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第12話
次の朝、いつもの待ち合わせの場所に岳はいなかった。
風も吹いていないのに、木枯らしに吹きつけられたような気分になって、朝から気分が沈んだ。
約束した通り、岳は夕飯は七凪の家に食べに来たが、食べ終わると七凪の部屋に寄ることもなく、さっさと自分の家に帰って行った。
極めつけはゴールデンウィークだった。
それまでは毎年二人で星が綺麗に見える場所に行って夜空を眺めるのが恒例だった。
去年は二人だけで二泊三日のキャンプをした。山の上から見える星空に、七凪は感激して目に涙を滲ませた。七凪の喜びようを見て、岳は来年もキャンプに来ようと言ってくれた。
それが今年、岳はゴールデンウィークは用事があるからの一言で約束を反故にしてしまった。
一人部屋で天体望遠鏡片手にいじけている七凪を見て母は言った。
「今までずっと岳君が七凪に付き合ってやっていたんだから、たまには岳君だって自分の好きなことをして過ごした
いでしょ」
岳も星を見るのを楽しんでくれていると思っていたが他からはそんなふうに見えていたのかと知り、さらに落ち込んだ。
岳本人に本当のところどうだったのか聞いてみたかったが、そんな雰囲気ではなかった。
今年は何をするのかと聞いた時、「いろいろ」と答えた岳の言葉にしないもう一つの返事が「今年は七凪と一緒に過ごしたくない」と言われているように聞こえた。
「なんだか元に戻ったというより、前より距離ができた気がするんだけど」
七凪は自分の部屋の窓から岳の家の方を見て呟いた。空はどんよりと曇っていて、星も月も見えなかった。
今の時期から夏の終わりくらいまでにかけて、シリウスは昼間に天上に上ってくるので見ることができない。
何もかもが七凪の気持ちを沈ませた。
岳が七凪から離れていくように思えて仕方がなかった。
媚薬の効果が切れて一安心のはずなのに、七凪の気持ちは晴れるどころか、今夜の空のようにどんよりと曇っていた。
岳への罪の意識から解放されて軽くなるはずの心は、水を吸ったように重かった。
ゴールデンウィーク明け、七凪は教室の窓から岳が男子一番人気の白鳥さんと校庭を一緒に歩いているのを見た。
二人は二年でも同じクラスになった。どこからどう見ても美男美女のお似合いのカップルに見えた。
心なし、岳の彼女を見る目が優しい気がする。
もしかして、岳はゴールデンウィークは白鳥さんと一緒だったのだろうか?
そう思うと胸がざわついて落ち着かなくなった。
所在なさげに彷徨う視線が窓に映った自分の姿をとらえた。
身体のどこを探しても柔らかそうな曲線がない、どこからどう見ても男だ。
こんな自分とエロいことができるなんて蓮たちは目が、いや頭がおかしいんじゃないか。七凪に告白してきた男たちは、元々男が好きな人種だったに違いない。
けど岳は……、岳は目も頭も悪くなければ、男を好きになるような男じゃない。それは子どもの頃からずっと一緒にいる七凪が一番よく知っている。
岳がずっと彼女を作らないのは、ただ単に理想がびっくりするほど高いからだ。
前に一度だけ岳に好みのタイプを聞いたことがある。
その時、岳はこう答えた。
身長が170センチ以上で、人が振り返るほどの美人。
それって日本人じゃモデル並みの女だろ。自分がモデルみたいだから相手にも同等のものを求めるというやつか。
そびえ立つ山のように理想の高い岳が、山の麓のその他大勢みたいな、それも同じ男の七凪を好きになるなんてことは絶対にないのだ。
恋の媚薬でも飲まなければ。
恋の媚薬……。
七凪は再び窓の外の岳と白鳥さんの姿を目で追う。
岳の普段の鋭い眼光はすっかり影を潜め、その瞳は穏やかに彼女に向けられている。
『しっかり巻いておかないと首元寒いだろ』
朝の神社で七凪のマフラーを巻き直してくれた時の、七凪を見つめる岳の瞳。
『七凪の部活が早く終わったら、俺を待ってないで先に帰れよ』
真っ黒なクマのできた岳の目は、ただひたすらに優しかった。
『もう怒ってない?』
『べ、別に最初から怒ってなんかないよ』
『よかった』
二人ともずぶ濡れなのに傘をさし、七凪に傘を傾けてくれた岳。冷えた身体を温めてくれるようなあの時の岳の笑顔。
もう今は七凪に向けられることのないそれらが、七凪の胸の内側を甘くかじる。
恋の媚薬……。
あれを飲んだら、岳はまたあんな目をして七凪を見てくれるのだろうか。
あんな、春の木漏れ日みたいな優しい目をして。
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