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第四幕 十六、飢えと慕情③*

 キスは好きな人としかしない。  庄助がそう決めたのはいつだったか、中学だか高校の時分に観た、古いVシネマに出てくる女の台詞がきっかけだった気がする。  身体を(ひさ)ぐ商いの女は、渡世人である主人公を愛していた。彼女は、どれだけ金持ちの客に迫られようと、決して唇だけは許さなかった。物語の終盤、主人公の情婦とされて敵対勢力の人間に捕まり、手籠めにされようとも屈しなかった。  雪の降るラストシーン。女が惚れた男のために命張って何が悪いんだと、主人公の腕の中で彼女はそう言った。ぱたぱたと雪に散った緋牡丹の如き血飛沫が印象に残る、美しい最後だった。  その映画にいたく感銘を受けて以来、庄助はキスを好きな人とするものだと思っている。だから初めて景虎にキスをされた時、嫌じゃなかったのが彼自身も驚きだった。 「ぅ、んぅ……はふ」  身体を横たえたベッドの上で、薄目を開けて覗き見る。長いまつ毛が縁取る、昏い目の色。くっきりした二重まぶたのラインに高い鼻梁。それらを内包する完璧な骨格と白い皮膚。決して顔で選んでいるつもりはない。しかし景虎のその、同性でもドキドキするような整った容姿に惹かれたところは大きいと、間近で見ているとそう思う。  今こうして口づけを交わしているのが、景虎でよかった。だってこんなに安心する。 「んん、カゲぇ……」  自分でも信じられないくらい甘ったるい声が、舌と舌で繋がった口腔を揺るがす。二人分の体重を乗せたスプリングが、ギシリと音を立てた。  舌を吸われるのが気持ちいい、相手の唾液を甘く感じる。鼻から漏れるお互いの息がくすぐったい。今まで何度も景虎と交わしているキスが、こんなに好きで仕方ない。  腹の中にはすでに、景虎の肉棒が収まってしまっている。強制的に気持ちよくされて泣いて乱れたかったのに、景虎は妙に優しくて、挿れたままろくに動いてくれない。 「あ……ふ、カゲ、カゲ……もっと」  庄助は、景虎の腰に足を絡め唇に噛み付いた。キスやセックスが気持ちいいのはきっと、その瞬間の相手を独占できるからだ。愛情のある人間との性行為の甘美さ、触れ合いの安心感と高揚は、風俗やオナニーでは得ることのできないものだ。脳内麻薬だかオキシトシンだか、幸せになる何らかの物質が大量に分泌されて、世界がバラ色になる感覚に酔う。 「庄助はキスが好きだな」 「うん……」  庄助は真っ赤になって頷くしかなかった。  もっと頭の中を恥辱と快楽、そればかりに塗り潰したいのだ。景虎の愛情を利用するつもりも、ナカバヤシのことをダシにするつもりもない。とにかく夢中になっていないと、恐ろしい何かに呑まれて戻ってこられなくなりそうだった。  気づいていた。多分これはある意味自傷行為だと。それを分かっていてなお、くだらないことに景虎に付き合わせてしまうことに庄助は罪悪感を抱いた。  だからこそ今日は、どんなに恥ずかしくて痛いことをされても、景虎の言うことを聞こうと決めていた。 「もっと……ぉ、あひっ、カゲのやりたいこと、やれってっ……ぇ」  口づけの合間、景虎の手のひらが、庄助の柔らかく締まった尻肉を揉む。左右に割り開かれると、孔が横に引き伸ばされ、粘膜が剥き出しになった。 「……ぅ、あっ」 「したいことか……そうだな。庄助を食いたい」  大きく割られると、ぴくぴくと括約筋が収縮して、景虎のペニスを締め付けてしまう。えぐるような貪欲なピストンが欲しいと、胎内は赤く熟れて待ち焦がれている。 「んはっ……! やっ、ぁはっ、食っ、もう……食うてるみたいなもんやん」 「足りない」  耳たぶから外耳をなぞる舌、うぶ毛を湿らせて響く切なげな低音が、鼓膜を通って身体中に巡る。腿が一気に総毛立って、腰が砕けそうになった。ひときわ敏感になった首筋にがぶりと噛みつかれて、庄助の目から熱い涙が溢れた。 「い、ひいっ……! きうぅ……うっ」  跡をつけるためにキリキリと噛まれて、強い痛みに悪寒さえ走る。景虎の力なら、本当にこのまま押さえつけて食い殺すことだってできそうだった。 「庄助の首の血管、どくどくして美味そうだ」  噛みながら、舌で皮膚をしゃぶられ吸われる。なかなか消えない酷い跡になりそうだ。今は夏場で、隠すことも難しいのに。でも、今日は我慢すると決めたのだ。庄助は涙を滲ませて、痛みに耐えた。 「んっ、ぁんっ……あっあ……」  そのまま柔らかい乳首をシャツ越しに指先で擦られた、それだけで、刺すような性感が骨盤の中をじくじくと占拠してゆく。  噛まれている首も、ぶち抜かれている肛門も、カリカリと引っかかれる乳首も、血が集まってゆくペニスも。全部もっと景虎の好きにしてほしい。食い殺されても構わなかった。  恐ろしい目に遭いすぎて、今ここにあるはずの自分の生命が、ずっと浮ついている。生きている心地がしないからこそ、痛みで捕まえていてほしい。景虎の狂気で、すり潰すみたいに抱いてほしかった。

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