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08.感情のドッチボール
白い上着を脱いで『MIZUHARA』と書かれた箱の中にしまった。
そうして僕は永良が見慣れているという上裸に。水着姿になる。水着はハーフスパッツタイプ。色は黒だ。
目の前には青いプールが広がっていて、照明で余すことなく照らされている。
加えて僕の後ろと前方――プールの向こう側には青いシャツに黒いパンツ姿の審判員の姿があった。
厳正な場所だ。
そのせいか色んな感情が漂っている。高揚感、期待、緊張。
そんな感情を紛らわすように選手達は各々跳ねたり、両手を左右に振ったり、伸びをしたりしている。因みに僕は何もしない。
――はずだったけど、視線は自然と客席の方に向く。いた。西側下のあたりに永良 の姿を捉える。
我喜屋 君と並んで座ってこっちを見ていた。酷く緊張した顔で。君が泳ぐわけでもないのに。
頬が緩むのを感じつつゴーグルをかけた。透明な青の中を歩いて黄色い飛び込み台の横へ。そのまま片足を乗せた。
ホイッスルが鳴り響く。一回、二回、三回………五回目で台の上に乗った。後ろに控えていた審判員が背後に立つ。
『Take your marks』
合図を受けて飛び込んだ。水泡の雲を抜けてぐんぐん前に進んでいく。
永良を意識しながら泳ぐのはこれが初めてだ。
僕がゴールした時、永良はどんな反応を見せてくれるんだろう。
悔しがるのかな? それとも喜んでくれる? ギラギラしてた頃の僕の面影をほんのちょっとでも感じて。ああ、そんな泳ぎが出来たらいいな。
「はぁっ! はぁ……っ」
プールの側面に触れた。ゴールだ。
『大会新!! 大会新記録です!!! 2分5秒57!! 自己ベストも更新です!!! 世界記録まで残すところコンマ09秒!!!』
大歓声が上がった。永良は? 僕はゴーグルを外して客席に目を向ける。
「……もう」
思わず苦笑してしまった。凄く、凄くキラキラしていたから。目を真ん丸にして、口をぽかんと開けて。
正直嬉しいけど、いくら何でもチョロ過ぎる。これは流石に看過出来ない。もっと気合入れてよね。君は僕を『ざまあ』するんだから。
肩を竦めてバックヤードを目指す。
「厳巳! ~~っ、んのバカ野郎!!!」
辿り着くなりコーチにどやされた。
「何です――」
「予選から何飛ばしてんだ!! 余裕こいてんじゃねーぞテメエ!!」
「えっ? よせん………………………あっ!?」
そこで漸く我に返った。途端に気恥ずかしくなる。何をやってるんだ僕は……!! 顔が熱い。熱すぎる。僕は表情を隠すべく顔を俯かせた。
「本戦までに持ち直せるんだろうな?」
「はっ、はい!」
「なっ、何だよ。妙にしおらしいな」
顔を覗き込んでくる。僕は堪らずゴツい胸を押した。
「必ず勝つので、もう行ってもいいですか?」
「お前、マジでどうした……? 頭でも打っ――」
「~~っ、必ず勝ちますから!!!」
「おいっ! 厳巳!!」
僕は足早にその場を後にした。
「~~っ、バカみたい」
永良にいいところを見せたい。その一心だった。その一心で予選であることも忘れて全力で泳いでしまった。永良にいいところを見せたくて(二回目)。
「ほんと……っ、浮かれ過ぎ」
誰もいない廊下に出た。立ち止まって壁に凭 れかかる。
どんどん夢中になっていく。それこそ怖いぐらいに。
自分で自分に呆れる。一方でそんな自分も悪くないなと思ってしまっている自分もいて。あぁ、もう。本当に救いようがないな。
苦笑しつつ僕は一人休憩室に向かった。
――それから数時間後。僕は優勝した。けど、記録更新には至らなかった。
コーチからはこっぴどく叱られた。返す言葉もない。僕はひたすらに謝り続けた。でも。
永良、君はダメだ。
「お前、何で予選で飛ばしたんだ?」
大会からの帰り道。出会いの場所、金木犀 の木々を背にした永良が訊ねてきた。それも半笑いで。
「言っちゃ悪いけど、あそこまでやる必要なか――痛゛ァ!?」
僕は永良の額を叩いた。効果抜群だったみたいだ。彼は一人悶絶する。
「~~っ意味分かんねえ」
「そう。じゃあ、分かるまで叩こうか」
「はぁ!? ざけんなテメエ!! がっ!? ちょっ!!」
頭や肩のあたりをポカポカと叩いていく。ポカポカ。ポカポカ。ひたすらに。
「~~っ、んの野郎!!」
永良が僕の両腕を掴んだ。もうこれで何も出来まい。そう言わんばかりに得意気な顔をする。甘いな。
「なっ!? おっ、おい!」
僕はそのまま前進して永良を後退させた。彼の体がベンチに沈む。僕は座面に片膝をついて彼を見下ろした。
「君のせいだから」
「はぁ? 俺が何したよ?」
まさか自覚がないの? あんなにキャッキャしといて? いや、流石にそれはないだろう。
ただ、その激情が僕を煽っているなんて夢にも思っていない。そんなところだろう。
いっそのこと全部ぶちまけてやろうか。いや、でもそれは何か違う気がする。何と言うか野暮だ。負けた気もするし。
「……もういいよ。その代わり、もうちょっと頑張ってよね」
永良の黒い瞳が揺れる。唇はへの字になって。
「君は僕を『ざまあ』させるんだから」
覆い被さって額と額を重ねた。永良が小さく息を呑む。
「っは、上等。今に目に物見せてやるよ」
睨み返してきた。直後に笑ったけど、その笑顔はどうにもぎこちなくって。
「痛゛!?」
僕は頭突きをお見舞いした。先はまだまだ長そうだ。
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