22 / 33
It’s too late to be sorry 謝っても、もう遅い7
僕も咄嗟に右手を広げ、セバスに杖を要求した。すとん、と掌に柄の感触があって、それをぎゅっと握りしめた。
「ほおう、抵抗するか」
恭一郎さんが、僕の杖を目視した。
宮野さんと井川さんは、後ろで狼狽えている。僕が抵抗するなんて、思ってもみなかったのだろう。
僕は、円環を閉じて準備が整った魔法陣、ひとつひとつに杖の先を向け、力を整える。
辺りが白く光り始めた。
「そうか……直、お前は私が乗り込み魔法を使うことを想定して、対抗の魔法陣の準備までしていたということか」
恭一郎さんは、ふうっ、と柔らかく息を吐く。困ったような、呆れたような表情。
「愚かな子だねえ、全く」
恭一郎さんの、杖を持った腕が動く。
「我が名は樫、堅牢なる樫」
始まった。僕も遅れまいと、早口で詩をまくし立てる。
「大地の女神よ、四方を司りし
春に芽吹き繁る樹木の守護者
夏に盛る太陽の火の守護者
秋に荒ぶり吹きし風の守護者
冬に湛えし水の守護者」
「大地の女神に付き従う、結界を統べる者の名において希う」
くそっ、相手が先に詠い終わる前に!
「我、周央直、大地の女神に恩恵を授かりし
森の守護と結界の担い手の名において
この場の負の気を祓い去り」
杖で、払う仕草をした後、杖先を天井へ向けた。
「その身を解き、我に全てをさらけ出せ」
恭一郎さんが詠い終わるのと同時に、
「防御の力で我を助けよ!」
僕も詠い終えた。
がきんっ、と固くぶつかる音が響く。
陣は崩壊せず、白い光を保っている。魔法は正面衝突したが、どうやら完全に押されたわけではなさそうだ。
僕はすかさず次の詠いに入った。
「来たれ、来たれ樹の女神
我は求めん、丸葉柳の力強さ
その不動の強さを
来たれ、来たれ狩人の男神
我は求めん、境界を隔て
守り通す強さを」
「我が名は樫、強固なる樫」
恭一郎さんも、次の詠いに入る。間に合え、間に合え!
「大地の女神に恩恵を授かりし
森の守護と結界の担い手の名において
強化の力で我を助けよ!」
陣の光が強くなり、恭一郎さん達の姿が見えにくくなる。
「……っは、何か向こう、呪文短くね? しかも樫ばっか!」
僕は振り向き、当麻を見る。どうやらいままで、手で口を塞ぎ、喋るのを我慢していたらしい。
「良い子」
当麻の頬を撫でる。当麻は少し赤くなった。
「直の良いところ項目に、イケメンも追加しといてやるよ」
「それはありがたい。他の項目は、まあ聞かない方が無難だねきっと」
「何でだよ聞けよ」
当麻の手を取り、もう一度口のところに戻す。案の定、黙ってくれた。
「力のある魔女なら、詩をある程度省略しても効果は同じにできるし、恭一郎さんは、樫の木から特別な守護を受けてる。そういう契約を結んでる、というか、結ぶことがで き る んだ。僕とは格が違う」
だからこそ、負けは確定事項だ。光の向こう側から、恭一郎さんの声が朗々と響いてくる。
「大地の女神に付き従う、結界を決する者の名において希う
その身を壊し、我に全てを差し出せ」
陣の光が弱まり、再び向こう側が見えるようになった。強化した分が、無効化された。
「直、これからどうする? このような、先を見据えていない、意味も無いことを、いつまで続けるつもりだ?」
恭一郎さんがふん、と鼻で笑う。
「所詮は拾い子か。お前のその気性は、実の親の姿を垣間見せるね」
僕は唖然とした。恭一郎さん、こんなことを言う人だったのか。
「無計画に産み、放棄した不実な……」
「来たれ、来たれ野の女神!」
頭に血が上る。
「我は求めん、野薊の拒絶を
その棘の鋭さを
来たれ、来たれ狩人の男神
我は求めん、仕掛けを作り
獲物を仕留める賢さを」
黙れ、黙れ黙れ! 何も知らないくせに、勝手なこと言うな!
