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【番外編】ヒカリ、リスタート①

 仕事納めの日。あたしは朝早くから、事務所の大掃除に駆り出された。寒い中、少し遅めの朝十時台のバスと電車を乗り継いで、いつものように池袋まで。  東京はその日いつもより冷え込んでて、雪降るなよ雪降るなよ~って、祈りながらここまで来た。  あたしは今、デリやパパ活はやめて、株式会社ユニバーサルインテリアの事務員……という名目のもと、都のほぼ最低賃金での雑用をやってる。  ネンジくんのあの一件のあと、ウチで働けば? って国枝さんに誘われた時、正直あたしはああもう死ぬんだって思った。だってこの人たちヤクザでしょ? 事務所の中で朝から晩までマワされて、全部の穴を使われたあと、ボロ雑巾みたいになって山に埋められるんだーって。  まあどうでもいいか、生きててもしゃーないし。みたいに、あのときのあたしは半分自暴自棄だった。  でも、彼らはあたしにひどいことをしなかった。かと言って特に歓迎もせず淡々と、一緒に仕事をする人間として迎え入れてくれた。  ドカ鬱の中転がり込んだ暴力団のフロント企業は、なんか思ってたのと違ったんだよな……いい意味でも、もちろん悪い意味でも。 ◇ 「あの、ナカバヤシさん。これってどこまで拭いたらいいでしょうか?」  重い事務机を懸命に壁際に動かしている、ハゲたおじさんの背中に話しかける。  あたし掃除苦手だし、大掃除とかこっち来て一人暮らししてやったことない。だから、モップで床を磨くなんて、中学のとき以来? 足で踏んでモップの先端の水気絞るやつ、久しぶりに見たし。懐かしすぎてちょっと笑ってる。  暖房の効いた事務所の中の空気は、乾燥して埃っぽくて、喉が痛くなりそうだ。あたしは濡れたモップを片手に、口元の黒いマスクをキュッと引き上げた。 「あー、隣の待機室はもう拭いた? だったらあとは事務所前の廊下だけかな。下の倉庫内は、物が多すぎて水拭きどころじゃないから、そこまででいいよ」  にこやかに教えてくれる彼の太ったお腹は、息が上がっているのか、さかんに上下している。  事務所の中で一番年上のナカバヤシさんは、話しかけやすいいい人だ……と思う。経験上、性欲なさそうで優しげなジジイに見えても、いざプレイが始まるとゲボキショだったりするから、ほんとのところは知らんし、知りたくもないけど。  それでも、人生リスタート中のあたしは、なんとなく性善説を推したい。ナカバヤシさんは、あたしを娘のように扱ってくれる、いいおじさん。のはず。  わかりました、と頭を下げたところで、やたら大きな声が後ろから、鼓膜をビリビリに響かせた。 「なあなあヒカリちゃん! モップ、もっと水っ気絞ってから拭いてくれよ! こんなビチョビチョじゃ、この後ワックスがけすんのに乾かねーよ」  げ。トキタだ。トキタさんが雑巾で床を乾拭きしながら、こちらを見上げている。  あたしはこの人が苦手だ。身体もゴツいし声もでかいしガサツだし、あたしにではないけど突然キレたりするし、そのくせ目つきだけが純粋な子供みたいで、それが奇妙だ。何考えてるか全く読めなくて怖い。 「あっ、す……すみませんトキタさん。気をつけます!」 「おう頼むわ。……あれ? てかヒカリちゃん、今日の髪型いいじゃん」  掃除の邪魔だからと高い位置で縛っただけのポニテを指して、トキタさんはニカッと白い歯を見せて笑った。 「ほんとですか、ありがとうございます」 「おう、うなじがエロいしそっちのがいいよ! 髪型変えたら彼氏できんじゃねえ? ヒカリちゃんいつも色気ないもんなあ!」  ……こいつ。まだギリあたしと同じ二十代のくせに、アホほどセクハラしてくるし、ノンデリすぎんだよな。昭和から転生してきた? って思うほど。しかも悪気ないからタチ悪い。  でも、ネンジくんもこういうとこあったな、ヤクザって基本、男尊女卑だよな~って、あたしはトキタさんのよく焼けた肌を見るたび、元カレのことを少し思い出す。  トキタさんのセクハラにうんざりしていると、今度はドアベルが遠慮がちな音を立てて鳴り、ひときわ背の高い男性が、ぬうっと事務所内に入ってきた。小学生の子供くらいの大きな松の正月飾りを、二本の腕でそれぞれ持っている。 「倉庫から門松を持ってきたんですが」  出た。遠藤景虎。国枝さんと一緒に、ネンジくんをボコボコにしたやつ。正直、トキタさんより苦手、一番苦手かも。  遠藤さんはあたしをチラリと一瞥すると、すぐに興味なさげに目を逸らした。キレイな顔だ。特に横顔のラインなんか完璧。骨格ガチャのレジェンダリー引いてるくせに、なんでこの人ヤクザなんかやってるんだろ? 「あ~まだ床掃除終わってねえから、隅のほう置いといて」  ナカバヤシさんに言われるがまま、遠藤さんは壁際に門松を二つ、軽々と置いた。ドスンドスンと重そうな音がする。  この人は組長付きっていう、組長の秘書? みたいな役割をやってるらしい。こんなイケメンで若くて役職もあるのに、柄の悪いオッサンたちに上から指示されるの、嫌じゃないんだろうか。なんかいかにも、咲く場所を間違えた花って感じだ。 「廣瀬さん」 「はいっ」  目の前に立たれると、ビビる。そもそもビジュのいい男は鑑賞するものであって、極力会話したくない。あたしは、彼らの世界に認識されたくないのだ。特に遠藤さんみたいな無愛想なイケメンは、ヤクザじゃなくても怖いし。 「確認をしたいんだが、本当に来るのか? 今日」

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