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At the gymnasium storeroom 体育館裏の倉庫3

 楽しげに浴室へ向かった猫頭の執事は、どうやらいま、湯船にお湯を張っている最中らしい。どぼどぼと水の溜まっていく音が、執事の鼻歌と共に遠く響く。あいつの尻尾は、きっと楽しげに揺らめいていることだろう。  浴室へ去って行く時に、お尻に尻尾がついているのは確認した。あれは何の素材で出来ているのか。動きといい毛の感じといい、頭同様、やけに本物っぽかった。 「ごめん周央。俺、ちょっと混乱して」  ようやく両手を下ろした周央に、俺は謝罪した。 「激しくツッコんじまって」 「……突っ込む」  再び周央の頬が赤く染まり、両手で覆われた。おいおいおい。 「あれー、もしかして『ツッコむ』が、別な意味に聞こえてる感じ?」 「……」  返事が無い。ただの屍か。話が進まねえ。 「周央? 周央さーん?」  両肩に手を置き、正面から軽く揺さぶると、手は外れたものの、ぷい、と別の方向に顔を背けられた。 「……ヤらなきゃ出られないんなら、ヤるっきゃない。仕方ないんだから……お前も覚悟決めろ」  今度は目を合わさず、声低く凄まれる。もちろん、全然怖くはない。そもそも周央の声はそんなに低くないし、無理して低くしても頑張ってる感が出るだけで、可愛いという感想しか出ない。残念ながら、可愛い系美人は、何をやっても可愛い。  全く。周央は相変わらず、顔に似合わないレベルで口が悪い。見た目が可愛らしいので、ナメられるのを防ぐ為の口調かと思っていた。  どうやら思い違いだったようだ。たぶん、ヤりたい相手に対して続けて得するような態度じゃないだろうから。  いや、別に周央のヤりたい相手が俺だと決まったわけじゃない、偶々ここに一緒に来ることになって、偶々、カップル認定されただけって可能性もあるよな? 周央も、いま「仕方ない」って言ったよな?  自惚れんなよ俺。いやどっちだ、周央はヤりたいのか? 他の誰でもない、俺と? 「周央さ、ヤる、ってどういうことなのか分かってる? 方法も」  しかも、男の俺とだ。  俺が知ってるのは、部活の合宿中ちょっと話題になったのを聞きかじった程度。普段出す専用の場所に、入れる。入れられる側は痛そうだ、という印象が強く残っていた。  ただの興味本位では、俺はできない、とも思ったのだった。そう、興味本位ではきっと難しい。  そして“想い合うふたり”。 「そもそもさ、周央は俺のこと」 「準備してくる」  周央は俺の手を払い、浴室へ向かって行ってしまった。真っ直ぐに伸びた後ろ姿は、いつも通り美しい。 「いつも通り、か」  いつも。周央は、いつも俺のことどう思ってたんだ? 「マジかよ周央……」  真っ赤に頬を染めた周央を思い出して、首から上が、かっと熱くなる。ベッドに腰掛け、勢いよく仰向けに倒れた。  寝転がったまま首を傾け、部屋を見渡す。話を聞いた後だからか、ますますラブホにしか見えない。残念ながら、一度も行く機会に恵まれたことは無いのだが。  噂で聞いたり、AVで観たりしたような、テレビやゲーム機やカラオケの類は無い。壁一面の鏡やミラーボール? 等々、天井に仕掛けがあるわけでもない。もちろん、三角木馬や磔にする専用の壁も手錠も大人の玩具もそれらを売ってそうな自販機も――他にも何かあるのかもしれないが、知識が追いつかない――、とにかく見当たらない。  何がラブホっぽく感じさせるのか。  あ、照明か。はっきりと見えない、薄暗い、少しピンクというか、紫がかった光。後は、ベッドの色と質感だろうか。こちらは濃い紫、すべすべ、さらさら、蕩けるようなシーツに覆われている。  シャワーの音がやたら大きく響く。実は、ガラス張りの浴室の方は、絶対に見ないようにしていた。  あー、エロい。くそエロい。自分を取り囲む状況だけで下半身が疼くのは、きっと童貞だからだろう、そうだ、きっとそうだ。  俺は目を閉じた。  何なんだ、あの周央の態度。照れ隠し、投げやり、どっちだ? “想い合うふたり”が、どうしても引っかかる。  周央にとって、この状況は嬉しいのだろうか。それとも、乗り越えなきゃならない試練? いやいや、試練って。  赤くなるのは、俺に惚れてるからか、それとも単に、エロいことをしなくちゃならないのが、恥ずかしいのか。  ん、ちょっと待てよ? 向こうの覚悟ができてるってのは良いとして。