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【番外編】白日②

 国枝は、意地悪な欲望に蓋をするように立ち上がり、スーツの前を正すとモミの木の前に立った。クリスマスの飾り付けをするなんて、子供の頃ぶりだろうか。 「昔は、クリスマスに浮かれるってイメージがあんまりなかったんだよね。俺の実家は敬虔なカトリックだったから、イブなんかは静かに過ごす日だと思ってたし」 「カトリックって、キリスト教ですか? キリスト教って、ヤクザになるの禁止とちゃうんですか?」 「宗教関係なしに、ヤクザになるのはあかんじゃろ」  的確なザイゼンのツッコミに、国枝がクスクスと笑う。箱の中のさまざまなオーナメントを手に取り、木の枝に吊るしてゆく。柄の悪い大人の男三人並んで、ツリーに飾り付けをしているなんて、なんだか笑えてくる。 「国枝さんが神様信じてるの、意外や~」 「俺自身は無宗教だよ。神様がいたらいいなとは思うけどね」  差し伸べる手を取りさえすれば、どんな罪でも許してくれる。そんな存在が本当にいればいいのに。手の中のキャンディーケインを弄びながら、国枝はどこか遠い目をした。  思い出す。実家の壁の色や、ポトフの湯だつ匂い、ツリーの足下に置かれたプレセピオ、そのロバの耳の先端が欠けていたこと。  とうに、神様を信じることはやめた。けれど国枝は、小さな頃から慣れ親しんだ教えや、神の物語は好きだったし、それに付随する芸術や文化を嫌いになれなかった。 「うちの家は、モミの木のてっぺんに星を飾るのは、いつも父親だったな。バブルの頃に買った、バカみたいにおっきなツリーでね。子供じゃ手が届かなかったんだよね」  柄にもなく、国枝は昔のことを零す。この時期は、捨てたはずの実家の思い出がどうしても去来する。当たり障りのない話を少しくらいしても、庄助たちになら気を遣われることはないだろう。 「ベツレヘムの星いうんですか? キリスト生誕の地に、賢者を導く光なんですよね」  ザイゼンの言葉を聞いた庄助は、箱の中から金色の星を取り出した。 「ほんなら、これは国枝さんに!」  勢いよく星を手渡されて、国枝は面食らった。手の中で金色のメッキがギラギラと光を反射する。 「導きの星なんやったら、ここのボスが飾るのがいっちゃんええって思います」  あまりにも頑是なく、庄助は笑う。驚くほど軽く、バリの部分に触れると指先に金色の粉がくっついてくるような、安物の星が眩しくて仕方ない。 「……そう? あはは、そっか。ありがとね」  国枝は手を伸ばして、ツリーの頂点に飾りを差し込んだ。あの時あんなに遠く見えていた導きの星は、呆気ないほどにすんなりと手に入り、国枝の目の高さで光った。  そうか。肩車をして、あるいは抱っこをして、木のてっぺんに星を乗せる役をやらせてと、あの頃の自分はそう言いたかったのだ。国枝は気づいた。その子供っぽいわがままを、わがままだと思わずに口に出せるような、ありふれた健全な家族でありたかったと。大人になってから、こんなどうでもいい時にわかってしまうなんて。 「国枝さんにはこれからも、俺らを導いてもらわなあかんから」 「なんじゃ庄助お前、賢者のつもりなんか?」 「すんません俺、ドラクエやったことないから、賢者ってあんま知らんのですよ」  ザイゼンが、恐ろしいものでも見るような顔で庄助を凝視しているのが面白く、国枝はまたつい笑ってしまった。  自分が持ち得なかった無垢、目を逸らしがたい光、庄助を見ているとそれらに手が届くような気がする。そんなのは幻想で、あるのは単なるうらぶれた中年の、くだらないセンチメンタリズムだけなのに。  憎たらしい。悪気なく何もかも暴くような陽光は、もはや心地が良い。つい空虚な腹の内を、白日のもとに晒したくなってしまう。  まだうぶ毛の残る庄助の頬をつねりたいような、泣かせたいような甘い衝動。ニコチン切れの脳みその禁断症状とよく似たものが、国枝の胸の内側をチリチリと引っ掻いていた。 「あれ? 俺の顔、なんかついてます?」  視線に気づいた庄助は、リンゴのオーナメントを手に持ったまま、きょとんとした目をした。真っ赤なそれは、大いなる父への反逆の果実だ。 「いや。庄助は可愛くていい子だなって、見てただけだよ」 「え~? えへへ、ありがとうございます。嬉しいです、国枝さんに褒められるの」  悪くて強い男に憧れている庄助が、真逆の『いい子』や『可愛い』の褒め言葉をすんなり受け止められるのは、景虎に言われ慣れているからだろうか。  あの凶暴で仏頂面のデカい猫が、庄助の前でどんな甘い言葉を吐くのか。それを庄助はどんな顔で受け入れているのか。想像すると苛つくような、喜ばしいような複雑な気持ちになる。  景虎は、俺と一緒に死んでくれると思ってたのにな。  いつだったか冗談めかして言った言葉は、国枝にとってまるきりの嘘というわけではなかったのかもしれない。  スーツのポケットに手を入れると、タバコの箱が指に触れる。その感触で、喫煙の一連の動作が呼び覚まされ、どうしようもなく吸いたくなる。口唇期に固着した、ダメな大人だ。唇の端を上げて、国枝はひっそりとほくそ笑む。   「これ終わったら、飯ィ行きませんか。ランチ、まだやってる思います」  背の高いザイゼンの声が、国枝の後ろ髪を揺らした。そのいつも通りの声のトーンに救われたように、国枝は顔を上げた。 「いいじゃん、そうしよ。ザイゼンさんのステージ衣装についても話し合わなきゃだね。サンタにするか、サンバにするか」 「普通のでええでしょうよ……。それより駅前に、気になっとるエスニック料理屋ができてのお。そこ、パクチー入れ放題なんですわ」  国枝のノリに慣れているザイゼンは、怯むどころかこれからの昼飯の段取りを考えている。事務所の掛け時計は十四時前を指していた。三人とも、しっかり腹が減っていた。 「あははっ、それ絶対あとでトキタさんに、カメムシ臭いって言われるやつですって!」  庄助が笑うのと同時に、カタカタと冷たい風が、窓の立て付けを騒がせた。乾いた昼の日差しが、冷えた向かいのビルの外壁をあたためるように照らしている。  いつの間にか、星に簡単に手が届くほどの大人になった。積み上げたものは悪徳ばかりで、地獄行きは確定だが、神の愛を拒絶し続けた自分にはお似合いだと、国枝はむしろ安堵すら覚えている。  それにしても、大人として虚勢を張り続けるのは、疲れるものだ。    ツリーのてっぺんで光る導きの星と、庄助の髪。二つの金色に一瞥をくれると、国枝は一足先に、タバコを吸いに地上に降りた。彼の誕生日迫る、暖かく静かな初冬の折のことだった。 〈終〉

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