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第3話

「あんたたちはいいの? お茶」 「あ、いえ、こちらは龍神様のおかわり分で、僕たちの分ではありません」 「そうなの?」  エイメイも頷いた。 「我々が龍神様と同じものをいただくわけにはまいりません」  そういうの、なんか嫌だ。 「飲めば? 喉が渇いてないっていうなら、別にいいけど」 「しかし、貴重な茶葉です」 「でももう淹れちゃったんだし、飲みなって」  エイメイはなおも反論すべく口を開いた。でも、思い直したらしい。あんまり断るのも失礼だと思ったか。 「では、ご相伴にあずかります」 「ショウレンもね」 「えっ! 僕はそんな、とてもいただけません!」 「いいから飲んで」  ショウレンはびくびくしながらカップを口に運んだ。お茶を飲んで、その顔がふにゃんと蕩けた。 「うわあ……。美味しいですねえ」 「淹れたのは君だよ」 「淹れることはできても、とても僕なんかが口にできるものじゃありませんから。お茶は高級品なんです」  喜ぶショウレンとは対照的に、エイメイは黙ってお茶を味わっていた。彼もめったに飲めないお茶なんだろうか。  考えてみれば、誰かとゆっくりお茶を飲むなんて俺も久しぶりかもしれない。  エイメイがカップを置いた。きれいに空になっている。 「龍神様。よろしければこれまでのことをご説明申し上げたいのですが。まず、ここがどこかはご存じでいらっしゃいますか?」 「祠廟でしょ? さっき言ってたよ」 「いえ、国の名前です。嘉(か)といいます」  それは絶対に俺の知っている国の名前じゃない。  疑問が浮かんだ。 「ちょっと訊いてもいい? 俺たちが喋ってるこの言葉って、何語? なんで普通に通じ合っちゃってるの?」  エイメイははっきりと眉間に皺を寄せた。「こいつは何を言っているんだ」って顔だ。 「嘉の国で話しているからには、嘉の言葉ですが……」  なんでそれが日本人のはずの俺にわかるんだって訊きたかったんだけど。そんなの、エイメイに答えられるはずもないか。 「話を続けてよろしゅうございますか」 「ああ、うん。続けて続けて」  俺は投げやりに手を振る。 「ここは嘉の都です。我々がいるこちらの建物は龍神様の祠廟であり、都の中心部、宮殿からも程近い場所にあります。私はふた月ほど前まで地方の県令をしておりましたが、都に呼び戻され、太子様にお仕えすることとなりました」 「太子?」 「帝のお世継ぎです」 「県令って?」 「役人です。県の政治を執り行います」  県知事くらいのポジションかな。 「県の役人が太子のお付きかあ。それって出世だよね?」 「もちろんです!」  横からショウレンが割り込んだ。 「でもですね、エイメイ様がいずれ太子様にお仕えすることは前々から決まっていたんですよ。お生まれも名門ですし、太子様とはご学友でいらっしゃいましたし、陛下からもぜひにと乞われてらしたとか。県令として赴任なさったのは実務経験を積むためで……」  すごい早口。あれだ。推しについて語る人だ。 「ショウレン。やめなさい」 「あ……。すみません」  ショウレンは慌てて口を閉じた。  エイメイは何ごともなかったかのように続ける。 「太子様に命じられ、ショウレンを連れて都の周辺を視察しておりましたところ、龍神様のお姿を発見いたしました。追いすがる我々にお気づきになられた龍神様が降りていらしたのです」 「ああ」  やっと繋がった。  俺が見た空を飛ぶ夢。あれが夢じゃないとしたら、俺は空から降りてきて、人間になって……。  待てよ。  その前の記憶、過労でふらふらしながら赤信号を渡ろうとしたあれと照らし合わせると、俺はまさか、死んだ? それで、生まれ変わって、ここに来たのか?  生前の俺は、死ぬような生活をしていた。毎日深夜まで働いて、なんの楽しみもなくて、死んだって言われればそりゃあそうだろと思う。  じゃあ、本当にもう、仕事はしなくていいんだ。  ほっとした。 「私は龍神様を保護し、都にお連れしました。太子様も陛下も大変お喜びになり、龍神様については私に一任すると仰せになりました。