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番外編 Before I use witchcraft 魔法発動前 前編
「えー、これより九十分間自主学習、第一回目を始める。解らない問題があれば、会場前方に控えている先生方に、適宜質問しなさい。周りに聞いても良いが、課題に関係の無い私語は慎むように。
では、用意、スタート」
長机が等間隔で並べられた大きな会場。前方に立つ、学年主任の梶原先生の合図で、ざっ、と紙をめくる音が響き渡る。
つい先日二年生になった俺達は机にかじりつき、一斉に問題を解き始めた。
「……二年に進級した早々、宿泊学習でカンヅメとかマジで有り得ねーよなあ」
会場の前に設置してある大きな丸時計を見遣ると、開始からまだ十分しか経過していなかった。俺は、右隣の席に座る斉藤に小声で話しかける。
「仕方ねえよ、進学校 なんだから、当たり前だ。三年なんて、高校近くのホテルで、朝から晩まで有名塾講師招いての集中講義だぞ。こっちは課題をこなすだけ、しかも山岳地帯で温泉地だ。あっちより全然楽だろ、諦めろ」
「『とにかく空気と水と食い物は美味しい』って?」
移動中のバスの中、担任の末田先生が言っていた言葉を思い出した。
「イベントとか一切無えし」
「だから、空気と水と飯と、温泉がご褒美だから頑張れ、ってことだろ」
「空気と水は置いといて。飯と温泉にあんま興味無い奴にとってはご褒美にならねーよ……ま、確かに温泉は、別の方向で楽しみだけどさ。
つーか三年の話って、来年の俺達、って、痛、痛い」
斉藤が、ペン尻で俺の腕をがしがしと小突く。
「ちょ、おい止めろ、地味に痛い」
「黙って問題解け」
俺は再び問題を解き始めた斉藤から目を離し、周りを見渡した。
解らないところは先生や友人に尋ねても良いとあって、会場内ではあちらこちらから話し声がする。会場の前に座っている先生達のところにも、生徒が並び始めていた。
皆が、それぞれ動いていた。
比べて、だ。俺は、左隣に座る周央に身体を向けた。
「……周央、さっきから全然動いてないように見えるけど、大丈夫か?」
「……」
黙り込むというより、プリントを前にして固まっている、の方が正しいか。会場内はそう熱くはないのに、白い額に汗が滲んでいる。
「気分悪い? 部屋に戻って、休ませてもらおうか」
周央は、ぶんぶんと頭を振る。じゃあ、やっぱりか。
「問題が解けねえんだろ、見せてみろよ」
斉藤が席を立ち、周央の前に移動する。俺も、椅子を周央の方にずらして近づけ、広げられているプリントを覗き込んだ。
数学だ。冒頭の簡単な計算問題は解かれている。だが、それ以降に続いている文章問題では、線をひいたり数字を書き出したり、努力の跡は見受けられるが、式を組み立てるまでには至っていなかった。
「なるほど、数学からやり始めたか。確かにうちのクラス、他の科目に比べて数学の量が多いもんな。しかし進められなかったら、他のも終わんねえぞ、周央。得意科目から始めたらどうだ。英語とか、国語とか」
斉藤の言うことはもっともだった。この宿泊学習中に課題を終えられなかった者は、自宅に持ち帰ってやらなくてはならない。未回答が目立つ場合は、更に課題が追加されるとも聞いている。
「何を優先して片づけていくか、時間配分をどうするか、自分で考えて決めるのもこの自主学習攻略の要、ってな。
つかさあ、周央、凄え気になってたんだが。何でお前、理系なんて選んだ?」
「!」
周央が、机の前に立つ斉藤を見上げた。眉が下がり、少し泣きそうな表情になる。
斉藤がいともあっさりと口にした質問。俺だって二年に上がってずっと――といっても、新学年が始まったのは今週の頭なので、たった数日ではあるが――疑問に思っていたことだった。
周央は、俺と正反対で文系が得意科目だ。
