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第五幕 八、ラフター・イン・ザ・レイン③
「ヤクザが調子に乗るなよ! どこまで行こうがお前はクソだ、ヤクザの親の靴にこびりついたクソ、ポン中の女の腐れた股からひり出されたクソだ! そうだろ、なあっ」
ミズタニの左腕が、景虎の喉を締め上げた。乾いて、冷たくて、歳を重ねた手。年月が重なっただけの、がらんどうの指が、喉仏を押し潰してくる。
くだらない。どうでもいい。
よほど言いたかったが、もはや億劫だった。銃口は額の真ん中にある。本気であればもうとっくに、引き金は引かれているはずだった。
後ろ髪が、溜まった雨水に揺らぐ。茶番を終わらせるべく、景虎はミズタニの顔をもう一度見返す。
ふと、肌を打つ雨粒が消えていることに気づいた。
吹き付けていた風や、滝のようだった雨が止んでいる。厚く覆っていた雲が流され、真上に星空が見えていた。
「よォ。そこまでだ」
黒い小さな影が、物干し台にもたれて立っていた。黒いスニーカーの足元、痩せた体をカーキ色のレインコートに包んで、彼は縺れる景虎たちを見つめていた。
「……退院は、水曜では……?」
驚いた景虎が思わず口にすると、さも愉快そうな笑い声が響く。
「かははっ! 景虎おめェな、もっと嬉しがれよな。予定より早く帰って来たんだぞ」
星のきらめく暗い空をバックに、織原組組長、矢野耀司 はそこに立つ。
老いた痩身が、まるでヒーローのように見えた。その手には、ぬらりと黒く光る、抜き身の日本刀を携えていた。
「矢野……! 何しにきやがった!」
歯を剥いて、ミズタニが吠える。
「何って……息子が殴られてンのに、黙って見てる親がいるかよ。それに……」
矢野は、レインコートを脱ぎ捨て、刃先をミズタニに向けた。夏の夜なのに鳥肌が立つような、底冷えする昏さをはらんだ目が、ミズタニを捉える。
「お前も会いたかっただろ、儂に」
即座に、ミズタニが発砲した。景虎にではない。矢野に向かってだ。矢野の顔のすぐ脇、ステンレスの物干し竿を掠めて、オレンジ色の火花が散った。
「殺してやる!」
怒りで前のめりになったミズタニの腰が浮く。その隙を見逃す景虎ではなかった。
下半身を強く跳ね上げ、ミズタニの重心を思い切り崩す。揺らいだ右手を、銃のグリップごと掴んだ。
自分の頭から銃口を逸らし、そのまま無理矢理起き上がった。濡れた手首を、関節ごとへし折る勢いで捻り上げる。
「が、ッ……あ!」
握力が消失し、ミズタニが銃を取り落とした。が、それしきで折れる男ではない。スーツの内ポケットに隠し持っていた折りたたみナイフを、景虎の上腕に突き立てた。
「う……っ!」
痛みに怯みそうになる。が、こんなものは何でもない。景虎は、ミズタニの手を掴み、顔面を殴りつけ、抵抗した。
「よくやった、景虎。あとは年寄りの時間だ」
やはり音もなく、矢野は忍びのようにそこに居た。
もう一度、景虎の目を狙ってナイフを振り被ったミズタニの肘から下が、スーツごと吹っ飛んだ。
主を失った腕は瞬く間に脱力し、ナイフは奇妙なほど明後日の方向に転がっていった。
「が……っ、矢野ォ! この、このクソジジイがあッ!」
片腕をなくし、雨水のプールが真っ赤に染まってもなお、ミズタニは矢野に向かって吠えた。
「距離感のわかってねェジジイは、嫌われるらしいぜ。景虎ほど別嬪じゃアねえが、ここは儂の首でひとつ、勘弁しちゃあくれねェか。腐っても組長なンだ」
血脂のついた刀身を、パッと払って矢野は言う。首を渡す気なんてさらさらないような動きだ。
地面に落とした銃を拾おうと蠢く、ミズタニの残った方の手を、景虎が踏みつけた。
痛みに呻くミズタニに向かって、矢野は少し眉尻を下げ、話し始めた。
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