ゆえに私は龍神様の身の回りのお世話から日々の予定、面会する者、外出、祠廟の警備など、すべてにおいて責任を負っております。龍神様を間違いなくお守りするようにとの、陛下のご勅命にございます」  帝が直々に守れって命令するほど、俺って重要な存在なのか。それってちょっと怖い。むずむずする。ついでに腹具合もあんまりよくない。 「腹減った」  まる二日眠っていたってことは、まる二日何も食べていないってことだ。考えると余計に腹が減ってきた。  エイメイは渋い顔。 「まだ話は終わっておりません」 「あんた俺に腹ペコのまま話聞けっての?」 「そうは申しておりませんが」  その不満そうな顔を見れば、「話が先だろ」って言いたいのはわかるんだよ。 「メシが先。腹減った。なんか食わせて」 「仕方がありませんね。ショウレン、龍神様にお食事をご用意しなさい」 「はい、すぐに!」  ショウレンは廊下へ飛び出していった。 「食堂はありますが、本日はこちらに運ばせましょう。どうぞおかけください」  エイメイが椅子を引いた。こういうところは紳士的だ。  十五分もしないで食事が運ばれてきた。給仕係が何人もいて、テーブルに料理が並ぶ。茶碗には……雑穀米かな? 米は米だけど、数種類の穀物が混ざっている。白い団子が入ったスープ。ほか、なんの肉かはわからないけれど、焼いた肉に黒いソースがかかったもの。漬けた野菜らしきもの。馴染みのない匂いがする。  ひとり分だ。俺はエイメイを窺った。 「俺だけ? あんたたちは?」 「我々は後ほどいただきます。お気遣いありがとうございます」 「じゃあ、まあ、ありがたくいただくね」  素朴な味つけだけど、どれも美味しい。俺はあっという間にぺろりと平らげてしまった。 「龍神様。先ほどのお話を続けさせていただいてもよろしゅうございますか」  エイメイだ。ショウレンは食器を下げにいった。 「お腹いっぱいになったし、いいよ」 「ありがとうございます。では、お話しいたします。ここ二年ほど、嘉では干ばつが続いております。降雨量の減少による水不足のため、作物の実りが悪く、備蓄食料でしのいでいる状態なのです」 「え」  干ばつ。その単語は、社会の教科書で見ただけのものだ。現実としては、俺は知らない。  でも、ついさっきしっかり食事が出たけど。言われてみれば、野菜は保存食っぽくもあったか?  それにしたってショウレンもエイメイも元気そうだし、食料不足で飢えているとはとても思えない。 「ええと……。それは都じゃなくて、地方の話?」 「地方に比べれば確かに都の被害は軽微です。ですが、問題は国全体に及んでおります。いまのまま雨が降らなければ、いずれ都の食料も底をつくでしょう」 「大変だね」 「ですから、龍神様には雨を降らせていただきたいのです」 「へっ? 俺?」  エイメイはきっぱり頷く。 「『大地が干上がる時、龍神が現れてすべてを潤す』――という伝承が嘉にはございます。事実、百年から三百年ほどの周期で顕現の記録が残っております。嘉では龍神様の存在は救いそのものなのです。どうか雨を降らせてください」 「待ってよ。いまだってまったく雨が降らないってわけでもないでしょ? 天候は自然の摂理なんだよ。雨の日もあれば晴れの日もあるの。たまたま二年雨が少ないってだけで、来年は雨の多い年かもしれない。そういうものなんだよ」 「たとえそうだとしても、我々はただ座して耐えているわけにはまいりません。現にこうして、龍神様が顕現なさったではありませんか」  誰か嘘だと言って。そんなの俺には背負えない。 「しんどいだろうけど、いまは耐えるしかないんだと思うよ。そのために備蓄してたんでしょ?」 「民は既に二年耐えております。今年も作柄は芳しくないでしょう。この先何年も干ばつが続けば、民の苦しみはさらに増します」 「だからそれは仕方ないんだってば。俺にはどうにもできないよ」 「できます。あなたは龍神様です。私は世話役として龍神様がお力を取り戻すよう力を尽くします。どうか我が国をお救いください」  彼はひざまずかんばかりに懇願している。

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