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The place where you go あなたの行く場所3

 俺は、周央の家――というよりもはや屋敷だ――の応接室に通された。通してくれたのはなんと、お手伝いさんだった。  でかでかとしたソファに腰掛けて、両手で顔を覆う。  先生は、あれだけ恭一郎さんの人物像について煽っておきながら、 「元々わたしは、周央恭一郎氏とは縁も所縁も無いの。所属しているカヴンの系統は全然違うし、魔女界でも雲上人みたいな扱いの人だから。担任だったことと、今回の件で多少手を入れたことを引き合いにして、面会の約束を取りつけたの。  わたし、今日貴方に会うために、万事繰り合わせて帰国して、用事が詰まってるから。それじゃ、頑張って!」  あっさり、俺を降ろして去ってしまった。いや、わざわざこのためにイギリスから戻って来てくれたんだ、それだけでも感謝しないと。  つか、先生と話をしていたら、何故か分かることより疑問の方が増えたような気がする。やっぱ不思議な人だ。  ふー、と息を吐く。顔に当てた手が冷たい。緊張してんな、俺。  確かに、直の行方を一番知っていて、会う方法を知っているのも恭一郎さんだろう。辿り着きたいとは思っていたが、急すぎて気持ちが追いついてこない。なにしろ俺の中の恭一郎さんは、倉庫に乗り込んできた時の印象しかない。正直心細いし、怖い。  ちゃんと喋れるかな。いや頑張れ俺、言うこと言わなきゃ話が進まねえ。  覚悟できてるんだろ、覚悟!  がちゃりと扉が開く。恭一郎さんが颯爽と入ってきて、俺は慌ててソファから立ち上がった。今日は、白いローブではなくスーツ姿だった。白髪と黒髪が混ざった、灰色の頭をオールバックにしている。威圧感半端ない。  頬を見る。あの時直が負わせた傷は、もうすっかり消えているようだった。てか、肌の感じからすると、結構若そうだ。そういや岬先生、二十代から四十代って言ってたような。じゃあこの人、一体いくつだ? 「当麻君だね、待たせてすまない。少し仕事が押してしまってね」 「いえ……きょ、恭一郎、さん」  緊張して、どもってしまう。 「嫌だなあそんな、身構えないでくれよ! 悲しくなるから」  恭一郎さんは柔らかく微笑んでいる。前回の厳ついイメージとは随分違う。 「すまないね、試すようなことをしてしまって」  試す? 俺、何かされてたんだろうか? 「君がどれくらい、直のことを真剣に考えてくれているかを知っておきたくてね。君が来てくれるのを待っていた。本来ならば、あの後すぐに挨拶に行って、謝罪と君の心身の状態の確認を行うべきだった。すまない」  頭を下げられてしまった。 「いやいや! 別にそんな俺、すげー丈夫ですしどこも悪くないし、むしろ、俺の方が、すみませんでした。俺も率先して、あの場を利用してました。恭一郎さんがああやって仰るのも、当然というか」 「ふむ、あれはね……魔女の規律、覚えているかい?」 「『相手の望まぬことをしてはならない』、ですか」 「そう。本来はそのような言い回しではない。『誰も害さない限り、自分の望むことを成せ』」 「え、それって」 「そう、結構アバウトだし自由だ。捉えようによって、どうとでも解釈できる。だから、物事の善悪を判断できる歳になるまでは、本来の規律は教えない。少なくともうちのカヴンではそういう方針だ」 「何でそれをいま、俺に? まだダメな年齢じゃないんですか?」 「君はすでに学んだだろう? 身をもって知ったのだから、もう判断できるさ。  さて、座らせてもらおう。君も座りなさい」  恭一郎さんがどっかりソファに身を沈め、ネクタイを緩める。俺も慌てて習う。立ちっぱなしだったことに、緊張し過ぎて全然気がつかなかった。 「だから、私としては魔法を使って強制的に、というのは気が進まなかったのだがね。君は、どうして私があそこまでやったのか、理解しているかい?」 「はい」  俺は頷いた。 「あの子は最後の段階で、詠いを完成させようとしていなかった。終わりを受け入れていた。