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Like honey はちみつのように5

 嫌わないで。行かないでくれ。  逃げようとする周央の腕を掴んで、俺の胸に引き寄せる。腕の中に、周央がぴったりと嵌る。パズルのように、磁石のように。  やっぱり、俺達はひとつになれるんだ。  俺は安堵する。  だが、周央は泣いている。懸命に何かを訴え、泣く。  俺は泣き止んで欲しくて、周央の頬に両手を添え、親指で涙を拭き取る。  それでも溢れてくるから、しょっぱい涙を、唇をつけて吸い取る。  周央の綺麗な瞳に、俺が映っているのが見えて。  ふんわりと柔らかい唇に、キスをする。舌を出すと、口をわずかに開き、迎え入れてくれた。深く深く、舌を侵入させる。鼻の奥まで届く、甘い香りに酔いしれる。  抱き寄せた時の、あの匂いだ。そして…… 「……そしてって何だよキスなんてしたこともないくせにどんだけ妄想力鍛え上げてんだこの万年童貞野郎があぁぁぁぁぁぁぁ」  布団で口を覆い叫びを吸収させる。ここまで克明に見て、憶えている夢は初めてだった。  股間のあたりにもの凄い違和感。これがエロい夢を見た結果だ。相手は周央だけど。男だけど!  性別どうでも良いのか、俺? 男でもいけるのか、俺?  小さな戸惑い、混乱。対して、大きな興奮と、沸き立つ欲情。  嫌悪感はまるでない。だって現に、べっちゃべちゃに濡れたパンツがあるしな。  周央は、時折話しかける斉藤や、委員長には反応するのに、相変わらず俺を避け続けていた。  どうして他の奴ばかり相手にするんだ、俺よりも、そいつらの方が良い? もう、俺とは話したくない?  冷たくしないでくれ。離れないで、傍にいて欲しい。これまで通り、友達でいて欲しい。  これまで通り、友達?  本当に、そうなのだろうか。  例えばこの夢の相手が斉藤だったとして……あー、ないないめっちゃ萎える、冷水ぶっかけられた後、冷凍室にぶち込まれるくらい縮こまる!  間違いなく、周央だからこうなった。  これは、この気持ちは何だ?  昼休み。俺と斉藤が、弁当を持って周央の机に移動する。近くの椅子を周央の机に寄せていた時だった。 「体育館裏の倉庫の掃除、マジでお前らばっかなんだな」  弁当箱を机に置いた周央の肩が、微かに揺れる。 「五月から毎週お前らが行ってるだろ。交代しないのか?」 「別の日に体育委員の先輩達が試してるらしいんだけど、相変わらず、俺達しか入れないみたいで」  だから俺達が毎週当番だ。別に文句など無い。言葉も交わさずにただ掃除するだけだが、いつも俺を避ける周央が、その間だけは傍にいさせてくれる。 「ほらあれじゃね、ロッカーのヒロシ君に、好かれてるわけよ俺達。だから他の奴らは入れない、と」 「それにしちゃ未だにヒロシ君情報を持って帰らないよなお前。不敬すぎて呪われたりしねえの?」 「この通り、元気ぴんぴんだ!」  何がぴんぴんなんだか。自分の言動が痛々しいと自覚しつつ、 「な、周央!」  周央の反応を確認。真っ青な顔で、下を見ていた。ああ、やっぱ駄目か。俺、うざいんだろうな。 「周央君」  委員長が近づいてきた。 「周央君、たまにはこっちで一緒に食べない? 女の子に囲まれてさ」 「……ひばりさん」 「ね、気分転換」  周央が、顔を上げた。委員長に向かって、明らかに安堵の表情を浮かべる。頬に血の気が、僅かながらに戻った。  つか、ひばりて誰。何でだ周央、こんなぽっと出の女に。苛々する。  委員長が、周央の肩に触れようとする。  触るな。  暴力的な衝動を、抑えきれなかった。手を伸ばした、瞬間。  手首が掴まれ、ぐんっ、と引っ張られたと認識した時には身体が浮き、 「っ! げぇほっ!」  どすっ、という派手な音と共に生じた背中への衝撃で息が出来ず、盛大に咳き込む。 「ああ、すまんすまん思わず手が出た。つかお前、受け身取るの下手だな」 「……んな突然、げほっ、教室内で反応できるかよ! いまの何だ!?」 「そりゃこっちのセリフだ」  斉藤が、俺を見下ろしていた。教室中が騒めいている。怒りより何より、驚きが勝る。斉藤が、俺を投げた? 「まあ、教えてやらんこともない。お前の手首を掴んで捻って転ばしてやった。小手返し。ちなみに俺の実家は合気道の道場で、俺は、合気道三段だ」 「はあっ!? 初耳なんだけど!」 「いま初めて言ったから当たり前だな」 「それでなんでサッカー部」 「うちの学校、合気道部無いだろ。それに、サッカー部の方が確実にモテると判断した」 「身も蓋もねえな! つか、何で突然こんな」 「それをお前が言うのか? 自分が何をしようとしてたのか、分からなかったとは言わせねえぞ」  表情が変わってないのに圧が凄い。 「っ、すまん」 「俺じゃなく、委員長に謝れ」  委員長が斉藤の後ろからひょいと、顔を覗かせた。 「……すまん、委員長」 「ううん、私の方こそごめんね。当麻君が思ってるようなつもりじゃないから」  本当に申し訳なさそうに、首を横に振る。 「お前、まさか気づいてなかったのか……こりゃ、いちから説明が必要か?」  斉藤が、がしがしと頭を掻く。 「当麻、だいじょぶ?」  俺の頭の横に、制服のズボンに包まれた膝がふたつ、並ぶ。    