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The place where you go あなたの行く場所7
これまで味わったことの無いような、身体全体を支配する、強く甘い、気だるい快感。僕は陶然として、余韻に浸る。
「直、直。大丈夫か?」
耳に、声の振動が直接響く。僕は、僕の頬の下にあるものに焦点を合わせる。身体。掌を這わせてみる。憶えていたものより硬く厚い、鍛え上げられた筋肉。これって、胸筋?
「直」
頭のてっぺんにキスを受ける。僕は、新太の上に重なり倒れているらしい。お腹の辺りに違和感を感じて、手を移動させる。
「……何か、生々しい?」
白濁の液体が、ぐっちゃりと溢れていた。これって、もしかしなくても僕が出した?
はっはっは、と頭上から笑いが降る。僕は上半身を少し上げて、新太の顔を見た。
「今更だな、直。まだ夢だと思ってる?」
「え?」
待て待て、何か変じゃない?
「ね、これ、僕の妄想っていうか、都合のいい夢じゃないの?」
「自分でも、魔法を発動させといてか?」
魔法。愛の詠いのことだろうか?
「残念ながらいまは、お前の所属するカヴンの皆様から頂いた、史上最強とっておきの魔法陣発動中。これは夢じゃない、現実だ」
現実……あれ? 僕、めちゃくちゃ、ぶっちゃけてなかった?
そうだ、渾身の、愛の詠いを聞かれてしまった!
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
「こら! いま照れるな、逃げるなよ!」
起き上がろうとした僕の背中に、すぐさま腕を回された。
「身体、絶対に離すな。とっくに予定の時間は過ぎてる。魔法陣自体に事前に組み込まれた魔力は切れてるはずだ。いまは、直が俺と一緒に発生させた魔力で保たせてるから、離れるとたぶん、魔法陣の効果が切れる」
元の場所に戻されてしまう、ということか。
そういえば、僕と新太のいるこの空間、風が吹いて、キャンドルの灯りが消えて真っ暗になったはずなのに、いまは明るい。魔法陣が、黄金色にきらきらと輝いていた。出したことのない色だったが、間違いなく僕の魔力だ。
「セックスを、魔力に変換した。感じる?」
感覚を四方に広げる。幾重にも重ねられた、魔法の痕跡。
「……うん。どうなってるのかも、理解した」
遠く離れた場所と場所を繋ぎ、精神だけでなく、肉体丸ごと、特殊な結界空間を作って送り込む。事前に組み込まなければなし得ないくらい、大量の魔力が必要だったということか。加えて、膨大な知識で作られた複雑な陣を、複数同時に発動。
なるほどこれは本当に、研鑽を試される時、だ。
ありがたかった。パティ達の、ありったけの愛情。想いが胸に込み上げてきて、新太の身体にしがみついた。落ち着かなきゃ。残された時間は確かに少ない。
「会いに来るの、時間かかってごめんな。俺が一連の流れを習得するのと、『森の守り手』関連のカヴンに協力要請するのと、魔法陣の準備と、あとは満月を待っててさ。俺は直が泣いてると思って、急ぎたかったんだけど。
恭一郎さん、建前上処分の意味もあったから、しばらく泣かせといても良いよとか言うもんだから」
恭一郎さん酷い。
「……恭一郎さんと、やり取りしてるんだね」
「ああ。やり取り、ってか取り引きしたよ」
「え!」
驚いて、また身体を離しそうになる。ぐ、と新太が僕を抱き締めた。
「ちょっと、魔女と取り引きって! 変なことされてない? 大丈夫!?」
「おいおい自分の養父を疑うなよ! 恭一郎さん、めちゃくちゃ良い人だぞ。全然大丈夫だ。むしろ、すげー良くしてもらってる。カヴンの人達にも」
少し信じがたい情報だ。
僕には結構、いじわるな気もするんだけど。
「……内容は?」
「恭一郎さん側からは、直のサポートを要求された。当座の目標は、直を元気づけて、修行に専念させることだな。カヴンのみんな、直のこと心配してたぞ。『森の守り手』のプリースティスからも、連絡がしょっちゅう来てた。あと、斉藤と委員長も、いっつも、元気にしてるかなって、話してる。
直はきっと、自分で思っているよりずっと、ずっとたくさんの人から愛されてるよ」
ひばりさん、斉藤、パティ、みんな。
そうだ、と新太は僕を抱き締めたまま身体を起こし、辺りを見回した。
新太は身体を離さないようにしながら、僕を太腿の上に乗せる。先程の、達した際の体勢に似ているので、下半身がちょっぴり疼く。
「セバスチャン、いるなら返事しろ」
『はい、ここに』
