえ?」
口髭に泡をつける化野を軽く睨んで、景虎は眉間に皺を寄せた。あまり聞かれたくなかった質問だ。この先はきっと、核心に触れる。感情の処理が追いつかず、喉が詰まる。
「……搬入に使う入り口だ。こいつは、そこから堂々と侵入してる」
しょりしょり、と髭を指が擦る音がした。パソコンの画面の中ではまだ、病室の映像が流れている。眠っていたはずのカサイが、唐突にビクビクと背を弓なりに反らしてベッドから転がり落ちた。転落した拍子に点滴の針が抜け、シーツに血と思しき染みが点々と散った。
「……ふうん、彼は業者さんだったのかな? だったら、なにかしら記録が残ってるんじゃないの? ねえ、シズくんはどう思う?」
わざとらしい言い方に、静流は何も言わず肩をすくめた。彼ら二人の間でも、うっすらと答えは出ているようだった。
「隠してるわけじゃない。まだ……確定じゃないから言わなかった」
「ひひっ、どうしたんだ、えらく歯切れが悪いじゃあないか。いやね、僕ァ情報の共有をしたいだけでね。言いたくないですよねえわかります~聞くのやめときましょうか? なんていう感情労働は、仕事のうちに入ってない……とはいえ、そちらの事情も尊重するさ。ここで遠藤くんに嫌われて、良いことはなさそうだからねえ」
本当に屁理屈ばかりでうるさい男だ。景虎は辟易して目を伏せた。
「ユニバーサルインテリアの社員証が使われてる」
パンを食べ終えた唇を指で拭って、景虎はそう言った。静流も化野も押し黙った。口の中に、クリームの甘ったるさが残っている。
PCに目を遣る。無音だから判然としないが、点滴が倒れた音が聞こえたのだろう。夜勤の看護師が飛んできて、カサイに取りつく。拷問で太腿を焼かれて立てない彼は、それでも果敢に腕を振り回し、胸を掻き毟って暴れている。
「昔から織原組と懇意にしてる病院なんだ。当然リネン類なんかもウチが貸し出してる。だから、社員証があれば夜だろうが入れる。警備員に表面だけチラッと見せて記帳するだけ、カードキーみたいに識別番号なんかもない」
「ふぅん。偽造した可能性もあるけど、内通者が、ウーヤにそれを貸与した可能性が高い、と。遠藤くんはそう考えているんだね」
景虎は頷いた。自分がどうというよりも、事実を知った時に、庄助が絶対に悲しむだろうと考えていた。このこともあって、彼を連れて行けなかった。
「ねえ遠藤さん、その……ウーヤさんが記帳した名前っていうのは? 貸した奴の名前が書かれてたりしませんの?」
カウンターの向こうで、静流の量の多い茶色めのまつ毛が、ふさふさと瞬いた。
「聞きたいか?」
「なんですん、意味深な……」
「ミズタニと書かれていた」
静流が、息を呑んだのがわかった。裏口の壁、フックに引っ掛けているバインダー式の業者出入簿には、歪な文字でそう書かれていた。
ユニバーサルインテリアにミズタニという名字の人間はいない。それは、景虎と静流にとっての仇の名前であり、明確な挑発以外の何物でもなかった。
白くて骨ばっている静流の手が、コーヒーのマグカップを強く、強く握りしめた。青い血管が浮き出ている。
小さなPCの画面の、その中のさらに小さなウインドウの中で、カサイの生命が早回しのように潰えてゆくのを見ながら、景虎は自分や周りの人間の死の様を思い描いた。
やはり庄助だけは絶対に、この手足が千切れようと、死なせたくなかった。
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