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【番外編】ヒカリ、リスタート②

「今日って……?」  遠藤さんは長身だから、近くで見ると分厚い胸筋がちょうどあたしの目の高さにくる。今日は、いつもにもまして変な柄の開襟シャツだ。食虫植物の上に、リスのような動物が跨っているイラストのプリントがされてある。こんなの、どこで買うんだろう。 「大掃除のあとの飲み会の話だ。あんた、ヤクザの飲み会に来るつもりなのか?」 「はい。ちゃんと、行くって返信したつもりですけど……」 「正気なのか?」  呆れたような声で言われて、ちょっと悔しくなった。あたしだって、雑用とはいえここで働いてるんだから行くでしょ。むしろ貴重な女子社員が、飲み会キャンセルせずに来てくれるなんて、奇跡じゃないの? 「え、だってあたし、従業員ですよ。国枝さんに許可ももらってるけど……ダメなんですか?」 「……いや。あまり俺たちと仲良くしているように見えると、廣瀬さんにとって良くないだろう。それに、若い女がついてきても楽しくないんじゃないか?」  来て欲しくなさそうな言い草だ。みんなで女体盛りでもすんの? なんなんだこの人、顔がいいからって、ムカつくんだが。 「そうですか? あたし、皆さんと親睦を深めたいなーって思ってるんです。今キャンセルするのもお店に迷惑でしょうし」  苦虫を噛みつぶしたように、じっと見下ろしてくる遠藤さんの目は、明らかに警戒の色を宿していた。なんでなのかはわかってる。  あたしがもう一言続けようとしたとき、エレベーターがこの階に止まる音がした。  バタバタという足音が、事務所の前で止まる。ドアベルもけたたましく、元気の塊みたいな人間が飛び込んできた。 「う~っさむさむ! 裏の掃除終わったで~っ!」  明るい声は、お笑い芸人のイントネーションだ。ウィンドブレーカーごと身体をぶるっと震わせて、早坂さんはわたしたちの誰へともなく笑いかけた。  あたしが前にネンジくんと結託して、早坂さんを嵌めようとしたことを、まだ遠藤さんは許してないの、わかってる。ずっとうっすら敵意は感じてるんだ。 「庄助」  それでも早坂さんが入ってきた途端、ふっと遠藤さんの剣呑だった顔つきが緩む。張り詰めていた糸がふんわりとたわむように。あたしのことなんかまるで、最初からいなかったみたいに踵を返して、早坂さんのところへ長い脚で数歩。遠藤さんは迷うことなく、早坂さんの寒さで赤くなった頬を、両手で包んだ。 「寒そうだ」 「せやから、寒い言うとんねん」  本当はジャンケンで負けたあたしが、一階の裏口の掃除担当だった。裏口を出たところの喫煙コーナーの掃除を、早坂さんが代わってくれたのだ。  とくに何も言ってないのに「灰皿触るのイヤやろ、汚いし、外寒いし! 俺にまかせとけって」と、自分だって寒いくせにカッコつけて出ていった。寒いのがダルいだけで、今さらタバコの吸い殻なんて、なんとも思わないのに。ほんとこの人、カッコつけだ。まあ、すごく、いい人だけどさ……。 「何そのシャツの柄。こんなん持っとった?」 「これか? これはツパイだ。ツパイはウツボカズラの蓋の裏の蜜を舐めるついでに、中に糞をするんだ」 「へ~変な動物。カゲには負けるけど」  それにしても、こいつらいつもナチュラルにイチャついてる。遠藤さんが、見たこともないくらい優しい目をして早坂さんの頬を揉む。プニプニ揉まれたまま話すのを、当の本人は慣れきっているのか何なのか、特に咎めもしない。男同士では見ないような距離感だ。  もしかしたら、二人は恋人なのかなって思う。でも、早坂さんはめちゃくちゃ女の子好きだし、それはないのかな~とも。わかんない、付き合ってます? って聞きたいけど、それ聞いて付き合ってなかったらどうすんだよって。  つーか職場の人と付き合うなんて、公私混同じゃん? あたしはイチャつく二人を横目に、もう一度モップで床の黒い汚れを擦り始めた。  もう懲りたんだ、あたしは。ネンジくんのために仕事してたとき、幸せだった。運命の人だと思ってたから。けど今考えたら、色々限界だったよ。  好きな人のためって思えば頑張れたけど、ネンジくんから少しでも優しさが返ってこなかったら、耐えられなかった。オーバードーズもカショオもやっちゃって、こんなんじゃリスカしてたときと変わらんじゃんって。  あたしはどうしても、そういう見返りを求めるような不健康な恋しちゃうタイプだから、決して職場なんかでは― 「庄助。お前ホウキとちりとり、ちゃんとおさめんかいや。出すんはええけど、あがぁなとこに放りっぱなしにしとったらいけんじゃろ」  と、ドアベルが三回鳴るのとともに彼は現れた。スラリと背の高いその男性に、あたしはまたたく間に目を奪われる。ねえあたし聞いたことがあるんだけど、ウエディングベルは三回鳴るんだって。え、だったらこれって、もはや結婚式では? 「あれっ! すみません、俺、片付けてきます」 「アホ、もうワシがやったわ」  そう言ってザイゼンさんは、早坂さんの額を気安くつついた。……は? 早坂そこどけよ、なにザイゼンさんに触ってもらってんだバカ。ていうかザイゼンさん、今日スーツじゃないし、メガネもいつものと違う。おしゃれ番長? ダウンジャケットに太めのジーンズを履いて、カジュアルな格好も似合う~! 素敵だ!

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