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白の騎士と黒の騎士
その日は雨だった。空から落ちる雫が窓を叩き、弾け、また落ちていく。その繰り返し。そしてその日、事件が起きた。
「逃げただと! 見張りをつけてた筈だろうが、何やってんだ! あ?」
クラトラストの怒声が響く。報告した騎士は震え上がり、持っていた紙を床に落とした。
クニヒロが牢から逃げ出した。
それはあってはならないことだ。罪人ではないにしろ、クニヒロはそうそう外にだしてはならない人物。クラトラストは舌打ちをし、騎士を睨みつける。
「も、申し訳ありません!」
「それで、今はどこにいるのですか」
気を利かせたナルキスがクラトラストが話す前に声を掛けた。騎士は尚も顔を青くし目線を下に下げたまま告げる。
「その……、助けに来たアルブムの騎士と共にいるのかと、お、思われます」
「アルブムの騎士だと?」
クラトラストは立ち上がり、ナルキスの首を左手で抑えた。勢いのまま地面に背をぶつけたナルキス。首はまだクラトラストの左手で覆われている。
「俺は蝿取りを命じたはずだが? なぜまだ生きてるんだ? あ?」
「もうしわけありません」
「謝って済む問題か? あ゙? ちげぇだろ。何で、生きてやがる。俺が納得できるような説明をしないと、殺すぞ」
「も、しわけ……、ございませ……ん……。森に……、捨ておけば……、野獣の餌にでもなると……、確認せずに……」
「お前……。チッ、仕置きは後だ。分かってんな、次はねぇぞ」
「はい」
ナルキスは首を抑えながら廊下を歩く。後ろに控える騎士がナルキスの様子を伺いながら話しかけた。
「ナルキス様、その……、首は……」
「大したことはありません。それより、現状を教えて下さい」
「はっ! 異世界人は現在地下通路から脱出を試みているようです。」
「分かりました。貴方は裏切り者を探しなさい。城に招き入れ、さらには牢まで案内した人間がいるはずです」
「承知致しました」
騎士が離れる。ナルキスは既に誰が裏切り、城まで手引きしたのか分かっていた。今日、珍しく手土産を持参した男。クラトラストの叔父にして、政敵であるアデルポルだ。
念の為、騎士をつけ見張りを置いていたが、殺されたか、懐柔されたか。牢の見張りをしていた騎士らもアデルポルであれば、権力の前にひれ伏すしかない。クラトラストは自身が見張りをすべきだったと後悔する。まさか、本気で裏切ってくるとは思ってもみなかったのだ。権力の下好き勝手するが、クラトラストを裏切るまでの度胸はない男だったからだ。
「勝算があるのか……。いくら騎士を集めたとて、アデルポル派はクラトラスト様の騎士に比べればたかが知れている筈」
ナルキスは一度考えることをやめた。その真相はこの目で見なければ分からない。起こってはいけないことが、今、起ころうとしている。汗が喉元を通り抜けた。
地下通路。本来、王家が襲撃にあった際に逃亡を図るために使う。まさか、敵に使われるとは誰が考えようか。迷路のように道が無数に分かれているそこを通るというのだから、王家の血筋であるアデルポルが犯人ということで間違いない。
ナルキスは王の側近。地下通路の道順はすべて頭に入れている。足手まといを連れた上に、隠れながらの逃亡を図るアルブムの騎士らに追いつくことは容易いことだった。
ナルキスは剣を抜き走る。
キンッ――
剣と剣がぶつかる。防いだのはアルブムの騎士デルフィエイダ。一目見て分かった。デルフィエイダの体付きが変わっている。前のデルフィエイダであれば、ナルキスの剣を受け止めるどころか、気配にすら気づかぬまま死んでいただろう。
ナルキスは無意識のうちに笑っていた。
「何が可笑しい」
「いえ、あの死地で生き残り、さらには強くなるとはアルブム人には珍しいと思いまして」
「アルブム人だって、大切な人のためになら、死ぬ気で強くなれるんだよ!」
デルフィエイダの振った剣はナルキスの剣とぶつかる。以前とは違う。隙がなく速い。そして、ピリピリと感じる重さ。ナルキスは笑う。まるで、これを待っていたかというように笑った。
「なんだよ、あいつ……、笑ってる……」
クニヒロはその異様な光景に思わず呟いた。ピクリとも笑わなかった。驚くほど何も映さない瞳だった。それは美しい人形のようだった。けれど、今は違う。狂ったように戦っている。酷く楽しそうだ。
デルフィエイダとてナルキスの変貌に驚いている。しかし、素早い剣捌きに一瞬足りとも気が抜けない。
「その剣筋、教えたのはリプトルですね」
「ああ、そうだ! リプトルさんはお前を大層嫌ってたよ。もう年を取って衰えたからお前には勝てない。だから俺を強くするんだって息巻いてた。非情なやり方でリプトルさんを追い出したらしいな! 流石、悪逆非道の国王の側近だ!」
