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第五幕 八、ラフター・イン・ザ・レイン②
「景虎ァ」
頭上から声がした。景虎が顔を上げたと同時に、受水槽の上、二メートルほどの高さから男が降ってきた。
そっちか! 咄嗟に上に向けて構えた。ハンマーを起こし損ねた重いトリガーを絞り込んで、落下してくるミズタニの腹を狙う。が、濡れて力んだ指が、銃口をガクンと下に落とし、マグナム弾は地面を叩いた。
「ぐぅっ……!」
濡れたコンクリートが爆ぜ、水と破片が跳ね上がる。撃ち損じたことよりも、目を閉じてしまったことが判断ミスだ。
舞い上がる雨水とコンクリートの欠片の中、口角を笑みの形に上げたまま、ミズタニの身体が足を突き出すように、景虎の上へ落下した。
その有様は、上空から鉤爪で獲物を狙う鷹を彷彿とさせた。
腕でガードする。落下で体重の乗った踏みつけに近い蹴りが、景虎の銃を地面に叩き落とし、腕の骨をメリメリと軋ませた。
勢いを殺せぬまま、景虎とミズタニは縺れるように、コンクリートの上に転がった。
「……く、はあっ、この……ッ」
力任せに組み敷き、掴んだスーツの胸倉は、大量の水を吸ってひどく重い。ミズタニは銃のグリップの部分で、景虎のこめかみを狙って何度も打ち付けた。目の裏側で火花が散る。飛びそうになる意識を、景虎は気力だけで呼び戻した。
「力が強くなったな、小花さんはあんなに小柄だったのに……はははっ」
身体が揺らぐ。視界が反転して、後頭部に硬い地面が触れる。今度はミズタニに、腹の上に乗られているようだった。
額がぬるい。切れて血が出ている。
目を開くと、老いた鷲鼻の男の向こうの空に、かすかな雲の途切れ目が見えた。
「カタギの……しかも児童養護施設なんかで散々暴れて、もうお前には後がない。お縄になるだけだ、矢野ともども。なあ、僕と一緒にいこう景虎、頼むよ」
雨を吸って垂れてくる前髪を、ミズタニが掻き上げた。スーツの下、スマートウォッチの巻かれた太い手首の先。無骨な手の甲に無数の赤黒い、内出血のような斑点が浮いているのに気づいた。
「……まさか、それ……タイガー・リリーか?」
「ん? ああ……ファンデーションが雨で剥げてしまったな。いい名前だろ? 出資者の僕が名付けたんだ」
ミズタニは、自分では決して打たない男だった。だからこそ、商売人として優秀だった。呑まれたら終わりだと、自分が地獄に落としてきた客の末路を見て、嫌というほど知っているはずなのに。
「覗いてみたくなったんだよ。小花さんの見ていた世界を。僕も彼女の見ていた天国と地獄に、近づきたかったんだ」
ギラギラと黄色く光る結膜には、蜘蛛の巣のように血管が走っている。
その執念を、景虎は哀れに思った。離れていた十七年間の間、この人には何一つ得たものがなかった。小花と景虎のことを想いながら異国で逃げ暮らし、執着を捨てきれずクスリに溺れ、こんなところまで来てしまった。
「かわいそうに……」
つい口をついた。単純に哀れだった。
それを聞くとミズタニは目を見開き、けらけらと笑う。ひとしきり笑ってから、表情を無くした。
「誰に向かって口聞いてんだテメェッ!!」
頬を殴られて口の中が切れたが、景虎の心は冷静だった。このミズタニは見たことがある。母親を小突いていたとき、こういう声を出していたから。
ほんとうに、変われなかったんだな。この人は。まるで、あの雨の日々の遺物だ。
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