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第五幕 九、毒花、蕾みて①

 気がつけば雨は止んでいて、壊れた壁の間から星が覗いていた。バケットを木屑と粉塵まみれにしたショベルカーが、どこか誇らしげに動きを止めている。  庄助は、昨日調べたあの絵本のことを、ぼんやりと思い出していた。  小さな頃、結末まで読むことができなかった絵本『きみがだれかに食われるまえに』。  もともとは子供向けではない外国の物語を、その凄惨さと美しさに惹かれた訳者が、幼い読者にも届く言葉に置き換えたものだったらしい。  あの話って、ハッピーエンドのつもりで書かれたんかな。作者の考えを答えよ、って国語の問題、苦手やったからようわからん。  手錠のかかった手首を見ると、金属で擦り切れて少し血が出ている。そのことに、もう何の感慨も抱けないほど、この場所には人間の中身があまりにも多すぎた。 「これでもうおしまい? もしかして耀ちゃん(組長)が追ってるほうがビンゴってわけ? ヤダぁ、ミズタニに会いたかったのに、信じられない」  スーツに血飛沫の一つも浴びず、音揃は職員たちを皆、撃ち殺した。庄助を取り押さえていた者たちも、後から入ってきた二名も。それぞれ一人につき、二発ずつの弾丸で。  若頭を名乗るだけのことはある、迅速かつ正確な一騎当千の働きだったが、庄助は恐ろしくて声すら出せなかった。  銃で撃たれるシーンなら、任侠映画でもたくさん見てきた。ネットで出回っている、本当の銃撃戦の映像も、庄助は見たことがある。  それなのに、本物はこんなにも違う。人間には、感触とにおいがある。  鉄と内臓の強い匂い、動かなくなった人間の目が、光をなくすそのスピード。庄助はここに来て初めて知った。  病院着の裾が鮮やかな赤に染まり、端から乾いて色を重く沈めてゆく。  周りの全てを殺してしまった、あの絵本の虎の見た光景も、こんなだったのだろうか。  ほんならやっぱ、ハッピーエンドとちゃうよな。  だって、みんな死んでもーても、世界に二人だけ居ればええなんて、そんなん幸せやないもんな。 「ヒ……ゥ……」  隣から聞こえる泣き声で、庄助は我に返る。メチュは耳を塞ぎ、血の海の中にしゃがみ込んで震えている。遠慮がちに声をかけると、首を激しく横に振った。パニックを起こしているようだ。 「どうしよう……どうしたら、おとうさま……」  人がたくさん死んで、子供が目の前で泣いている。大変なことが起きているのはわかるが、事が大きすぎて現実感がない。  覚悟を決めてここにいるとはいえ、指が震える。庄助は固唾を呑んだ。 「どう? こわい?」  音揃がくるりと庄助に向き直った。ハンドガンを手に持ったまま、こちらに歩いてくる。メチュが身を固くするのが、見ずとも空気で分かった。庇うように身を寄せたのは、ほぼ無意識だった。  人を殺すことを躊躇わない、本物の戦場を見てきた音揃は、味方であるならばきっと頼りになるだろう。だが、後ろにいる少女が今どんな心境にあるかは、想像に難くない。 「……はい、こわいです。めちゃくちゃ」  庄助は震えながら、しかし正直に目を見ながら答えた。それを受け、音揃は満足そうに、にっこりと笑って銃を構えた。 「そう。恐怖を受け入れること。それは戦場において大事なことよ。……個人的なアテは外れちゃったけど、今夜はあんたがMVPね、ひよこちゃん」  銃口が火を噴いた。庄助もメチュも、固く目を閉じた。

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