デルフィエイダは元ニガレオス国最強の剣士に修行を付けてもらった。
あの日、ナルキスに呆気なく負けてしまった後、木陰に隠れていた男に助けられた。その男こそ元最強の剣士リプトルだ。リプトルはクラトラストが国王になる数年前まで前王の側近として勤めていた。しかし、国で行われる剣術大会でナルキスの策に嵌り敗北した。初めての敗北。そして、その敗北のせいでリプトルは前王の側近という立場と一生の幸せを失ってしまった。
リプトルはナルキスを恨んでいる。
だからこそ、ナルキスの敵は自分の味方と、デルフィエイダ達を助けたのだった。
「リプトルさんが俺に修行をつけてくれたんだ。俺はお前に勝つ!」
デルフィエイダの剣が振られる。ナルキスの瞳に刃が映る。ナルキスは体の重心を左に倒し、剣を左手に持ち変えると、その剣を真上に投げた。驚いたデルフィエイダはその剣の行く先を辿ってしまった。
「デルフィエイダ!」
クニヒロの声が響いた。ナルキスは懐に隠していた短剣でデルフィエイダの腹を貫こうとした。
パンッ――
その瞬間、何かが弾けた音がした。とさりと崩れ落ちたのはナルキスだった。
どくどくと流れる血。燃えるような熱さ。剣で切られた痛みではない。感じたこともない痛み。深い、深い場所に血が溢れる。
「アデルポル……」
アデルポルの右手に黒い塊が握られていた。ナルキスはそれが何か理解できない。ただ、そこから放たれた鉛が己の腹を貫いたのだと分かる。
「ここまでの威力とは……」
「アデルポル! なんで本当に当てちゃうんだよ!」
「クニヒロ様、先程の攻防を見たでしょう。修行し、リプトル殿に勝ったデルフィエイダ様がやられる寸前だったのです。私に剣技の才はありませんし、他二人もナルキスには勝てぬでしょう」
アデルポルは冒険者のリヴール、海賊のグリズリーを見る。二人揃って先程の戦いに入る隙を見出だせなかった。あのままデルフィエイダが殺られていたら全員がこの場で死んでいただろう。
「それに、我々にはまだやることが残っています。革命はまだ始まったばかりです」
「ゴホッ……、か、くめ……い……」
「ははっ、まだ息があるとは、この武器も改良の余地がありそうだ。……ああ、そうだ、ナルキス。私はクラトラストを王座から引きずり下ろす。分かるだろう? あの王は王として失格だ。争いを好み、貧しい人間を見殺しにする。そんなこと許されるはずがない」
「うら、ぎりは……ゆる、さない」
「裏切りではない。これは、国のためだ。仕方のないこと。君は一人ここで死ぬが良い」
ナルキスは震えながら、腹を抑えた。アデルポルはクニヒロを連れ元来た道に戻る。
「アデルポル? どうして、出口はあっちだぞ」
「ナルキスは頭の切れる男です。恐らく、出入り口付近に騎士を配置しているでしょう。敢えて戻り、私の連れてきた騎士と合流しましょう」
「ああ」
足音が遠ざかっていく。ナルキスの前に一つだけ影が残った。
「いか……ないのですか」
「俺はな、クラトラストが王をやっていようがどうでもいい。自由な海賊だからな。だから、面白そうなことがあれば乗る。だが、今回に関しちゃ面白いだけでついてきたわけじゃねぇんだわ」
海賊にして、ニガレオス国民のグリズリーは上から見下ろすようにナルキスを見る。
「わ……たしに恨み……でも?」
「恨み? そんなのねぇよ。お前らが俺ら海賊を淘汰させようとクソどうでもいい。俺らはただ自由の元生きてるだけだしな。そんなことよりももっと、もっと大事なことだ」
「だ……いじ?」
「俺はガキだった頃から海賊をしてた。そんで、俺はあの日、見つけちゃいけねぇものを見つけてしまった。あれは今、どこにある。この城に隠してある」
「あれ……とは……?」
「惚けんなよ。分かってんだろ、予言書のことだ」
それは、海賊如きが知っていいものではない。国家機密であり、世界の根本を左右する一冊の本。未来を見通し、未来を知れる本。それが予言者だ。
ナルキスはその本来この世にあるはずがないものの名前に笑ってしまった。
「あれがあれば全てを知ることが出来る。前王に奪われるあの日まで確かに俺は神と同等の立場にあったんだよ!」
「さぁ……、どう……でしょうか……。しかし、貴方だけがこの場に残った……、ということは……ゲホッ、仲間には言ってない……ようで……すね……」
「あたりめぇだろ。俺はあれを探すためにここまで来たんだからよ! 仲間だぁ? どうだっていいんだよ!」
「そう……ですか……、なら、探すといい」
ナルキスは口から血を流し、意識を手放した。グリズリーは舌打ちをしてクニヒロたちに合流するために歩き出した。
「クラスト……」
掠れた声は誰にも届かぬまま消えていく。ナルキスは意識を失ってなお、主の名を呼んだ。
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