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08.少しずつ君でいっぱいになっていく

『男子平泳ぎ200メートル、予選第12組の試合を開始します』 あれから20分後。 僕はプールサイドに立っていた。 相も変わらずここはとても厳格だ。 目の前のプールは隅々まで照らされていて、僕を始めとした選手一人一人に二人ずつ審判員がつけられている。 「っしゃ!」 「ふーーっ」 「…………」 ジャージを脱いで水着姿になった選手達が飛んだり跳ねたりしていく。 僕はいつも通りぼーっとしながらスタートを待つ……つもりだったんだけどな。 気付けば永良(ながら)を探していた。 「……あ、いた」 西側の下の方、我喜屋(がきや)君の隣の席に座ってる。 あ。目が合った……と思ったら、勢いよく逸らされた。 直視出来ないぐらい僕のことが好きだってこと? 何それ。ファン丸出しじゃん。 そんなんじゃ困るんだけどな……なんて思いながらも、満更でもないと思い始めている自分もいる。 ――永良は僕に夢中だ。 その事実を肌で実感出来たのが嬉しかったんだろうと思う。 「何笑ってんだよ」 「……別に」 隣のレーンの選手が突っかかってきた。 別に珍しいことじゃない。 ずっと前からこうだから今更何も感じることはない。 でも、永良に知られるのは……嫌だな。 きっと怒るし、悲しむだろうから。 一息ついてゴーグルをかけた。 透明な青の中を歩いて、飛び込み台に片足を乗せる。 ホイッスルが鳴り響く。 一回、二回、三回………五回目で台の上へ。 後ろに控えていた審判員が、僕の背後に立つ。 『Take your marks』 合図を受けて飛び込んだ。 水泡の雲を抜けて、前へ前へと進んでいく。 永良は今、どんな目で僕を見ているんだろう。 ゴールした時、どんな反応を見せてくれるんだろう。 そんなことばかり考えながら泳ぎ続けて――プールの壁にタッチした。 ゴールだ。水中から顔を上げて、観客席に目を向ける。 すると、永良は険しい顔で首を傾げていた。 は? 何あれ――。 「!」 電光掲示板に目を向けた瞬間――背筋が凍る思いがした。 示されたタイムは2分11秒。 自己ベストよりも5秒も遅かったから。 「……やばっ」 「厳巳(いずみ)!!!!!!!!!!!!!」 案の定、怒鳴り声が飛んでくる。当然だ。 1.0~3.0秒ならまだセーブで通せるけど、それ以上は怠惰と取られる。 コーチなら猶更だ。 反省しないと。いくら永良に『ざまあ』されたいからって、故意もしくは自滅する形で負けるのは絶対にナシだ。 それじゃ何の意味もない。 というか、永良に対して失礼だ。 彼とは正々堂々と戦って、ちゃんと負けないと。 「何してんだ!! こっち来い!!」 「……はい」 合流するなりコーチは、粗暴な口調はそのままに「何があった?」「体は?」と、僕が「何ともありません」といくら答えても、手を変え品を変えて質問を浴びせてきた。 言うまでもなく、僕の不調の原因を探るためだ。 こういうところはコーチとして熱心だな、凄いなと思いつつも、今の僕には少々……いや、大分厄介で。 「本当にすみませんでした。必ず挽回するので、少し休ませてもらってもいいですか」 「いいだろう。ただし、次しょーもねえ結果出したら承知しねえからな」 僕は改めて「すみませんでした」と頭を下げて、その場を後にする。 しっかりしないと。今のままじゃ、永良との出会いがマイナスなものになってしまう。 そんなの絶対にイヤだ。絶対にプラスにしてやる。 そう決意して本戦に臨んだ。 結果、僕は優勝。 世界記録まではあと0秒57となり、『誰もいない世界』への切符がいよいよ実体化し始めた。 だけど、前みたく焦るようなことはなかった。 永良ならきっとついて来てくれると――そう信じていたから。

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