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The place where you go あなたの行く場所5

 今夜の予定は、何も無い。  夕食を済ませると、僕はすぐ、二階にある自室に引き籠った。電気は点けず、カーテンを開け、月の光を取り込むとまあまあ明るい。今日の月齢はどれくらいだっただろうか。  ベッドの上に座り込み、毛布にくるまってぼんやりと過ごす。  やり過ごす、といった方が正しいだろう。予定の無い夜は、色々考えてしまってやばい。セバスチャンのゆったり揺れる尻尾に、気持ちを向ける。  三毛猫姿のセバスは、窓際に備え付けられたカウチソファの上で伏せ、寛いでいた。僕がソファをあまりに使わないので、そこがセバスの定位置になりつつあった。 『気を紛らわせたいのなら、一階のリビングで、皆様と寛がれたらよろしいのに』 「僕が黙ったままだと、みんなに失礼だろ」 『何かお話しすればよろしいのですよ』 「何かを伝えるだけの、英語スキルが無い」 『やる気がないだけです。伝えようと思えば、ボディランゲージなりなんなり、やりようはあります』  セバスの尻尾が床をぱっしんぱっしんと叩き始める。 「伝えることが無い」 『相槌を打つだけでも』 「めんどう。ヤダ」 『ほんとは違うくせに』  ぎろりと、セバスを睨む。セバスはしれっとして、僕と視線の合わない方向へ体勢を変えた。  セバスは、こちらに来てから僕に対して感情を――いまなら苛立ちだ――隠さなくなった。僕が、マスターとしての威厳を保てていないせいだろう。  慣れない神々の名と覚束ない英語での詠いも関係しているのだと思う、最近の僕は、魔法を発動させれば効力が小さいし、魔力の出力自体がそもそも落ちているし、魔法薬を作れば失敗が多い。  魔法云々の前に、周りとのコミュニケーションが充分に取れていない。ヒアリングはできる。でも、意思が伝えられない。というか、伝える意思がない。  めんどう、が違うのは確かだ。  めんどうなんかじゃない。僕が、ひとりで沈んでいたいだけだ。以前のことを思い起こさせるような出来事に、遭遇したくない。  みんなには失礼なことをしていると思う。とても気を遣わせている。  でも、心がどうしても、落ちて、沈んで、動けない。  何をやっていても、落ちた先の、闇しか見えなくて。この先に、何かが待っているなんて思えない。  ただひたすらの、闇。 「急げ急げ急げ!」  部屋の扉がばん、と勢いよく開く。ノックは無し。齢七歳の小さな魔女スーザンが、毛布にくるまる僕に、両手を差し出してきた。 「ねぼすけナオ!」 「……スー」  歌うように呼びかけてくる。 「ナーオ、ナオナオ、ナオー! 儀式、儀式するよ!」  少し訛りの混じる英語。にかっ、と歯を見るスーに、 「今夜、予定は入ってないって聞いてたけど?」  僕は、彼女からの返事を待つ。スーは、んーと唸る。  なかなか動き出さない僕にしびれを切らしたのか、腕を掴んで引っ張り始めた。どうやら説明はしないつもりらしい。  また、楽しいことが大好きな女性陣三人の、思いつき儀式だろうか? 僕は仕方なく、ベッドを降りる。  連れて行かれたのは、一階にある浴室。パトリシアとダイアナが待っていた。  猫足のバスタブには数種類のドライハーブが浮かべられ、傍らには塩の瓶が置かれている。バスタブの中は、塩を溶かしたお湯か。沐浴をしろ、ということらしい。沐浴つきとは、念入りなことだ。  パティが、ぱんぱん、と手を叩く。 「外は綺麗な満月よ、ジューゴヤよ! 間違いなく、儀式日和ね!」  そうか、今日は中秋の名月。なるほど月の光が強かったわけだ。 「まさしく! 若い男ふたり……」 「わー! わーわわー、わわわわー!」  スーが、大声で歌い始めた。 「おばあちゃーん!?」 「んもう、ママ!」 「秘密箱の蝶番が、緩みすぎだよ!」  