周央だ。 「びっくりした。すっげー綺麗に転ばされたから。痛くない?」  周央が、俺に視線を合わせてしかも心配してくれている。こんなのいつぶりだろう。  あああ、俺、転ばされて良かった!  周央の、白くて長い指が、俺の方へ差し出された。ふわりと香る、美味しそうな甘い匂い。その指先を、口に含もうと……  ぱしん、と額を叩かれた。やや浮かせていた上半身のバランスを崩し、俺は再び床に伸びる。犯人は、周央の反対側にしゃがんだ斉藤だ。せっかく、周央が近くに来てくれたのに。 「痛ってぇ! 斉藤、何てことす……」  かっとなって怒鳴ろうとした俺の前で、斉藤は大きく息を吐いた。 「繰り返しになるが、それをお前が言うのか? いい加減目ぇ覚ませ! 俺はどこまでお前の面倒を見れば」 「ごめんっ」  周央が、斉藤の腕を掴んだ。可哀想なくらい真っ青な顔で、ぶるぶる震えている。 「僕のせいだから! 当麻は全然悪くなくてっ」  俺の行動を見て何かを考え、謝ったらしい。どうして周央が俺の行動を謝るんだろう。斉藤も俺も、首を捻る。 「おいお前らー、喧嘩か?」  誰かが呼び出したのだろう、担任の末田先生が教室に入ってきた。 「違いますよ、当麻君が寝ぼけてたんで起こしてあげただけです」 「逆に寝かせてるように見えるのは、先生だけか? 斉藤」 「まっさか、先生。ほらこの通り」  腕をぐいーっと引っ張り上げられ、立たされる。いままで気づかなかったが斉藤って、結構力あるな。 「大丈夫だな?」  末田先生は、俺と斉藤、周央と、周央の肩に手を置いている委員長にそれぞれ目配せする。皆が頷いたのを確認して、教室を後にした。  末田先生に気を取られた隙に、委員長は周央を連れて行ってしまった。 「……おおい、理性をどこに落っことしてきたんだお前は、あぁん?」  小声で凄まれる。斉藤、ガラ悪いな。 「近頃は察しも悪いときた。いつもならいちいち説明しなくてもお前、気づけてたろうに。ぼろくそだぞ、掃除行き始めてから。あーもうマジで体育館裏の倉庫、呪われてんのかねえ」  がっかり、という口調だ。耳に痛い。 「察しのいいお前が好きなのに」 「斉藤から好きとかサブイボしか立ちませんよ」 「奇遇だな俺もゲロ吐きそうになったわ」  斉藤はさっさと席に戻り、食べかけのパンを頬張り始めた。いまゲロとか言ってたくせに。しかもその話題はそこで打ち切り。自分で考えろ、ってことなのだろう。  放課後。クラスメイトの数もまばらになった教室で、委員長の席に斉藤が椅子を二脚寄せて、俺を待っていた。 「あの自習時間の後からだよな?」 「ようやく脳みそまで到達したか、この脊髄反射バカが」 「うん、ごめん」  斉藤も、委員長も、本気で周央を心配してくれていただけだったのだ。自習時間の一件の後、俺が周央ばかり見ていた間にふたりは協力関係を結んだらしい。そして、委員長は俺の知らないところで、周央をサポートしてくれていたようだ。 「私こそ無駄に嫉妬させちゃって、ごめんね」 「嫉妬?」  思いがけないワードに固まる。委員長は、怪訝そうに俺を眺めた。 「ああ、この辺りが鈍いのは最初からだ、すまない委員長。もう少しだけ見守ってくれ」 「そう、了解……最初って、いつ?」 「入学説明会」 「えっ! そんな初っ端!」 「入学説明会の日、ずっと美人がいた、美人がいた、でも男なんだけど、でも美人なんだよな、って当麻、くっそ煩かったんだ」 「そんなに……」  委員長は頷きながら、俺を憐みの目で見る。 「中学一年以来の同クラなのにすっげえ話しかけてくると思ったら、美人が美人がばっかりで。通常授業が始まっても、毎日毎日、周央の方ちらちら見たり話題にしたりして気にしてるし、なのに声はあんま掛けねえし、童貞臭くておんもしろいやつだなぁって。だから俺、お前とつるむようになったんだぞ」  童貞臭いとはなんという言い草か。 「周央も、最初はいつも不機嫌そうな感じで、表情変わんねえなあって思ってたら、動きがあって」 「へえ、いつ?」 「一年の時、福井ってやつが会話の途中で偶に、エロネタぶっ込んできてたんだけど、そういう時、いつもよりほんのちょっと眉と眉の間に皺が寄って、少し涙目になってたんだ。特に当麻が女子のあれこれにコメントしてる時。何回か見てて、ああそういうことなんだな、と」 「へー、そういうことね!」 「あとはこいつだと思う」 「そうね、確かに当麻君次第かも」  ふたりはうんうんと頷き合う。 「……なあ、ふたりとも何の話をしてるんだ?」 「ありゃ、これでもまだ駄目か。お前、そっち方面になるとほんっと、途端に鈍くなるな。ラノベの主人公かっつう」 「あ、分かるー!」  委員長は嬉しそうに頷くが、俺は斉藤の言っていることがさっぱり理解できない。だが、ネタにされてるってのだけは分かるので、いたたまれない。 「とにかくごめん、委員長。あと、ありがとう」 「どういたしまして」  俺の口調が多少つっけんどんなのは、しょうがないと思う。昼休み、委員長に対して感じた苛立ちは、実は未だに治っていなかった。でも、俺はこの苛立ちの正体を、もうすぐ掴めそうな気がしていた。

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