いや、良いのかどうなのかは良く分からないが。  俺だ、俺はどうなんだ。完全に流されてないか?  俺と周央は、付き合いとしては短い方だと思う。最初の出会いは、入学説明会だ。  体育館、大勢の新入生がいる中、一際目を惹くどえらい美人がいた。  遠目からでも分かるくらいに透き通った白い肌、二重まぶたの目。筋の通った鼻に、厚めの唇。他の奴らより少し色の明るい、柔らかそうな短い髪。身長は決して高くないのにすらりとして見えるのは、背筋が綺麗に伸びているせいだ。姿勢が良い。  指示されていた場所へ向かっている最中だった俺は、美人の立っている場所が俺の目的地に近いこともあり、胸をときめかせて近づいていった。  だいたい、目的地に近い場所に立っているなら、その可能性を考えなかった俺がアホなのだ。  男女共にブレザー、ネクタイだから、上半身は男女同じ装い。“彼”の下半身は、スカートではなくズボンに包まれていた。  男子生徒だった。無駄に失恋気分を味わったのを憶えている。  周央とは同じ、一年一組になった。席は遠く、挨拶もたまにする程度。姿勢は良いのに、顔は俯き気味、綺麗な目は伏せられ、こちらと視線が合うことは滅多にない。話しかけられれば誰とでも話はするが、常に一線引いている。  俺のことなんて、眼中にないんだろうな。  そう思うと、だんだん接触を試みるのが億劫になった。  俺は同じ中学出身の斉藤に声をかけ、一緒にサッカー部に入った。クラス内では、同じ部活の奴らとつるみ始めた。  周央との接点はほぼ無く、遠くから眺めるだけの、ただ気になるクラスメイト、で終わりそうだった。  転機は、わりとすぐに訪れた。  うちの学校では、学年全体で成績順、上から三分の一の生徒の名前と各教科の得点が、廊下にずらりと張り出されるという、上位者にとっては楽しかろうが下位の人間には酷な仕打ちが行われる。  その日は、入学一週間後に行われた実力テストの結果が張り出された日だった。  休憩時間、トイレからクラスに戻ろうとしていたら、廊下の途中でうちのクラスの担任だった岬先生が、生徒と談笑していた。どうしてだか、一組の生徒の大半がそこにいた。  岬先生は、肩につかないくらいの長さのふわふわの髪、少し低めの身長、ぽっちゃり体系で、話し方も物腰も柔らかい。一見ナメられそうにも見えたのだが、結局皆に尊敬され愛されていた。  彼女は、俺達が二年に上がる前に、留学先に戻るという理由で残念ながら学校を辞めている。  思考が飛び過ぎた。  とにかく皆が集まっていたのは廊下の張り出しの後ろの辺りで、よくよく見ると、 「……俺かよ」  ぼそりと呟く。俺の名前の前だった。隣には、周央の名前、同じ順位。  俺と周央が、「取った点数の配分は文系理系ほぼ反対なのに、総合点は同じなのが面白い」、という話だったらしい。周央も、困惑した表情で立っていた。連れて来られた、というのが正しかったのかもしれない。  そりゃ、学年全体だと上の下くらいの成績だ。戸惑わない方がどうかしている。 「貴方達、ふたりでひとりなら良いのに」  ふたりでひとり?  耳に残る、不思議なフレーズ。ふたりでひとり。一瞬、何のことだか分からなくなった。  俺が反応しなかったせいだろう、先生は、俺と周央の点数を指差した。  なるほど、点数のことか。俺は文系、特に英語が大の苦手。周央は理系、物理化学数学が苦手。  お互いに教えあえばちょうど良いんじゃない? と何処かから聞こえてきた。 「そうね、それ良いかも! でもいま言った子、誰? 人のこと言ってる場合?」  先生の返しに、皆がどっと爆笑する中。  俺は、周央と見つめ合っていた。この時初めて、確かに周央の瞳の中には、俺が映っていた。  大きめの瞳は真っ黒ではなく、淡い茶色だということを初めて認識した。ああ、こんなところも色素が薄いのか。  吸い込まれそうな、不思議な感覚を味わう。 「……一緒に、勉強してみるか?」  ようやく発した言葉に、周央はこくりと頷いた。  そんなわけで、サッカー部の活動がない火曜・木曜の放課後と土曜日の午前中、先生から許可をもらって、教室内で勉強会をすることになった。つるんでいた奴らも、最初の頃は一緒に勉強会に参加していたが、ひとり、またひとりと抜けていき、気づけば、俺、周央、斉藤、福井――こいつもサッカー部だ――の四人でいることが多くなった。

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