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06.君について

 ――2週間後。GW明けの最初の土曜日。僕はお馴染みの紺と白のジャージ姿で競技場に立っていた。前回と同じ、幾何学的な屋根を持つオシャレな会場だ。  今いるのは客席。黄色い座席が階段状にずらりと並んでいる。聞いた話では3,500席近くあるらしい。 「よ・こ・か・わ! よ・こ・か・わ! 一中ッ! ファイオーッ!!!」 「ねえ、じゃがりんこいる?」 「いるいるー♪」  会場内は熱気と笑顔で溢れていた。一方で僕は変わらず独りだ。視線は感じるけど声を掛けてくる人はいない。まぁ、陰口は聞こえてくるけど。  二本のじゃがりんこが女子の手に渡る。そんな光景をぼんやりと眺めていると、水着姿の選手達が入場してきた。  先頭から数えて6番目には永良(ながら)の姿があった。表情も動きも硬い。かなり緊張しているみたいだ。  今日行われているのは東京都主催の『春の中学生大会』だ。二か月後に行われる『インターハイ出場決定戦』を見据えると外せない大会ではあるけれど、それほど重く捉える必要はない。  あがり症なのかな? もしかして僕との約束のせい?  片側の口角が上がった。浮かれてるな。本当に。 『男子平泳ぎ200m予選第2組の試合を開始します』  会場中にアナウンスが響き渡った。永良の泳ぎをで観るのはこれが初めてだ。膝のあたりにある手すりを掴んで、少しだけ身を乗り出す。  あの後、僕なりに彼のことを調べてみた。けど、成果はいまいちだった。  分かったことと言えば、習い始めが僕と同じ7歳であることぐらい。接点らしい接点を見つけることは出来なかった。 『Take your marks』  選手達が一斉に飛び込んだ。各々すーっと伸びて、10メートルを境に上体が上がり、下がっていく。 「……………」  永良は第6コースだ。僕は目で彼を追いつつその泳ぎを観察する。  彼は文字通り無名だった。けど、特筆すべき点が一つだけある。ずばり脚力だ。  スタートとターンの伸びには光るものがある。『反り腰』――腰が沈んでしまう状態さえ改善出来れば推進力もぐんっとUP。自ずとタイムも改善されていくだろう。 「ユキちゃん惜しかったね~」 「あぁ! もうちょっとだったんだけどなぁ~……」  試合終了から10分後。永良は客席に戻って来た。男の人と談笑している。  黒い短パンに白いTシャツ。永良とほぼ同じ格好だ。言わずもがな同じスクールの人なんだろう。  僕は足音を抑えて永良の背後に近付く。 「やっぱ後半だよな~。もっと体力つけねーと」 「っ! そっ、そうね~」 「コーチに相談してみっかな」  触れられるほど近付いても永良は気付かなかった。ただ、お友達には気付かれたみたいだ。  鼻と口に指を押し当てて黙ってもらうようお願いをする。彼は苦笑いだ。どうやら止める気はないらしい。 「ん? どうしたんだよ、リズ――ぎゃっ!?」  僕は永良のお腹に触れた。円を描くように。感触を確かめるように。 「……何これ」  ふにゃふにゃだ。これじゃあんな泳ぎになるのも無理はない。 「っ!? てっ、てめ!? 厳巳(いずみ)!!??」 「ここもっと鍛えなよ。せめてこのぐらい」  僕は永良の手を掴んで、自分のお腹に押し当てた。ジャージ越しだけど感触は伝わっているはずだ。  自分で言うのも難だけどバッギバギ。胸筋ほどじゃないけどそこそこ隆起しているのが分かるだろう。 「折角いい脚してるのに勿体ないよ。脚に負けないぐらい鍛えれば反り腰だって――」 「なっ!? ななっ!?」  永良の顔が赤くなり出した。何? 照れてるの? 悪戯心が(くすぐ)られた。そんな自分に呆れつつも首を左に傾けてみる。 「何? 見なきゃ分かんない?」 「っ!!?」  永良は大きく目を見開くと、勢いよく僕のお腹から手を離した。 「ばっ、バババババババババカッ!!! こちとらテメエの上裸なんて見飽きてんだよ!!!」 「へぇ~?」  ようは腐るほど僕の試合を観てくれているってことなんだろう。頬が緩む。どうしよう。ちょっと嬉しい。 「あのさ、そろそろツッコんでもいい? いいよね???」  お友達だ。ニヤニヤしてる。ほんの少しだけど背筋がぞわりとした。たぶんこの人は僕が苦手なタイプの人間だ。

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