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02.迫るゴール

 翌日、僕は水泳場にいた。幾何学的な屋根を持つお洒落な施設で『水泳競技の聖地』なんて呼ばれていたりもする。 「男子平泳ぎ200m、第一位 厳巳(いずみ) (ごう)君。アクアクラウン、緑山学院大学中等部」  僕は溜息を殺しつつ表彰台の上に立った。手は振らない。軽く会釈をしてメダルを貰う。それと同時に両サイドから殺気を感じた。  右側は前回五輪の金メダリスト。左側は去年の全日本王者だ。身勝手な苛立ちを胸に表彰台を下りる。 「厳巳選手、優勝おめでとうございます!」 「……ありがとうございます」  少し歩いたところで横結びの何ともフレッシュな感じの女の人に話し掛けられた。その人の手にはマイクが。腕をぐんっと伸ばすような恰好で僕に向けてくる。  僕は無駄に図体がデカいから。一番最近の身体測定では177センチあった。少し背を丸めてマイクに顔を近付ける。 「歴代最年少での優勝! それも10年ぶりの大会新記録だそうで!」 「良かったですね」 「え゛っ? ああ、……ははっ! 相変わらずクールですね~」 「………………」 「16歳、最年少でのオリンピック出場が期待されていますが、厳巳選手ご自身の意気込みとしてはいかがでしょうか?」 「僕はただ泳ぐだけですよ」 「はい?」 「泳いだ結果、オリンピックに出れるようなら出ますし、ダメだったらダメで別に構わないです」 「弱冠15歳でこの貫録!! これはもう金メダルも夢じゃないですね!」 「っ……」  そんなの真っ平御免だ。それこそ終わり。諦めてしまう。主人公なんていない。この先も現れることはないんだって。 「あっ、あれ? あの……厳巳選手?」 「……すみません。ちょっと疲れてしまって」 「そっ、そうですよね! お疲れのところ失礼致しました!」  僕は会釈で応えてロッカーに向かった。周囲では同じジャージ姿の人達、紺色のシャカパンに白い上着を羽織った人達が談笑している。だけど、僕にはそんな相手はいない。いつも通り『ぼっち』だ。 「準備が出来たらエントランスに来い。バスはもう来てるからな! 急げよーっ!」 「コーチ」 「あ?」  的場(まとば)コーチ。確か年齢は45歳。僕が所属してるスイミングスクール『アクアクラウン』の専属コーチだ。3年前、僕が12歳の頃からお世話になっている。  色白だけどやたらとゴツい体つき、黒髪の短髪ヘアーとスポーツマンらしい出で立ちだけど、垂れ目であるせいか、あるいは素の性格が災いしてか油断すると直ぐに『くたびれたオッサン化』する。  本人も気にしているようで、無駄に高圧的な態度で接してくる。正直鬱陶しいけど、僕は僕で自由にさせてもらってる分、お互い様ということで受け入れていた。 「僕はいいです。電車で帰ります」 「~~ったく。そもそもお前っ! さっきのインタビューは何だ? ちったぁニコリとでもしろや」 「……出来たら苦労しませんよ」  ここ数年、笑った記憶がない。家でも、学校でも、競泳関係でも。  僕だって不味いとは思ってる。けど、こんな状況下でへらへらし出したらそれこそもう諦めてしまうような気がして。 「ぐっ」  コーチのゴツい指が僕の両頬に食い込む。無理矢理に口角を上げて笑顔を作らせようとしているんだろう。 「使えるモンは何でも使え。お前に何か似てる俳優がいんだろ。『塩顔のプリンス』だったか? プリンスに似てんだから、テメェもイケメンってことに何だろ? なぁ?」  僕の顔は一言で言えば色白な薄顔だ。目はほんのり丸みを帯びた奥二重で、鼻筋だけは何かやたらと通ってる。  顔の美醜については正直分からない。モテた記憶もない。というか興味もない。どうでもいいんだ。そんなこと。 「ふみません。ぼくテレヒ見ひゃいのれ」  ぱっと解放される。会話が成り立たないとでも思ったんだろう。助かったけど頬が痛い。しばらくは引きずりそうだ。 「発言も見直せ。なーにが『ただ泳ぐだけ』だ。『五輪には行けたら行く』だ」 「何か問題でも?」 「大アリだ!」  僕の頭の後ろにコーチのゴツい手が触れる。かと思えばぐっと引き寄せられて、コーチの額に僕の額が乗っかった。

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