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第16話
「知らなかったって、凪が自分で汲んで来たんじゃないのかよ。神社で夜に会った時も汲んでただろ。前に七凪の部屋にもおいてあったし」
やっぱりあの夜のことはバレていたのだ。そりゃそうだよな、って、最初の時も岳は湧き水って分かっていたのだ。
ここで七凪は自分がとんでもない失敗を犯してしまったことに気づく。
神社の湧き水は恋の媚薬として話題になる前から、近所の人たちに飲料水として飲まれていた。便秘に効くとか、ご飯を炊くと美味しくなるとか近所のおばさんたちが言っていた。
だから湧き水を岳に飲ませることはそれほど変なことではなかったのだ。血液を混ぜたといっても、爪の先ほどもない量だ。絶対にバレることはない。
だから平然としていればよかったものの、後ろめたいものだからついつい嘘なんかついてしまい墓穴を掘ってしまった。
「な〜んか怪しいな七凪。俺に何か隠してるだろ」
「か、隠してなんか」
ある、大ありだ。なんて言えるはずもなく、掘ってしまった墓穴を埋める方法を懸命に考える。
「で、なんで俺が七凪を半殺しにするんだよ」
さっきの聞こえてたんじゃないか!
「なんか拭くもん持ってこいよ」
岳は割れたガラスの破片を集め始める。
「あ、いいよそれ、俺がやるから、岳は座ってて」
七凪も慌ててしゃがみこみ、破片を拾う。
「痛てっ」
岳はガラスで切ったのか、指先を口に含んだ。
「だ、大丈夫?」
七凪は岳の顔を覗き込む。岳は指を咥えたまま、どこか一点を見つめたまま動かない。
「絆創膏持ってこようか?」
岳の瞳孔が一瞬膨らんだように見えた。
その瞳が七凪を捉える。
「媚薬……、もしかして恋の媚薬か?」
岳は呟いた。
七凪は金縛りにあったように身体が固まる。
「七凪、もしかしてお前、俺に恋の媚薬を飲ませようとしたのか?」
否定しなければと思いながらも、全身がカッと熱くなって、頭と口が上手く回らない。
「ち、ちがっ……」
でも、ここまできたら、もうどんな言い訳をしても完全に岳の疑惑を払拭することはできないように思えた。
そして全てを白状して謝るなら今だと思った。
七凪は腹をくくった。
「ごめん! 岳」
七凪は床に頭を擦りつけた。
「最初は事故だったんだ。俺の部屋にあった岳が飲んだあの湧き水、あれ、恋の媚薬だったんだ。沖縄旅行をゲットするために彼女を作らないといけないと思って、媚薬の力を借りようとしたんだ。でも岳が飲んじゃって……」
七凪の言葉が途切れる。
ここまではいいのだ。問題はここからだ。
「岳を……、失いたくなかった。媚薬が切れた岳はなんだかすごくそっけないというか、岳が俺から離れていくような気がして……。それでまた媚薬を飲ませたら、元のように仲良くなれるかと思って」
「それで今日、こっそり俺に飲ませようとしたんだ」
「……。今日で二回、いや最初を含めたら三回目だ」
七凪はチラリと岳の反応をうかがった。
岳は、ふっと鼻で笑った。
別段怒っているようには見えなかったが、その目は全く笑っていなかった。
七凪の心臓がぎゅっと縮む。
自分は岳の優しい笑顔を永遠に失ったかも知れない。
そう思うと、心がボロボロと崩れ出した。心の声が涙となって七凪の目から溢れ出す。
「ごめん岳、男の岳に恋の媚薬飲ませるなんて、気持ち悪いことしてごめん。でも、なんか俺、途中から訳が分かんなくなってきて。前に岳言っただろ、好きでもない人から好きになられても困るって」
七凪はずびっと鼻をすすった。
「俺、岳に好きになられても、ぜんぜん困らなかったんだ。先輩の時は困ったのに、岳は困らなかったんだ。それだけじゃない、サッカー部のみんなが俺とエロい想像してるの気色悪いと思うのに、岳だけ思わないし、この前の耳だって、あんなの絶対変なのに、岳は媚薬を飲んでるから仕方ないけど、俺は飲んでないのに、それなのにぜんぜん嫌じゃなかったし。お、俺、なんかもう変なんだよ。岳がもう優しくしてくれなくなると思うと、なんか胸がぎゅうって締めつけられるように苦しくなって、そんなの嫌だ、絶対嫌だって、気づいたらまた岳に媚薬を飲ませてたんだ」
まだ、岳に伝えたいことがあるのに、みぞおちからせり上がってくる嗚咽がその邪魔をする。
「七凪……」
それまで黙って七凪の話を聞いていた岳が口を開いた。
七凪はピクリと跳ね、恐る恐る岳の次の言葉を待つ。
「七凪のそれは媚薬のせいだ」
七凪は岳の言っている言葉の意味がよく分からず混乱した。
「媚薬? 媚薬って飲ませた方にもなんか作用があるのか?」
「違う、そうじゃない……」
岳は細く長いため息をついた。
「俺も七凪に媚薬を飲ませたんだよ」
「へっ? 媚薬を飲ませたのは俺の方だけど」
「だから、俺も七凪にこっそり媚薬を飲ませたんだってば、七凪に好きになってもらいたくて」
ここでようやく七凪は理解した。
「それ、いつ?」
岳が最初に間違って媚薬を飲んで、すぐのことだった。
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