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第四幕 十四、団欒はおしまい⑤
「わ、わ……」
あまりの残虐ファイトぶりに、庄助は警棒を構えたまま絶句してしまっていた。今更だが、やはり国枝は全く酔っ払っていない。あれだけ勢いよく、ロックのウイスキーをあおっていたのに。追っ手を油断させてここまで連れてくるために、酔ったふりをしていたのだろうか。
「ほら、ぼーっとしないよ」
国枝は手首を軽く振ると、倒れていたパーマの男の胸を踏みつけた。空気が漏れる無様な息が、メキメキと何かがへしゃげる音とともに男から吐き出された。
最後に立っていたのは、庄助よりも若い男のようだった。頬にニキビをたくさんこさえて、下手をすればハイティーンかもしれない。あっという間に仲間を伸されて焦ったのか、彼は奇声を上げて庄助に飛びかかってきた。
「うわ、この……っ」
警棒を横薙ぎに振るった。ダメージを負わせるというよりも、初撃は様子見、威嚇の意味合いだった。男が庄助に向かって伸ばした右前腕に、軽く当てたつもりだった。
持ち手に重く鈍いインパクトを感じた途端、男の腕はありえない角度に折れ曲がった。本来曲がるべきではない方向に折れた骨は皮膚を突き破り、新鮮な赤と桃色の筋繊維をまとわりつかせながら、その姿を顕にした。
「え……!? ええっ!?」
血を吹き出させ、絶叫しながら座りこむ男を見ても、庄助は何が起こったかわからなかった。国枝ののんきな声が、すぐ隣からした。
「あ、ごめん。言い忘れてたけど、それ……先端にタングステンが入ってるよ。だから頭を殴ると死にま~す。気をつけてね」
ゾッとした。であれば、この警棒を持ち歩くイコール、明確な殺意を持ってコトを構える気だということだ。身のこなしだけでなく、武器のチョイスにしても、間違いなく国枝はプロだ。けど、言うのが遅すぎる。
「それっ……もうちょっとはよ言ってくださ……!」
「庄助!」
国枝の大声とともに、横腹が爆発したのかと思った。それくらいの衝撃で、庄助は横跳びに誰かに吹っ飛ばされた。児童公園の砂の地面に頭と身体を強く打ちつけて、息ができない。視界がちかちかと明滅した。
誰かが国枝の正面に立ち、彼に銃を向けている。倒れている男たちとはまた別に、がっしりした、ともすればやや肥満気味ともとれるシルエットの人物だった。シルエットだった、というのは、なにも庄助の目が霞んでいるからというだけの理由ではない。
夏だというのに頭から被った目出し帽、黒いジャージの上下。ご丁寧に軍手まではめている。男であろうということくらいしか、庄助の位置からは読み取れない。この大きな身体の男に、ふっ飛ばされたに違いなかった。
「く……っ」
脳震盪だ。手足に力が入らなくて、どうしても立ち上がれなかった。警棒も一緒にどこかに行ってしまったようで、焦って視線を巡らせても見当たらなかった。
国枝は黙って両手を上げた。四人目の追っ手が居たのは、さすがの彼も想定外だったのだろうか? 国枝のような周到な人間が、そんな可能性を想定していないことなどあるのだろうか。
内臓にダメージが入っているようで、息をすると痛んで、吐き気がこみ上げてくる。
ずっと。思い返せば引っ越しの時くらいから嫌な予感がしていた。もう前の日常が返ってこなくなるような、焦燥感に似たそれに、ずっと付きまとわれていたのだ。
重い沈黙を破って、国枝が口を開いた。
「……焦って振り込んじゃったり、オリきれなかったり、鳴きに過剰反応したり。負けが込むといつもそうだね」
目出し帽の男は、銃を国枝の頭に向けたまま何も言わなかった。銃口が微かに震えている。
「博打のクセが丸出しだよ、ほんとにもう……」
「……もっ、ゔぐ」
もうやめてくれと庄助は言いたかったが、背中が痛くて声が出なかった。頭がガンガンして、シャツと肌の間を冷たい汗がだらだらと流れてゆくのを感じる。
「ねえ、銃……右手で持ったほうがいいんじゃない? 小指がないと、力入らないでしょ」
「黙れっ!!」
目出し帽が吠えた。閑静な裏道に、風を切る小さな音が妙に冷たく響いた。それは先日の『ゾンビーズ・ハイウェイ』で聞いた音と似ていて、庄助にはそれが銃声だとすぐに分かった。徐々にピントが合ってきた視界の中に、相変わらず二人の男が立っている。
国枝は両手を挙げたまま。目出し帽は持っていた銃の代わりに、手のひらにまとった綿の軍手を真っ赤に染め、地面に鮮血を滴らせていた。
焦げた匂いがする。とうに廃業しているような古いタバコ屋の陰に、見慣れた人物を確認して、庄助はなりふり構わず叫び声を上げた。
「カゲぇっ!」
絞り出した声は、間抜けに裏返った。身体はまだ動かないのに、涙だけが出てくる。建物の陰で、片膝を立てて銃を構えていた景虎と目が合った。こちらに走り寄ってくる靴の先が、煙の出る薬莢を踏んづけた。
庄助の身体を抱き起こすと、景虎は申し訳なさそうに言った。
「ごめんな……射撃が下手で」
それはどういう意味なのか、庄助にはもうわからなかった。国枝が目出し帽をゆっくりと脱がせると、きれいに剃り上げた禿頭が顔を出す。
「なんで、なんで……」
庄助は、景虎の腕の中でしゃくりあげるようにして泣いた。もう戻らない日々が悲しかった。
けれども地獄の道行きは、まだ始まったばかりなのだ。
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