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第五幕 八、ラフター・イン・ザ・レイン①

 夜になり、激しさをいや増した台風だ。  ビルとビルの間にある『とりのいえ』の屋上へ吹き付ける風は凄まじく、扉を開けるのも精一杯だった。  寸胴鍋のような受水槽の陰から、マズルフラッシュが走る。弾丸は雨を切り裂き、今しがた景虎が出てきたばかりの階段室の壁に当たった。  雨と闇で視界は潰れ、濡れた手は滑る。こんな狂ったような暴風の中では、銃など役に立つはずがない。降り注ぐスコールの中での銃撃戦を経験している、織原組の若頭のような人間であれば別だが。  それでも、当たる可能性はゼロではない。まして、都会の手狭な屋上だ。  靴に、水が染みる。  排水溝が落ち葉やゴミで詰まっているのだろうか。屋上全体が、ごく浅いプールのようになっている。  飛沫が立つのも構わずに、大きな室外機の陰へ走る。雨のカーテンに滲む発砲炎が目の端に見えた瞬間、床に跳弾した破片が、頬をかすめた。 「景虎、楽しいな! 小花さんが死んだのも、雨の日だったなあ!」  ミズタニの弾んだ声が聞こえた。景虎の母は、彼の子供のような笑顔が好きだったという。  確かに、頑是ないのは魅力的だ。景虎は否定しない。他でもない庄助がそうだから。  朝から晩まで、眠っている時以外はずっと動き回っていて、やかましく、意地っ張りのくせに素直で、抱きしめると温かい。  行かなくては。  景虎は、濡れた前髪を掻き上げる。視界がクリアだ。黒いシャツが身体に張り付くが、かまわない、これでいい。雨が降っているからと、狩りができない虎が居ようか。  足音を立てないように、ぬかるみをきつく踏みしめる。混じり気のない赤が足元の水たまりに落ちて、流れて溶けてゆく。  かつて雨の日に転落した母の血も、こんなふうに洗い流されたのだろうか。  あの時、マンションの屋上で……小花さんはうわ言のように『景虎と遠くへ行くんだ』と言っていたよ。  これは、ミズタニが先ほど発した言葉だ。  母さんと二人で、どこか遠くに行きたい。  景虎が願いを言葉にしたことで、母は命を絶ったのだとばかり思っていた。けれどそうじゃなかった。  母が最期まで愛してくれていた真実が、とても嬉しくて、たまらなく痛い。 「景虎! 悔しいだろ、悲しいだろ、なあっ!」  痛みとともに年月を重ねた心は、哀れな老人の笑い声程度では、もはやささくれ立つことはなかった。  身をかがめて受水槽の裏まで辿り着くと、景虎は濡れたタラップへと手をかけた。上へ登ろうと、できるだけ静かに体重を移動させる。 「く……っ!」  待っていたかのように飛んできた銃弾が、スラックスの生地ごと太腿の肉を少し抉り取った。  やはりミズタニは、明確に足を狙っている。追い詰められてなお、簡単に殺す気はない彼の狂気が、景虎をうんざりさせる。  登ることを一旦諦め、円柱型の受水槽の壁に身を隠す。かち合えば死闘は免れない。  ふと、吹きさらしの物干し場が目に入った。物干し台のステンレス支柱が、コンクリートの土台ごと雨に濡れている。そこに、黒い影が動くのが見えた気がした。  景虎は静かに、三発だけ残ったコルトパイソンを構える。ハンマーを起こそうと親指を滑らせたところで、ふと考える。  黒い影が動いた時、飛沫の音が全く聞こえなかった。  幽霊でもあるまいし、そんな事があるだろうか?

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