何やら僕に対して秘密があるらしい。 「とにかく、さ、ナオ、脱ぎなさい」  気を取り直して、パティが指示する。三人は腕を組み、僕に注目した。 「……あの、沐浴なら自分でやるので、出て行ってくれませんか?」  三人は顔を見合わせ、一拍おいて吹き出した。 「あー、そうだったそうだった! 了解したわ、恥ずかしがり屋さん。あなたが準備をしている間に、私達も準備をしておくとするわ。出てくる時には、これだけ、着るのよ」  パティは、白い布で作られた七分丈のロングワンピースを掲げ、onlyを強く発音した。  僕が来る前、『森の守り手』の儀式は大抵、全裸で行われていたそうだ。男女混合カヴンなのにだ。ここに来て一番戸惑った出来事だった。  一糸纏わぬ姿が、当たり前らしい。というか、少しでも纏うと邪魔、と思うのが当たり前なのだという。  ワンピースは僕に配慮して用意されたもので、僕が参加する儀式の際には、みんな着てくれる。 「下着は着けちゃ、絶対ダメなのよ、ノーノーノー!」  心底楽しそうなスー。  僕は、幾度かこっそり下着を履いて儀式に臨み、その都度バレて注意を受けた。それを踏まえての念押しだろう。  ワンピースの下とはいえ、何も着ないとか、凄く恥ずかしいのに。 「とっても大事な、大事な儀式なの。失敗したくないのよ。だから、約束、守って、ね?」 「……了解、パティ」 「うん、良い子ね私達のおチビさん」  ちゅ、とおでこにキス。続けてにかっ、と歯を見せ笑う。スーそっくりだ。 「庭で待っているわ」  三人は手を振り、浴室から出た。  僕はゆっくりと着ているものを脱ぎ、畳んで、浴槽に浸かる。草の香りが鼻腔を充たす。  魔女一家の女性陣は、かなりパワフルだ。いつも、彼女らのパワーに気圧されてしまう。元気を出させようと、盛り上げようとしてくれているのは分かるけれど、逆に疎外感を感じてしまう。  女の子がたくさんの家。四姉妹だという、ひばりさんを思い起こす。  危ない危ない。力を込めて目を閉じ、頭を下に向けて堪える。そうして、考えないようにする。  他にやりようがない。  波が去り、目を開ける。浮いたハーブが目に留まった。ああ、そういえばこのハーブ、ここに来て数日経った頃に採って、干したやつだ。あの時、パティが言っていた。 「ナオがずっと頑張っていたのを、みんな理解しているわ。そんな子には、優しくしたくなるのよ。甘やかしではないのよ。傷ついた子どもを、優しく守りたくなる、当たり前のことだわ。ナオが増長する子ではないのも、知っているしね。  だからナオも、どうか自分に優しくしてちょうだい。自ら傷つけようとしないで」  パティは、何をどこまで知っているのだろう。恭一郎さんは、どこまで話したんだろう。  嫌だな。  いろんな人に迷惑をかけた僕には、こんな風に優しくしてもらう資格なんて無いのにね、恭一郎さん。  僕はまた、目を閉じた。ああ、まずい。今日は何だか、いろいろと思い出しそうになる日だ。  早く。今日が早く終われば良いのに。  浴槽から上がり、支度を整えて庭へ向かう。  いつの間にか、外が騒がしくなっていた。人がたくさんいる気配がする。グラント家だけの小さなものではなく、本格的な儀式をするつもりなのだろうか? 「……beyond the sea.」  パティの声が聞こえる。海を越えた? 「私達の、そして各地にいる我々に連なるカヴン全ての研鑽が試される時。このような機会を得られたことに、感謝を。そしてやりましょう、我らの愛の為に」 「愛の為に!」  パティの宣言に、唱和が続く。  ばたん、と扉を開けると、一家だけではなく、『森の守り手』の他のメンバーもいた。僕以外の十二人、全員だ。  ダニエルパパも、みんなと同じ白いワンピースを着て僕を迎えてくれた。彼もまた魔女だ。  外出先からまだ戻っていないということで、夕食の時には不在だった。