「大地の女神に恩恵を授かりし
森の守護と結界の担い手の名において
防衛の力で我を助けよ!」
魔法陣の光が赤く染まる。
「……お、直、大丈夫か?」
は、と気づくと、当麻が僕の両肩を支えている。一瞬、意識が飛んだらしい。
ああ、ここまでして、何をしてるんだろう僕は。当麻を困らせて、他人を巻き込んで。
それに、恭一郎さんが本気であんなこと、言うわけがない。僕が言わせたんだ。
恭一郎さんが、魔法発動の為に、杖先を再度僕に向けて構えた。
「……やめて、恭一郎さん! そんなことしたら」
野薊はトラップ系の魔法だ。人を傷つけることを良しとしない魔女の魔法の中では、希少な反撃魔法。
「教えたはずだ、直。放たれてしまった矢は、放つ前には戻らないのだよ」
ふ、と息を吐いて、
「我が名は樫、強固なる樫」
赤い光が、弓矢のように一斉に恭一郎さんめがけて飛んで行く。
「恭一郎さんっ!」
恭一郎さんの白いローブがところどころ切れ、頬や額からうっすら血が滲んだ。良かった、事前に防御魔法をかけていたらしい。見た目とは違い、身体へのダメージは小さかったみたいだ。
まともに食らったら、もっと、血が流れていただろう。今更、動悸が激しくなる。
恭一郎さんは詠いを続ける。
「大地の女神に付き従う、結界を決する者の名において希う
その身を壊し、我に全てを差し出せ」
野薊の赤い光が、僕達を守っていた白い光の囲いもろとも消え去る。
詠わなくちゃ。
「来たれ、来たれ森の女神」
当麻が、僕の肩に置いた手に、力を込める。伝わってくる熱で、確信を得る。当麻の“愛してる”は、本当の気持ちなのだろう。僕を、求めてくれた。きっと真剣に、心の底から僕を欲してくれた。
身体が、歓喜のあまり震えるなんて、絶頂に達するなんて、知らなかった。
当麻との交歓は、僕にとってあまりにも、分不相応だった。身体だけでも繋がりたいなんて、望んじゃいけなかった。僕が何かを欲してそれを得ようなんて、烏滸がましいにも程がある。
僕は本当に無責任だ。当麻を置いて、遠くへ行く。後はきっと、恭一郎さん達が当麻をどうにかしてくれるだろう。
「我が名は樫、命のゆりかごを守る樫
大地の女神に付き従い、命を育む森を守る者の名において希う」
恭一郎さんの、新たな詠いが始まった。
手が、当麻を求めて彷徨う。その手はすぐさま当麻に取られ、指が絡められた。
涙で目が滲んで、前が見えない。
これで、やっと終われる。
――――――――――――――――――――
「我は求めん、ヒイラ、ギ……」
直の言葉が止む。対して直の養父は、まだ呪文を唱え続けている。
「直?」
直の足元がもつれ、上体がぐらりと揺れた。また気を失いそうなのか。空いた手で、直の肩を掴む。直は、繋いだ手を、俺の手の甲が上になるようにひっくり返した。
「えっ、バル……」
「それ以上言うなよ」
「いやあ、そろそろ滅びの呪文の出番かと思って」
ふっ、と笑みが零れた。
「当麻は、アホだなあ」
「なあ、いまそんな場合じゃないけどさ。俺の名前、呼んでくれないのか?」
直はふるふると弱々しく首を振り、俺の手の甲にキスをした。
「ありがと。幸せだった。幸せって、こういうのなんだろうな、って、味わわせてもらった。もう、充分」
お前全然、幸せって顔じゃないぞ?
真っ白な頬に、一筋の涙が流れた。
向こう側からどん、と強い、大きな圧が押し寄せてきて、青い光に包まれる。
「巻き込んでごめん、当麻。さよならだ」
「なっ……!」
文句を言う機会は、永遠に失われた。
ともだちにシェアしよう!