うちの高校では、一年生の終わりに、自分の希望進路に合わせて文系か理系かを選択し、先生に届け出る。クラス分けは基本、成績順になるが、文系理系は、完全に本人の意思。
だから周央は、不得意科目が主体となる理系へ、わざわざ自分から飛び込んだことになる。
「理系を選べば、理系の授業が増えるのも、課題が増えるのも当たり前だ。自分が困るって、想像ついてただろ」
確かに俺も、知りたい。しかし、俺の隣で口をへの字に曲げて黙り込む周央が、だんだん可哀想になってきた。斉藤、言い方キツいし。
「斉藤、いまはんなこと話してる場合じゃねーだろ。な、どうする周央? 数学続けるなら、俺も数学のプリント解いて、サポートする。文系の科目を先に進めるなら……」
潤んだ周央の瞳が、俺を捉える。俺の目に合わせられた視線は、ふっ、と下へ逸らされた。
俺は、伏せられた目を縁取る、周央のまつげに気を取られた。
すげーな。あまりにも長いせいか、会場の照明のせいか。頬にちょっと、影が落ちている。
そんなわけで、周央がシャーペンを握ったままの右手で俺の制服の裾を掴んでいることに気づくのが、若干遅れてしまった。
「……当麻、ここ、どの公式使うのか分からないから、教えろよ」
「っ!? おっ、おう、了解した! んじゃ、俺も数学に切り替えるからちょっと待ってろ、すぐやる、いまやる!」
俺は急いで物理のプリントを畳み、数学のプリントを取り出すべく、バッグの中を漁る。
斉藤が、はあぁ、とでかいため息を吐いた。
「お前らがそれで良いなら、別に何も言わねえけどさ……当麻でも解らない問題があったら、俺に聞けよ。俺も、数学やっとくから」
斉藤は、ぽん、と周央の頭を軽く叩いて席に戻った。
「……ありがと」
ぽそりと、周央が呟いた。その声はあまりにも小さく、斉藤に届いているとは思えなかったが、斉藤は歩きながら大きく頷いた。
こういう、斉藤が周央のこと分かった感じで動くの、優しいし、頭良いなあとも思うけどさ。
俺はシャーペンのペン尻を何度もかしかしと押して、芯を出しては引っ込める。
時々、胸の辺りがもやっとするんだよなあ。
「ひっさしぶりい、当麻君!」
夕食が用意された座敷に向かう途中。生徒達でごった返すホテルの廊下で、見知った顔に声を掛けられた。ついこの間まで、同じクラスだった子だ。
「おおー、林さんだ! おっ、谷口さんも。久しぶり」
「修了式以来だねえ、文系理系で別れると、ほんと、会えないもんだねえ」
「だな、うちの学校、人数多いから。元気だった?」
「もー元気無くすう、英語の課題多すぎ! 先に数学やっつけちゃおうかとも思ったんだけど、全然解けなくて、明日に回しちゃったんだよね……
ね、明日も、三人一緒にいるんでしょ、聞きに行ってもいい?」
林さんが、ちらりと斉藤の方を見た。
「ああ、良いよ。俺が解らなけりゃ、斉藤が教えてくれるから」
俺に話題を振られた斉藤は、何故か周央の方に視線を送った。
「……別に、構わないけど」
「やった、ありがと! じゃまた明日!」
林さんは、こちらにぺこりと頭を下げる谷口さんの腕を取り、テンション高く去って行った。
まあ、こういう機会が無いと斉藤には近づけないよな。
たぶん、彼女は斉藤狙いだ。相談を受けたり、宣言されたことは無い。でも、何かにつけてどうにか斉藤と接触をしようと試みる林さんを、一年の頃から見ている。何となく手伝ってあげたくなる気持ちになってしまうのは、致し方ない気がするんだ、うん。斉藤に、あんまりその気が無いのはどうしようもないんだが。
青春だな。
「何しみじみしてやがんだ。ほら、急がねえと、やばいんじゃねえの」
斉藤に背中をどんと押された。
気づくと、後ろからついてきていたはずの周央が先に座敷へ入り、適当な場所にさっさと座っているのが見えた。
うわほんとにやばい、周央の隣、別のグループが座ろうとしてる!
