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第五幕 二、途絶えた轍に餞を①
庄助が捕らえられる数時間前。
すでに風は強くなり始め、朝にはまだ遠かった雨雲はもうすぐそこまで来ている。湿気が肌にまとわりつくようだ。
事務所のビルの裏手、上司の国枝聖 がいつもタバコを吸っている喫煙場所。窓枠に沿って申し訳程度に据えられた日よけのビニールが、バタバタと音を立てている。
夏の暑さと湿気を、風が一緒に吹き飛ばしてしまったような、涼しい昼だった。
国枝が懐から出した紙巻きに、遠藤景虎 はジッポライターを差し出した。キンと小気味の良い金属の音が鳴る。よほど口淋しかったのだろうか、喫煙場所に来てから、すでにもう二本目だ。
昔から、自分は吸わないというのに、先輩らのタバコに火を点けるためだけに持ち歩いている。しかし、ここ数年でタバコを吸う仲間はめっきり減り、ユニバーサルインテリアでは国枝とナカバヤシの二人だけになってしまった。
そしてもうこの先、ナカバヤシの、小指のない左手が持つタバコに火を点ける機会はない。
「まあ結局、最後までミズタニに関することは何も話さなかったよね。やっぱりナカバヤシさんは仁義に厚い人だ。だからこそ、こうなっちゃったのかな」
「……そうですね」
オイルの匂いが立つ。ジッポの炎は、多少の強風では消えない。たちまちに紙巻きタバコの先端を紅く燃やし、燻る。国枝は、肺の奥に溜まった淀みを吐き出すように、長く紫煙を吐き出した。
「掃除業者入れて、死亡診断書を書いてもらって、家を引き揚げて……人間を一人消すのは大変だよね」
表情には出さないが、長年連れ添った景虎にはわかってしまう。国枝の肩は微かに落ち、その痩せた背中には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
「あの、庄助のことなんですが……」
一陣の風が吹いて、景虎の髪が靡いた。眉と目の間の狭い、彫りの深く整った顔立ちが顕になる。なるべく外見で目立ちたくなくて、子供の頃から伸ばしている前髪が捲れ上がる。
「庄助は、あの萬城静流 って刺青屋の紹介で、織原組に……ユニバーサルインテリア(ウチ)に入ったんじゃないんですか?」
「そうだよ」
国枝は何食わぬ顔で答えたが、景虎の脳裏には庄助の不安そうな顔がこびりついていた。あの懲罰室で、ナカバヤシが残したという言葉について、昨日から考えている。
『お前はよ。自分がなんで織原に雇われたのかわかってねえのか?』
『騙されるなよ庄助、そいつらはお前の―』
景虎がナカバヤシから直に聞いたわけではない。混乱した庄助から又聞きしただけだから、正確性には欠ける話だ。それに、組員同士の猜疑心をあおるため、悪趣味な置き土産とばかりにナカバヤシが与太を言った可能性もある。
しかし、景虎は思うのだ。ナカバヤシはそんな与太を吐けるほど器用でないからこそ、ミズタニの古いヤクザらしい悪辣さ、狡さに憧れてしまったのだと。長年景虎なりに彼を見てきたから、そう感じる。
景虎は顔を上げ、国枝の痩けた横顔を真剣な眼差しで見つめると、言った。
「国枝さん。俺は、とっくに死んでいた命を親父に拾われ、国枝さんに生かされた身です。だから、どう使って下さっても構わない。でも……庄助を巻き込むなら別です」
喉を反らして、国枝が曇天に煙を吐きつける。胡乱な、しかし鋭い目が動き、景虎をゆっくりと捉えた。
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