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第四幕 十四、団欒はおしまい④
「俺のスーツの内ポケット、庄助の身体が今当たってるところに折りたたみの警棒が入ってる。それ持ってな」
「ケイ、ボー……?」
突然降って湧いた物騒な単語に、庄助は目を丸くした。
「尾行 られてる。はやく」
「ひゃわっ!?」
国枝は庄助の尻を掴んだ。歩きながら円を描くように撫でてくる。恋人のようにくっついたまま、庄助は慌てて国枝のスーツを探った。すぐ指に細長いものが触れる。戸惑いながら抜くと、自分のスーツの内側に忍ばせた。
「合図するから。そしたら即方向転換ね。後ろにいる柄の悪い男三人を、一緒に不意打ちするよ」
「は、話も聞かずにどつくんですか!? もし同じ方向に歩いてるだけとかやったら……」
「右端のパーマの人、手の中に小さな飛び出しナイフを持ってる」
生唾を飲み込んだ。必死に、後ろに気づいていないふりをしながら歩く。どこから尾行されていたというのだろう、庄助には分からなかった。
それにしても、朝方にカーチェイスと銃撃で死にかけてからの今だ。襲ってくるにしても、さすがにペースが早すぎる。向こうもなりふり構ってられないということだろうか? 嫌な汗が一気に背中を流れてゆく。
「……でさ、さっきの話の続き」
「はいっ!」
もはやどの話なのかわからなかったが、庄助は勢いよく返事をした。
「自分の考えがこの先変わるかも。だから、絶対とは言えないって、庄助言ってたよね。意外と、先のこと考えてるんだなって思った」
「ほ、ほんまですか!?」
「考えが柔軟なんだなって、安心した。ユニバーサルインテリアがなくなっても、大丈夫だね」
「なくなるんですか!?」
「例え話だよ。組織は代謝するんだから、いつまでも同じメンバーで楽しく、ってわけにいかないじゃない。ね」
そっと薄手のスラックスの腰のあたりを触られて、庄助の身体に緊張が走った。スーツの左側の内ポケットに隠した警棒を、きつく握る。
「でも、俺は……」
「庄助が本当にヤクザになるにせよ、ならないにせよ。……景虎のこと、頼むよ」
子供が巣立っていくのを、嬉しくも淋しく見守る母親のようだと思った。国枝も矢野も、景虎が厄介だから自分に押し付けているわけではない。彼らなりに不器用に、大事に思っているのが伝わってくるからこそ、なお切なくなる。
骨ばった指先がトントンと、庄助の腰を二度叩いた。行くよ、と吐息のような囁きとともに、ぴたりとくっついていた国枝の身体が音もなく離れていった。
弾かれたように庄助が振り向くと、もうとうに国枝は姿勢を低くして走り、右端のパーマの男の足もとに飛びかかっていた。
力任せのタックルではなく、軸足でない方の膝裏を重心低く捉えて、そこに体重をかける。
バランスを崩して尻餅さえつけず、男は背中を地面に打ちつけた。カラカラと、まだ安全装置の解除されていないスイッチブレードが、アスファルトの上に落ち、回転しながらあさっての方向に飛んでいった。
男は背中から肺臓をぶつけ、声も出さずに胸を押さえて悶絶した。
立ち上がろうとする国枝に、間髪入れず別の男が襲いかかる。大柄な男は、低い位置にある国枝の顔面に、メリケンサックを嵌めた拳を振り下ろそうとしていた。
「国枝さんっ!」
庄助はポケットから取り出す勢いのまま、警棒を一振りする。大阪時代に、悪い先輩から教わったことがあった。
ぐん、と遠心力に引っ張られるように、フリクション式の折りたたみ警棒が飛び出した。思いのほかずっしりとしている。
近寄って振り被り、打ち下ろすその前に、大柄な男の拳が国枝に届いてしまう。まばたきの間もなく、岩のような拳骨が国枝に触れる。その直前で、国枝は前腕でゆるく受け流した。勢いを殺せずつんのめる男の顔の中心に、コーヒーの缶がめり込む。
「ぶお……」
硬質なスチール缶の縁が、男の前歯を歯茎の骨ごとへし折ってゆく。薪が爆ぜるような、ポップコーンが弾けるような、思いのほか可愛らしい音を立てて、地面に血とともに散らばる。体重が十分に乗った自らの拳の勢いと、下から突き上げられた中身の入ったコーヒー缶。その衝撃がぶつかり合う箇所が、砕けてゆく。
「あはっ。それ、あげる」
追い打ちのように顎の下に掌底をお見舞いすると、男の口腔に無理矢理捩じ込まれた缶と骨がぶつかる鈍い音がした。血と歯の欠片とコーヒーの混ざった液体を口から吹き出させ、男はがっくりと膝をついた。
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