俺は慌てて「周央!」と声を掛け、人混みをかき分けて進んだ。
結局間に合わず、周央の横に詰めて座ってしまった奴らに詫びを入れてふたり分移動してもらい、何とか周央の隣の席を確保した。
「……でさ、体育館裏の倉庫に幽霊が出るとかなんとか」
「ウッソ、それ、ほんとの話?」
「その噂、聞いたけどさ。部活サボりたい奴が出まかせに言ってるって話だろ」
「ちょっと待った! 俺、バスケ部なんだけど! ほんっと本気で入れなかったんだ、倉庫」
「入れなかった? 幽霊が出たんじゃなくて?」
「うわ、マジか」
「具体的に、どう入れないの?」
「先週の火曜日だったかな。夕方、ボールを片そうと思って……」
周りに座る、同じクラスの奴らの話題は、最近噂になっている体育館裏にある倉庫の話だった。
適当に聞き流しながら飯を食っていると、周央が静かに席を立った。膳に載っていた一人用の鍋の固形燃料もまだ、燃え尽きていない。俺は、咄嗟に周央の白い指を掴んだ。
「周央、どこ行くんだ?」
周央の顔が真っ赤に染まり、一瞬合った目はすぐに逸らされた。
「なあ、もしかして、具合悪い?」
「……ん。先に部屋に戻る」
周央はゆっくりと、もう一方の手で俺の手を引き離し、歩き出した。
座敷の出口へ向かう途中、担任の末田先生が合流し、何事か話しながら一緒に出て行く。
俺は、さっき周央に触れた手を眺めた。顔が赤くなってたから、熱っぽかったのだろうか。掴んだ指は、冷たかったのに。
俺はほぼ手付かずで残された膳を横目に、斉藤に話しかけた。
「なあ、あんま食ってないよな、周央」
「ああ、そうだな」
「そうだな、って。心配じゃねーのかよ、冷たい奴だな」
「末田が付き添ってただろ! お前が心配し過ぎ。つか、そんなに気になるなら、もうちょっと自分の行動に気を配ったらどうだ?」
「自分の行動?」
斉藤は、大きく息を吐きながら、頭を振った。
「……早く食えよ。お前のことだから、温泉、別の方向で楽しみって、どうせ周央と一緒に入ることとかだろ? もたもたしてると周央、ひとりでさっさと行っちまうぞ」
「はっ! そうだよ斉藤、急げ!」
ふんっ、と鼻で笑われた。
「俺はもう食った。お前みたいに、じっとり周央の背中、眺めたりしてなかったからな」
文句を言う時間も惜しくて、黙々と飯をかき込む。せっかくのチャンスを、みすみす逃すわけにはいかない。
食べ終わると即、立ち上がり、ざわつく座敷を出て斉藤の部屋へ向かう。部屋は出席番号順に割り振られているため、周央と斉藤は同じ部屋だ。
「ん、行かない。もう、部屋のシャワーで済ませた」
部屋に戻ると、周央はベッドに潜り込んでいた。
「あああ、マジか! 一緒に温泉入ろうと思ってたのに! 俺がもっと早く飯食ってれば」
俺はがっくり項垂れた。宿泊学習中の、一番の楽しみが! 周央にもっと近づけるチャンスだと思ってたのに。
「具合が悪いっつったろ。間に合ったって、一緒には行かなかった。さっさと行って来いよ、僕はもう寝る」
顔も出してくれない。でも、何となくフォローしてくれているのは分かった。
それに周央のことだから、俺が楽しみにしていたのに一緒に温泉に入らなかったことを、気に病むのだろう。俺達が部屋を出た後、小さな声でごめん、とか言っちゃうんだろうなあ、と思う。
逆に申し訳なくなった俺は、周央の頭があるであろう辺りを布団の上からぽんぽんと軽く叩いた。
「美人、っつったら磯野さんだよね」
「はあー? 磯野さんは可愛い系。和田さんに一票」
「胸のデカさの話はしてませーん」
「いや、おっぱい大事でしょ? むしろ顔面イコールおっぱいでしょ!?」
「はい意味不明!!」
「顔! 顔面偏差値の話!」
「お前ら分かってねーな! 委員長こそ正統派美人ですー」
「ええ、委員長って青野のこと? 黒縁メガネの地味っ子じゃん」
「おーおー、見る目が無い奴ばっかりで助かった! オレ、一年同クラで、眼鏡外したの見たことあるんだよ」
「じゃあいつか見れるね、僕達も。学力下がらなければ三年まで同じクラスだから、二年間かあ、チャンスはたくさんあるねえ」
「はっ、そーだ! やべえ!」
「つか、きっといま、外してるよな? 今日見れるかもだ」
「阻止する、ぜってー阻止する!!」
ばしゃばしゃとお湯が叩かれ、しぶきが顔にかかる。まさにとばっちりだ。
男湯で男ばかりになると、周りの奴らは早速、同じクラスになったばかりの子の中で、誰が美人かの話で盛り上がった。
美人。美人か。
「当麻はどうよ?」
一瞬、思考が止まる。美人。思い浮かべるのは昼間に見た、長いまつげの影だ。
慌てて頭の中を検索し直すが、結果は変わらない。
しょーがねえな。
「……周央って、美人じゃね?」
「いや、何でここで周央だよ!」
斉藤が素早く突っ込む。うん、来ると思ってましたよ、空気読めてねー回答だよ!
