365 / 381
第四幕 十五、仁義の在処⑥
俺が殺さんかったら、ナカバヤシさんはもっとひどい目にあう? でも、ナカバヤシさんは俺を拉致しようとした奴らの仲間やった。
ミズタニ。カゲの母親の仇。なんでそいつと繋がってたんか、もっと吐かせたほうがいい?
バーナーで焼いたペンチで止血するんやって……そんなん想像つかんくらい怖い、見たくない。ナカバヤシさんは、覚悟の上やったんやろか。
それやったら俺が? 俺がひと思いに殺してあげる? だって俺はヤクザになりたいんやもん。カゲと同じ場所に立つんやもん、これくらいやらんとあかんよな。苦しまんように介錯するのも、仁義やんな?
仁義……、ナカバヤシさんはさっき“仁義のありか”がわからなくなったと言っていた。俺の仁義は、誰のためにあるんやった?
「もう、わからん……こわい……」
何もわからないまま、ドスの柄を握りしめた。笑えるほどに、指が震えている。返り血で黒く光る国枝のレインコートと、その足元で血と反吐の海に沈むナカバヤシ。
ヤクザにはなりたかったけれど、こんなふうになりたかったわけじゃなかった。ユニバーサルインテリアが好きで、毎日楽しくて、仲間に入れてもらえている気がしていた。でも本当は、自分だけが外野だった。
景虎も国枝もトキタもザイゼンも、ナカバヤシも。庄助が思うよりずっと、残酷な世界に生きていた。自分だって何度も死にかけたのに、それでもまだ、追い求めているのはいつまでたってもフィクションの、映画の中の極道だったことが、悔しい。悲しい。
「どう、したら……楽に、シ、死にますか」
口の中がからからだ。国枝は庄助の頬を流れる涙を指先で掬うと、身体を離した。自らの首の後ろを、指さしてみせる。
「頭の付け根、凹んでるところあるでしょ。そこを狙えば、比較的すぐに逝けるはずだよ」
手が震える、柄が汗で滑る、視線がぐらつく。こんな体たらくで上手くいくはずがないのに。
あんたはキレイなまま、織原の虎に守ってもらってりゃいいんじゃないですか?
佐和の言葉が耳の裏に反響する。そうだ、いつも守ってもらってばかりで、キレイなままでいいわけがない。何を迷っているんだ。この人は他人だし裏切り者だ。
頭を空っぽにして、深く考えずに、刃物を振り下ろすだけだ。もうどうせナカバヤシは殺される、今か後か、誰が殺るかの違いで。
「……しょ、ずけ……」
ナカバヤシの、もはや指の生えていない手が床を掻き、首を庇おうともがく。こんなになってまで、急所を守ろうとする生存本能が、怖くて気持ち悪い。
泣きすぎて、もうやり方を忘れてしまった呼吸が、喘鳴のようにこぼれてゆく。スニーカーが、血と吐瀉物を踏む。
「ごめ……ごめんなさい、わからんねん」
殺す対象と言葉を交わすことすら、もう恐ろしかった。自分の中で大切にしていた何かが、一足ごとに砂になって消えてゆく気がする。庄助はドスを握り直して、振り上げた。
その瞬間、スチールの扉が蝶番の軋みも防音の重みも無視して、爆発したように開け放たれた。
黒い人影が弾丸のように飛び込んできて、庄助の腕を掴んだ。
「庄助!」
景虎だった。革靴の底が、血の絨毯の上を滑る。庄助の握りしめたドスが、ナカバヤシの後頭部目掛けて振り下ろされる直前、景虎の腕がそれを横から弾いた。
甲高い金属音が室内に響き渡る。ドスは床に落ちて、白い柄に赤黒い血を纏った。
「カゲ……」
鈍い熱を持った腕をきつく握られ、我に返った。景虎の整った顔は、庄助が見たこともないほどの怒りと恐怖に歪み、真っ白だった。景虎の指は、腕を折らんばかりの握力で、庄助の皮膚に食い込む。
「やめてくれ、庄助……頼む、やめてくれ……」
服にこびりつくあらゆる汚れも、一切気に留めず抱きすくめられた。庄助の後ろ髪を鷲掴みにするように引き寄せ、自らの胸に押し付けた。外界から全てを遮断するような、呼吸もままならないほどの、きつい抱擁だった。
それは初めて聞く、彼の叫びのような悲痛な声だった。景虎に触れられてやっと、庄助は自分の鼓動の速さがわかった。今にも破れそうなほど脈打っている。
国枝は静かにナカバヤシの傍にしゃがむと、落ちたドスを拾い上げる。何の感情も感慨もない、能面のような表情をしていた。
漂う鉄錆の匂いを上書きするように、強く景虎の匂いを吸い込む。景虎の鼓動を、肌の匂いを、押し返してくる筋肉の感触を。余すことなく感じる。
庄助は痺れて感覚のない手で、景虎の身体を力なく抱きしめ返した。
ともだちにシェアしよう!