責任を取れる年齢でもなく、力量も無い、自分のやっていることは魔女として目に余る行為だと、あの子は元から充分に理解していた。それでも自分からは、止められなかったのだろうね」 「……やっぱ、そうだったんですね」  直には恭一郎さんから処罰を受ける他に、終わらせる方法が思いつかなかったのだろう。俺達の仲が引き裂かれ、もう会えなくなる、という終わり方以外。外部から強制的にそうしてもらうしか、自分を止められなかった。 「直自身が望み、あの終わり方を引き寄せた。そう判断したからこそ、私もひどい物言いをしてしまった。あの子にも悪いことをした」 「すみません」  そこまでやらせたのは、俺だ。頭がどんどん下がる。それに。 『放たれてしまった矢は、放つ前には戻らない』と言った時の、恭一郎さんの表情を思い出す。一瞬だったが、とても苦しくて辛そうに見えた。この人は、きっと後悔するような何かを経験してきたんだろう。そう思うと、灰色の頭がかなりの苦労人の証のように見えてくる。  更なる苦労をかけてしまった。心の底から申し訳ない。 「それに、カヴンがいくら親しい間柄での集団とはいえ、規律を守っている、という体は見せなくてはならなかったからね。直の処断は避けられなかった。  当麻君、頭を上げてくれ。君が責任を感じることではないのだから。それから、君に確認しておきたいことがある」 「はい、何でしょう」 「あの子とセックスをしたのだね? 君は……」  きた! 俺はソファを降りてがばっと土下座した。 「周央直を愛していますそれは直が色々やる前からです、気づくのは遅かったけど俺の方が先に好きだったし全部合意の上でした! 大事な息子さんに手ぇ出してほんっとうにすみません!」  言えた、俺言えたよ斉藤、委員長! 「つきましては図々しいのは承知の上ですが、ひとつお願いが!」 「あー、待て待て、落ち着こう。ははははは、うん、落ち着こうか」  恭一郎さん、ははははは、と笑いが止まらなくなっている。 「恭一郎さん……」 「ああ、すまないね、はあ。よし」  恭一郎さんは息を整え、話し始めた。 「……君は、あの子が赤ん坊の時に施設に置き去りにされて、実の親も知らず、施設内でもかなり持て余された子どもだった、というのは聞いているかい?」  俺は首を振った。 「直が、一度に複数の魔法陣を扱うのは、君も見たと思う。魔女宗(ウィッチクラフト )は、女神や男神の助力を得て術を発動させる。が、本人が元々持つ魔力や発動回路も使用するから、体力は消耗するし、精神的にもかなり疲弊する。たったひとつの魔法陣を、発動させるだけでもね。  ソロの魔女ならともかく、カヴンに所属し、集団でしか魔法陣を発動させたことのない者が、ひとりで魔法陣を発動して維持する、ましてや複数同時に発動させるのは、普通、身体が持たないはずなのだよ。  だが、直はそれをやってのけた。あの子は、ほかの魔女より、とりわけ保有魔力が多い。回路も元から発達している……そしてあの子の魔力は、通常の人間の欲求に近いところ、非常に暴走を招きやすい場所にあった。想像がつくかい? 幼い頃、普通の子どものようには暮らせなかった」  お腹が空いたり、眠くなったりした時、力が暴走したということか。 「どうにかして欲しいと、仕事関係の伝手で紹介を受けてね。あの子が六つの時に、周央家の養子として迎え入れた。性格はとても従順で、周りに迷惑も心配も一切かけないような子だったよ。  私にはパートナーが居ない。私自身、仕事に明け暮れていたせいもあって、愛情を注いで育てる、ということをしてやれなかった。私は気づかないうちにたくさん、我慢させて、諦めさせてきてしまったと思う。あの子が何かを欲しがるところなど、見たことがなかった。ひたすら魔女の魔法の鍛錬に打ち込んで……それしか生きる道が無いと思い込んでいるようでもあった。だから他に目を向けて欲しくて、修行に出す前に、普通の高校に通わせた。  この間、儀式中にあの子が久々に暴走してね。幼い頃の暴走とは全く違う気配だった。性の交わりの気配。  実はセックスは、儀式に使うくらい、魔女の魔法と密接な関係にある。