「えー? 周央は男でしょ、何で周央なの」
「いや、綺麗だろ?」
「んん? あー、言われてみれば、まあねえ。色白いし」
「整っては、いるよな」
「ほらほら、だろ?」
「ほらほらじゃないよ当麻、話聞いてたぁ? そもそも女子の話してるんだけど僕達」
「顔面偏差値、って言ってただろ」
「そこは聞いてたんだ! まあ確かにそうだけどさあ、男まで入れたら枠広がっちゃうだろ」
「けど……」
更に言葉を重ねようとする俺の目の前に、斉藤がまあまあ、と手を振って、割って入ってきた。
「こいつ一年の時からこんな感じで、残念な奴だから。皆、放っといてやってくれ」
「はあ。当麻って、残念な奴なの」
「色恋沙汰より友達ってこと?」
「あ、だから見た目こんなんでも、モテないんじゃね」
「あーね」
皆が次々に頷く。フォローしてもらってるのは承知しているが、この流れは納得できない。
俺が口を開こうとすると、横からどぷん、と、身体のデカい奴が入ってきた。
「皆の衆、枠を広げるとはなかなか罪深い。おれも美人候補に上がってしまうではないか」
「うわっ、アホが乗ってきた」
「な、露天風呂行こーぜ」
「行こ行こ」
「待たれよ……いや、ちょ、待て、待って! おれいま湯船浸かったばっかりよ? 置いてくなよひでーなあ」
どうやら面白弄られキャラらしいクラスメイトを殿 に、集団が移動して行く。あいつの名前何だったかなあと思いつつ、皆の背中を眺めながら湯船に残っていると、斉藤が俺の耳元で、小声でまくし立て始めた。
「当麻、お前どうした? 普段通り空気読んで適当に流せ、食い下がろうとすんな! あいつらがどういう考え方する奴らなのか、まだ知らねえだろ? 変な風に噂されたりしたら、お前だけじゃなく周央に」
「周央ってさ、何か最近妙に色っぽい時あるよな?」
「当麻! 話聞いてねえな? ったく……まあ、否定はしないが」
「っだろ!? やっぱそーだよな? てか今日さあ、周央が俺に『教えて?』って言ってきた時、めっちゃ綺麗、つーか正直エロかったんだ! 目ぇ潤んでるしまつ毛長えし、あの、目がけしからんのだろうか、こう、うん、とにかくエロい!」
「なるほどはいはい理解した! さっき流せなかったのは、美人って単語でそのこと思い出したせい、って言いたいんだな」
俺は力一杯頷く。そうなのだ、美人、で連想したのは今日の周央の様子。その時の光景がやけに頭にこびりついて、いまさらながら興奮して、全然離れてくれない。
「しかも、見た目のインパクトだけじゃなかったんだ、俺の裾掴んでたんだぞ!? 周央の、俺に懐いてるって感じの行動、滅多に無いからさ、マジで心臓飛び出るかと思った」
「つかお前、周央がそうなる状況とか、原因に心当たりは無いのか」
「状況とか、原因?」
俺は斉藤の不思議な問いかけに、首を捻った。
「会場内でのその反応とか、座敷でも。顔が赤くなってただろ」
「目が潤んでたのは、数学が解けないこととか、斉藤に問い詰められたこととか? うーん、何か違う気がするな。あと、座敷で赤かったのは別だろ、熱があったんだよな?」
何かがずれている、気はする。しかしこれ、というのが見つけられない。言語化できない、というか。
「はあぁ。お前ら、ほんと前途多難だな」
「何が?」
「やきもきするんだよ、お前ら見てると!」
斉藤の言っていることが、さっぱり理解できない。まだ習っていない公式の応用問題を提示されるレベルで、解読不能。
無言で斉藤を見つめていたせいだろう、顔面にばちゃっ、と思い切りお湯をぶっかけられてしまった。
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