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第六王子と奴隷
第六王子ユナリオ。ニガレオス国の王子であるにも関わらず、その性格は温厚。幼い頃から病弱で、争いを好む第四王子ネルサダや第九王子クラトラストよりも死が近くにあった。それ故に人には優しく平等に接してきた。ニガレオスよりもアルブムの青年だと言われたら、恐らく皆信じたことだろう。ユナリオは欲もなく向上心のかけらも備わっていなかった。
ユナリオは週に一度、医療機器が備わっている施設に赴いていた。通常は王室専用の医者がユナリオの屋敷に訪れて見ていたが、週に一度だけは精密検査のできる施設に赴かなければならない。
「やはり、医療機器を屋敷に置けばこんな手間は省けるのでは?」
隣で面倒臭そうに話すユナリオの従者が言った。チラリと従者を見たユナリオだが、目を逸らし栄えた街を見つめる。忙しそうに働く人々。活気に溢れ、新商品だと書かれるポスターがあちこちに貼られている。ユナリオに近付いてくる者は金目当てか、その美貌に惚れてかの二択でしかない。第一王子や第二王子のように権力はなく、第四王子や第九王子のように力もない、第十王子のように特筆した才能もない。だから、従者もまた仕えたくて仕えているわけでは無いのだ。やる気がないのは仕方がない。
「医療機器は管理が大変だから」
あくまで言い訳だ。本当は今すぐにでもいくらでも屋敷に医療機器を持ち込める。なんなら屋敷の隣に診療所だって作れる。けれど、それをしないのは、週に一度だけ街を見渡せる時間を奪われたくないからだ。面倒臭がっている従者には申し訳ないが、ユナリオは我儘を押し通していた。
この日もいつものようにユナリオは街の風景をじっくりと楽しそうに見つめていた。しかし、一瞬、平和な街に相応しくないものが目に映った。
「待って下さい」
「うぇっ! なんですか!」
馬車が止まる。従者は驚いて声を上げる。その前にユナリオは外に出ていた。溢れる活気。人と人の間を縫い、今しがた目に写った光景の下へ走る。
「なんて……血が……」
ユナリオは地面にこびり着いた血を見て、口元を手で抑えた。それは大量の血。確かに馬車から見えた。血だらけの人。路地裏に一人浅い息をして隠れていた。
「大丈夫ですか!」
「ゲホッ、さ……わるな……」
ユナリオは一瞬手を引く。しかし、血だらけの男を見て、再度止血に取り掛かる。
「僕、とっても暇で、よく診療所に行くんです。看護師さんに止血の方法教えてもらった事もあります。だから、大丈夫です」
「そんな問題じゃ……」
「すぐに助けもきます」
「俺に関わるな……、俺は奴隷だ、商人から逃げてきた……ただの……」
「それがなんですか。それより喋らないで、もしも商人が来ても大丈夫です、だから安心して下さい」
ユナリオは安心させるように笑ってそう言った。男は既に体力を使い切っていたのか、そのまま気絶するように眠りについた。
それが、ユナリオとキリュウの出会いだった。
クラトラストとの戦の数日前。
ユナリオはカタカタと震えながら自身の身体を抱き締めていた。
「どうしよう、どうしよう、あれから一週間も経ったのに、クラトラストは死んでない。やっぱり僕じゃ駄目だったんだ……」
ベッドの上で丸まりながら弱音を放つ。それを聞いた騎士であるキリュウは頭を振った。
「ユナリオ様、落ち着かれて下さい。まだ、策はあります。……私が貴方の代わりにクラトラスト王子を討ちます」
「駄目! そんなの駄目だよ。クラトラストは強いんだよ。この国で一番強いんだ」
「例え強くとも人間です。いずれ死ぬ運命にある。隙を狙えばきっと」
「でも! 戦うのはキリュウでしょ! キリュウが死んだら、全部意味がなくなっちゃうよ」
「私も戦いたいのです。貴方のために。貴方が私を救ってくれたように」
キリュウにとってユナリオは恩人だ。小汚く、奴隷であったキリュウを優しく迎え入れてくれた。病弱な主人だと多くの騎士がユナリオから離れていく中、キリュウだけは決して離れなかった。
「ユナリオ様、先程ユナリオ様が診療所を訪れると噂を立てておきました」
「なぜ、そんなことを……」
「罠を仕掛けるのです。クラトラストだけではなく、今や貴方の命を狙う王子はいくらでもおります。兵が少なくなる外出時に奇襲をかけることも容易に想像がつく。ですから、罠を張り巡らせ、待ち伏せし討つのです。」
「でも……、それをするには囮が必要なんじゃ……」
「大丈夫です、馬車に誰が乗っていようと外から見たらわかりません。ノコノコと近付いてきた騎士等を内側から刺し殺せばいいだけです」
