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第3話

 帰り道、七凪と二人きりになった岳は独り言を言うように呟いた。 「彼女とか沖縄とか、そんなにいいもんかな」 「当たり前だろー。全くこれだからモテ男は。その他大勢男子は彼女が欲しいんだ。モテたいんだ」 「七凪だって男にモテてるだろ」 「おい岳、今すぐその記憶を消し去らないと、頭叩き割るぞ。それにさ」  七凪は抽選券のチラシを取り出すと、そこに書かれている小さな文字を指差した。 「ここに波照間(はてる)島って書いてあるだろ」  岳はチラシに顔を寄せる。  旅行プランには様々な特典が付いていて、その中の一つに沖縄の離島めぐりというものがあった。波照間島は石垣島から船で渡る日本最南端の有人島だ。 「日本の南の果てに行ってみたいのか?」  七凪は岳の方に大きく身を乗り出した。 「違うよ、南じゃなくて空! 波照間島には口径20cmの屈折式大型望遠鏡を備えた天文台があるんだよ。マニアの間で波照間島は、日本で一番星空に近い島って言われてるんだ」 「へぇ、それは知らなかった。七凪って昔から本当に星が好きだな」  七凪は岳の薄い反応におかまいなく、星の話を延々と始めた。  岳は星よりもそんな七凪の目の方がよっぽどキラキラしているのにな、などと思いながら、七凪の話に耳を傾ける。 「絶対に沖縄旅行ゲットするぞ!」  七凪は拳を突き上げ空を仰いだ。  すでにすっかり夜の帳が降りていたが、街中で見る夜空に星はまばらだった。その瞬きもなんだか頼りなさげだ。  そんな中でもシリウスだけは堂々と力強い輝きを放っている。  岳も七凪につられて空を見上げた。 「だったら彼女、早く作らないとな」 「おお、頑張る!」  岳は七凪の横顔にチラリと視線を走らせる。 「がんばれよ」  そうしてポツリと呟いた。  意気込んで彼女作りを始めた七凪だったが、すぐに大きな壁にぶつかった。それは、  そんなに簡単に彼女は作れるものじゃない。  と、いうものだった。  また、七凪は重大なことを忘れていた。 「彼女の前に、俺、今、好きな女の子もいないんだった」  沖縄旅行がいきなり遥か彼方へと遠のいた気分になる。 「でも日本で一番の星空……」  そんな星空を好きな人と一緒に眺められたらどんなに素敵だろう。 「さっきから何一人でぶつぶつ言ってるの、変な子ね」  七凪の母親が食卓にドンと大皿を置いた。皿にはペペロンチーノが山のように盛られている。 「ほら、取り皿は自分で用意して」  七凪は母親の分の取り皿とフォークを食卓に並べる。  七凪の母親はフリーのハンガリー語通訳として働いている。  ハンガリー人のクウォーターである父とは日本とハンガリーの文化交流会で知り合ったらしい。  父が他界してから母一人子一人でずっときたせいか、七凪に反抗期はなく、母親とは仲が良かった。  七凪は商店街の抽選で沖縄旅行が当たったこと、夏までに彼女を作った者がその権利を獲得できること、そして今、七凪には好きな子さえもいないことを母に話した。 「そこの神社の恋の媚薬を適当に誰かに飲ませたら?」  母はこともなげに言った。 「適当にって、それが母親の言うセリフかよ」 「だって七凪、かたちだけの恋人は努力でできるかも知れないけど、好きな人は努力ではできないのよ」 「それ、どういう意味だよ」 「恋に“落ちる”ってよく言うでしょ。誰かを好きになるっていうのは、自分の意思とは関係ないところで起きるものなの。だから、いついつまでに好きな人を作ろうとしたって無理ってことよ。けど、お母さんだったら好きでもない人と日本一の星空を見るより、すっごく好きな人とプラネタリウムを見に行くけどなぁ」  だから、そのすっごく好きな人が七凪にはいないんですけど、と思いながら、頭はすでに媚薬のことについて考え始めていた。  恋の媚薬なんてものを信じているわけではないが、ダメもとで試してみるのもいいかも知れない。  そうしているうちに、悠馬と拓人が手当たり次第に告白しまくっていると言う噂が耳に入ってきた。  こうはしていられないと七凪は神社に湧き水を汲みに行くことにした。  しかし若い女性に混じって男が一人で行列に並ぶのは相当な勇気が必要だった。  列もいつもより長くて神社の階段の下まで伸びている。なんだかジロジロ見られているような気がしてきて、七凪は途中からずっと下を向いていた。  こんなところ知り合いに見られたら何を言われるか分かったもんじゃない。けど、これっきりだと思えばどうにか耐えられた。  媚薬は数滴で効果を発揮するそうなので、ボトル一本分の湧き水があれば十分過ぎるほどだ。

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