僕の下から、セバスの声。
「ん、影か?」
『こちらでは、実態は留められませんでしたので。不都合でしょうか?』
「想定内だ、大丈夫。この結界が、ぎりぎりまで俺達の周りに残るよう、矯正と補強をして欲しい。できるか?」
『承知致しました』
黄金色の光の柱が、ぐるりと僕らの周りを走って囲う。魔法陣より少し大きめの円になった。そこより外側の空間は、消えているのが感じられた。崩壊はもう、かなり進んでいる。
「前からそうだったけど、セバス、新太には凄く従順だよね。命令慣れしているというか。魔女、向いてるんじゃない?」
「まさか! セバスは、直の為になると判断してるから、動いてくれる。直に関係なかったら、俺の言うことなんて聞くはずない」
「そうかな? ああ、そういえばさっきの魔法陣の扱い方も……何なのあれ?」
まるで熟練の魔女のようだった。夢じゃないなら、やっぱり変だ。
「カヴンの人達に教わっただけだよ。勉強してきた、つっただろ」
「いやいや、教わっただけで、三か月足らずであそこまでできないって。だいたいなんで魔女の魔法を勉強する必要があるの?」
「取り引きだよ。俺の側から出した条件は、もう一度、直に会う手立てを教えてもらうことだった。
取り引きにも、会うのにも必要だって言われたから、教えてもらったんだ。夏休み中は時間がある日、授業がある時期は週末、周央家に通って、カヴンの誰かに教わる、って感じで。
まあたまに、直の代理ってことで儀式に呼ばれることもあったけどな。
実際、この儀式では俺ひとりしかこの場所に来られなかったんだから、役に立っただろ?」
「魔法、使えるようになったの?」
「そんな、まさか! 魔法まで求められたら、こんな短期間で会いに来れない。俺自身は形の真似事をしてるだけ。実際に魔法を発動させてるのは、他の人達だ。
俺はいままで通り魔法は使えないし、特別変わったことは無い。女神とか、よく分からないし」
新太は、そこで一旦言葉を切った。僕の掌、胸、顔を順に見る。合わせた瞳が、きらりと光った。
「……何、どうしたの?」
「あー、俺もしかしたら、分かっちゃったかも」
「何が?」
「ん、内緒」
新太は微笑むばかりだ。
「ね、カヴンに入ったの?」
いや、と新太は首を振る。カヴンのメンバーを思い浮かべ、その中にいる新太を想像する。
「きっとみんな、面白がってるんだろうなあ」
「面白がられてるよ! すげー弄られるし」
「やっぱり! 面白いこととか、楽しいこと、好きだもんみんな」
優しかったカヴンのメンバー。自分がやらかしたことの処分で追放された僕は、ちゃんと別れの挨拶もできなかった。
「おい、そんな顔すんな。カヴンの人達、直がそういう顔してないかどうかを心配してたんだから。な?」
新太はこつん、と僕の額に額を軽く当てる。
「うん」
「大丈夫だな?」
「大丈夫」
よし、と満足げに頷き、僕の頬にキスをした。
「まあ、カヴンで弄られるの、嫌じゃないんだ。いろんなこと見せてもらえるし。あー」
「どうしたの?」
「驚かせたいのにあんまり驚かないね、ってがっかりされることがある」
ふふふっ、と笑ってしまう。凄く想像できる。
「それから、恭一郎さんにも、カヴンの人達からも、魔女に向いてる、やらないかって誘われてる。魔法に対する耐性があって、素質もあるからって」
どきっとした。僕が育ててしまったかもしれない、新太の中にある能力。
「でもさ」
新太はすかさず言葉を続ける。
「いくら素質があるとか、耐性があるって言われても、魔女になるってのには、ほんっとに興味無いんだ。魔法使いになりたいなんて、思ったこと無い。
魔法のことも、魔女のことも、直のことだからこそ、学んだ。直のこれまでと、これからを知れるんだ、直の一部に触れてるんだって思えば、それがどんなことであれ、嬉しかったからさ。それだけなんだ」
新太はまた、周りを見渡す。光る柱の輪の淵が、少しずつ僕らに迫ってきている。
「ふたりして、同じことをする必要は無い」
視線が、僕の目に戻る。痛いくらいに真っ直ぐだ。
「俺達、ふたりでひとつだろ? 俺が見ない景色は直が見せてくれる。直が見れない景色は、俺が見せる。それで俺達は他の人よりもたくさん、いろんな景色を見られるんだ。ずっと、ずーっと、ふたりでさ。素敵だろ?」
嬉しさで、胸が震える。でも、
「でも僕、この国から帰れる日が、いつになるのか全然見当もつかない。何年後か、何十年後か」
「俺が迎えに行くんだよ! イギリスに留学とか、格好良いだろ?」
「それ僕がいまやってるやつ」