体質と儀式のやり方にもよるが、あの子の場合、蓄積した精を魔力増強に転換できる素質があるらしい」 「それで、俺達のことに気づいたんですか」 「うん、これは誰かと、何かあったのだとね。突然、一気に魔力が増せば、怪しむのは当然のことだよ。しかも“愛の詠い”の最中だ。とても分かりやすい」  恭一郎さんは苦笑した。 「想いを伝えられず、一方的に身体の関係を持った挙句、大暴走、というところかな? 君には本当に迷惑をかけた、許してやって欲しい。あの子が心から欲しがったものは、きっと君が初めてだ。加減ができなかったのも無理はない、経験が無かったのだから。これは私のせいでもある。本当にすまなかった」 「大丈夫ですよ! そんな直が俺、好きなので」  しかも、初めてとか。俺としては、ひたすら嬉しいだけだ。 「本当かい、男同士だよ? しかも魔女だ」 「直は、直です」  俺はきっぱりと言い切った。その問いは自分の中で、何遍も何遍も繰り返し、結論を出している。直は直。男だの魔女だのは、全く関係が無い。 「そうか。あの場では確認する余裕が無かったからね。君は本当に、あの子を好いてくれているのだね」 「はい!」  俺は力一杯答えた。 「そこを確認したかった、ありがとう」  右手を差し出された。俺は両手でがっしりと握り返す。 「今回の件でよく分かったよ。あの子はどうも、感情を内側に溜めやすく、そして暴走しやすい」 「そうですね。話し合いをする時間を作らないと、なかなか溜め込んだものを話してくれないし、こちらの言い分を聞いてくれない」 「君は、あの子のことをちゃんと見てくれているのだね」  恭一郎さんが手を離す。 「セバスチャンが、君について語ってくれていた。君の心はとてもしなやかで自由、そして君の精神と肉体は、かなりタフだと」 「そんな」 「いま、手に触れてみた感じだけでの判断だが、君は繰り返し記憶を上書きされているのにも関わらず、脳に異常を来している兆候は全くない。身体にも、不都合は生じていないだろう?」 「俺、元々丈夫なので」 「いやいや、丈夫、という一言では片付けられないレベルだよ」 「じゃあ、あ、愛の力ってことで」  噛んでしまった。頬っぺたどころか耳まで熱くなった。 「ほう、愛の力、と言い切るか。私は知らないよ? なにせ、愛は目に見えないのだからね」 「えええ、魔女なのに?」 「私は魔女だが、ロマンチストではないよ」  これ、冗談だよな? ほぼ初対面で、いまいち確信が持てない。 「魔法耐性に、強い意志か……確かに有り得る」  恭一郎さんが、先ほど俺の手を握った方の手を眺めながら、考え込み始めた。 「……あの、もう記憶を消すとか、無いですよね?」 「消さないよ。君が消してくれるなと望んだだろう。それに今後、君を立派なひとりの関係者として扱う気になったのでね」  関係者? 俺は首を捻った。 「私と、取り引きをしないかい?」 「取り引き? ここに来たのは、直に会う方法を教えてもらう為だったんですけど」  予想外の提案に戸惑ってしまう。 「もちろん、取り引きの過程で会わせてあげることは可能だよ」  取り引き、か。一体どういう内容なのか、気になる。だが、直に会えるのならば。 「やります、取り引き。やらせていただきます」 「おや、もう少し考えなくて良いのかい? 魔女との取り引きは、恐ろしいものだと相場が決まっている。引き返すならいまだ」 「やりますよ俺。だって、やれば直に会わせてもらえるんですよね?」 「内容を聞いてもいないのに即決? 無理は禁物だよ」  恭一郎さんは見るからに焦り始めた。自分で提案してきたくせに、しつこい。この人、やっぱすげー良い人じゃないかな。  ふっ、と吹いてしまった。 「あー、あの! 俺は恭一郎さんを信じます。魔女とかは関係無しで」  恭一郎さんは一瞬止まり、徐々に顔が綻んだ。 「そうか、そう言ってくれるのか。ありがとう」  ようやく納得してもらえた。柔らかい笑顔。血は繋がっていないのだろうが、少し、笑い方が直に似ている。 「さて、では当麻新太君。取り引きといこうか」

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