いつの間に帰って来てたんだろう。 「おかえりなさい、ダニー」 「ただいま、ナオ」  ゆっくりとした口調。視線ががっちりと合ってしまって、僕は慌てて下を向く。  彼は、言葉が少ないせいもあって、グラント家の家主のはずなのに、女三人の姦しさに押されて影が薄い。  でも、いつも幸せそうだ。三人がわいわいやっているのを、横で楽しそうに笑って眺めている。彼の行動は、常に三人への思い遣りに溢れている。  実は僕にとって、ダニーの存在が一番堪えた。外見は全然似ていない。でもよく見ると、目元が似ているのだ。思い出しそうになる、あの笑顔を。優しさを垣間見る度、彼との思い出を。  頭を振って追い出す。ダメだ、考えてはダメ。胸が痛み、涙が出そうになっても、思い起こすこと自体、僕にはもう許されない。だから僕は引き籠る。誰とも触れ合わず、ただ時間をやり過ごす。  僕の頭がぽんぽんと、優しく叩かれた。 「楽しく、幸せに、ね?」  グラント家の、家訓のようなものだ。ダニーは、いつもこの言葉を、かみ砕くように、言い含めるように僕に告げる。  返事ができず、俯く。僕にそんな資格は無い。そして彼の側に居られないなら、楽しいのも幸せなのも、僕は要らないんだよ、ダニー。  いつもなら、庭にほど近い、拓けた場所で儀式を行う。でも、今日は違うらしい。各々、ランタンとアイビーの蔓を手に持ち、移動を開始する。  グラント家から少し離れた森の中へ入る。十五分も歩くと、古木が倒れ広い空き地となった場所に到達した。  月光が差し込み、地面が丸く明るく照らされている地面に、キャンドルが並べられている。魔法陣も描かれ、準備は整っているようだ。 「こちらへ横たわりなさい、ナオ」  パトリシアに誘導され、魔法陣の真ん中に横たわる。  これはもしかしなくても、僕の為の儀式なのか。周りの様子を窺っていると、みんなそれぞれ儀式に向けて集中を始めていて、一向にこちらに寄って来ない。詳しい説明は、やはり誰もする気がないらしい。  スーの口から、旋律が流れ出てきた。同じフレーズを繰り返し始め、他のメンバーも旋律を辿り始める。そして詠いが始まった。スコットランド=ゲール語だ。  カヴン『森の守り手』は遥か昔、この辺りに住み着いた人々が、穀物の豊穣と狩猟の成功を願い、また恵みを与えてくれる森の女神と男神に感謝する為に、儀式を行ったのが最初だという。  だから、儀式にはゲール語を用いるのが基本だ。しかしいまだ習得には至らず、彼女らの詠いは、僕の耳にはまるで意味を成さない。  いつもは僕に合わせて、英語で儀式を行なってくれるのに。これでは何の儀式なのか、詠いでも判別できない。  メンバーが隣同士で手を繋ぎ、魔法陣の周りをぐるぐると回り始めた。ただただ、美しい旋律が円状に奏でられ、柔らかな緑色の光を放ち、静かな森に漂う。  そのうち、メンバーひとりひとりが僕に近づき、ちゅ、と高い音を立てながら僕の額にキスをして、アイビーを周りに置いて、去って行く。  満面の笑みを浮かべるスーが一連の動きを終え離れ、最後に、プリースティスであるパトリシアが来た。  僕の額に自分の額をつけ、何事かを唱える。 「ナオ、Tha(はい)、と言ってちょうだい」 「え?」 「私達を信じなさい、さあ、言って」 「Tha」  それから三度、Thaと言わされ、額にキスをもらう。  詠いの調子が変化する。光が、強くなった。 「私達がありったけの力を、愛情を込めたわ。外は、守っておいてあげる。だから安心して、行っておいで」  パティは僕の目に掌を翳した。僕は、目を閉じる。暗い、と認識した途端、背中から地面に落ちていく感覚に襲われた。  どこへ行くのだろう。聞く気力も無く、落ちるまま、闇へと沈む。  ああ、やっぱり僕が行くのは、先の無い闇なんだ。

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