「おう、直は格好良いよ、格好良くて可愛い」
「はいはいありがと」
「おっ、今日は流さないな? 素直な直も可愛い」
「うっさい!」
掌でぺしぺしと胸を叩いてやった。
「英語、成績かなり伸びたんだ。恭一郎さんのスパルタ教育のお陰で。あの人仕事で忙しいのに、上手く課題とか出してくれるんだよな」
「恭一郎さん、容赦無いから。てか、前より身長伸びた? 筋肉もついたよね?」
「だろ」
新太はにっこり笑う。
「俺、フツメンじゃん? 奥さまが絶世の美人な上に魔女っ子ときたら、フツメンのまんまで何もしないの、絶対嫌だと思ってさ。いま、サッカー部辞めて斉藤の実家の道場に入って合気道してるんだ。ジョギングもしてるし、腹筋背筋腕立て伏せ、毎日千回やってるし!」
何だそれ。突っ込みどころ満載過ぎて、ふっと息が漏れる。
「バカだ!」
「バカで悪いか!」
「こんなに度量も度胸もあって、何でもこなして優しくて、どんな奴より格好良い当麻新太の、どこがフツメンだ!」
「ははははは! 凄いな直、罵詈雑言じゃない、褒めてんぞそれ!」
大爆笑だ。
「まあ、直はこのバカから、もう簡単には逃れられないんだから覚悟しとけよ」
「は?」
「やっぱ事前に説明、受けてなかったよな。魔法陣、ハンドファスティング用のも入ってるぞ」
「ハンド、ファスティング?」
「直と俺が、ずっと一緒にいる約束。別れたいと直が思って、別れの儀式を行わない限り、俺達はずっと一緒だ」
僕は漂うたくさんの魔力の痕跡を辿って確かめた。ああ、ある。でも、
「……ハンドファスティングってまさか」
「うん、結婚の約束、だな」
「けっ、こん!」
新太と、僕が、結婚!
僕の左手が、新太の左手に取られ、薬指に、柔らかく口づけられた。僕は全身ががぶわわと熱くなるのを感じる。ああ、言葉が出ない。代わりに涙が流れ出た。
嬉しい、嬉しい! こんなこと、あって良いんだろうか?
僕、こんなに幸せで、良いんだろうか?
「向こうで、皆が祝福の詠いをしてくれただろ? 俺にも、カヴンの人達が詠ってくれた。ほんとは指輪交換までしたかったんだけど、それはまた別の機会に」
首をぶんぶんと振る。指輪まで貰えるだなんて、もう、幸せ過ぎていっぱいいっぱいだ。
そうか、パティ達がやってくれた、あのアイビーを使った儀式は、ハンドファスティング用だったんだ。結びを象徴する、ツタ属の植物。
僕は繋がれた手を自分の方へ引っ張り、新太の左手の薬指に口づけた。
ずっと一緒にいる約束。契約。
……ん、待てよ? そうだ、取り引き。
恭一郎さん側の要求内容は、『直のサポートを要求』。対して新太の要求内容は『もう一度直に会う手立てを教えてもらうこと』、一度、一度だ。
「あっ、新太まさか、まさか僕に今日、たった一回会う為だけに、自分の一生を取り引きに使ったの!?」
「ああ、そうなるな、期限は区切らなかったから。当たり前じゃないか、俺も恭一郎さんも、元から一生だって思ってる」
「そんなっ!」
魔女との取り引きと言ったって、こんな不釣り合いな条件、おとぎ話ぐらいでしか聞いたことが無い!
「新太はそれで良かったの!? 他の選択肢が無くなったんだよ? 別れの儀式をしなくちゃ他の誰とも結婚できないし、こんな呪いみたいな取り引きして、一生僕から離れられない!」
新太は、あの満足気な、全てを分かっていると言いたげな笑顔を見せた。
「俺が望んだことだからな。むしろ直が覚悟しなくちゃだぞ?
さて、そろそろ魔法陣の限界だ。必ず迎えに行くから待ってろ。修行に専念してればあっという間だ。頑張っとけよ、俺も直に見合うくらい、頑張るからさ」
「新太!」
「俺がそっちに行ったら、もう絶対、離さない。すっげー愛しまくるから、心も身体も、全部。覚悟しといてくれよ。なあ、良いだろ、直。返事は?」
「……うん、うんっ」
「ありがとう、直」
僕は新太に抱きついた。新太も、強く抱き締め返してくれる。
「いつも何かを諦めて、一線引いて。その綺麗な横顔が、気になって。
こっちを向いて欲しかった、笑わせたかった。一緒に過ごした時間、全部すげー幸せだった。
好きだったんだ、愛してたんだ、最初から。いや、もしかしたら、出会う前からだったのかもな」
回した腕を互いに緩め、額を合わせ、見つめ合う。
「遅くなってごめん、許してくれ。一生そばにいるからさ」
光が僕達を包む。
「結婚しよう、直」
唇への軽いキスは、光とともに、夢のように溶けて消えた。
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