「キリュウが馬車に乗るの! そんなの駄目だ、一番危ういのは馬車に乗る囮役だ!」
「だからこそ私が乗り込むべきなのです。大丈夫、私は貴方の騎士なのだから。主君を一人残して死ぬわけがない」
ユナリオはキリュウを抱き締めた。強く強く。抱き締めた。
王が死に、遺言を残した。そこから王位継承争いが始まった。本来なら、ユナリオは真っ先に死ぬ筈だった。けれど、死を免れた理由は一つ。兄弟を最も殺してきた男と手を組んだから。いや、正確にはユナリオはその男に最大の弱みを握られ、無理矢理その男と契約を結んだ。ユナリオの弱み。それは薬だ。病弱なユナリオにとって薬はなくてはならないもの。裏切ればその薬を製作する機関を壊すと脅されたのだ。ユナリオはその男と手を組むことになった。
ユナリオはネルサダの住む屋敷から自身の屋敷に戻っていた。神妙な顔つきで、少し顔が青い。キリュウは隣でユナリオを支えた。
「ユナリオ様をこのように利用するとは……」
「仕方ないよ。確かにネルサダ兄さんは手強い。でも、僕のこの顔、ネルサダ兄さんは好きだから。強い人間を倒すには策を講じなければならない。安全にネルサダ兄さんを殺せるのは、僕か、クラトラストくらいだから。僕が使われても仕方がないよ」
「……しかし、クラトラストが動かないのは不思議ですね。彼は戦を好む性質なはずでは?」
「クラトラストか……。兄弟だけどクラトラストはあまり話したことはないな。確か仲の良い友人がいるって話だったから彼が止めてるんじゃないかな」
「止められるような器でしょうか」
「さぁ? それは分からないけど。ねぇ、キリュウ、ネルサダ兄さん、死んだかな?」
「毒を飲み込んだ頃かと思います」
ユナリオはネルサダを思い出す。先程お茶菓子を手渡した。即効性はなくじわじわと蝕んでいき三日後に死ぬという。作ったのは第十王子カルロだ。犯人を追えなくするようにそのような効果をもたらしたのだと言っていた。
「もしバレたら他の王子に僕も目をつけられちゃうね」
「どちらにせよ、後戻りはできません」
「僕、死んじゃうかな」
「死ぬか生きるか選択肢はそれしかないなら、生きましょう。必ず私が護ってみせる」
震える手を握る。ネルサダは良い兄ではなかった。兄弟だというのに、会う度にユナリオの尻や太腿を触ってきた。止めてというユナリオに笑って唇を指で触れた。けれど、悪い兄ではなかった。城でユナリオの悪口を言う従者がいつの間にか消えていることがあった。聞くにネルサダが解雇を命じたのだと言っていた。好きではないけど、決して嫌いではなかった。それを自らの手で殺すのだ。涙が溢れ、それでも生きたいとユナリオは足掻いてしまった。
「ユナリオ様、大丈夫です。大丈夫です」
先程までうまく言っていた戦況がひっくり返った。キリュウは馬車の中にいても分かってしまった。それでも、逃げ出すわけにはいかない。ユナリオはこんな奴隷上がりの自分を見つけてくれた。ニガレオスにとって奴隷落ちはよくあること。奴隷から開放されるにはアルブムに逃亡するか、死を待つか。奴隷落ちするのは犯罪を犯したものだけ。キリュウもまた、人を殺した。他愛もない。ただ、貧困街で生活しており、たまたま通り過ぎた貴族がやりたい放題していた。女に暴力をふるった瞬間、頭にきて気づいたら地面に貴族が転がっていた。そのまま奴隷になったのだが、奴隷として買われた先の貴族をまたしても同じように殴り飛ばしてしまった。結局、衛兵に殺されそうになり、逃げ出した先でユナリオに助けられた。自分はユナリオの側にいるべき人間ではない。わかっていた。けれど、側に居続けていたのは、いたかったのは、あの人の笑顔を護りたかったから。あの人に死んでほしくなかったから。だから、キリュウはなんとしてでも、クラトラストを殺す。殺してそしてまた……
近付いてくる騎士。気配で分かる。キリュウは剣を抜き、そして扉を開け剣を突き刺した。
「クラトラスト……」
「呼び捨てか? たかが騎士が生意気だなぁ!」
まさか王子自ら出張るとはキリュウは思いもしなかった。やはり戦闘狂というのは本当なのだろう。キリュウは剣を振り、クラトラストに飛びかかる。不思議と他の敵は襲ってこなかった。クラトラストが何かを言ったか。ならばそれは好都合というもの。キリュウは剣を左手で握った。そして、剣を振りながらクラトラストの剣を握る右手をもう片方の手で掴んだ。
「ハッ、駄犬が!」
「死ね」
キリュウは左手で持つ剣を振るった。だが、その前にクラトラストは左手でキリュウを殴り飛ばした。
「俺が剣しか触れない馬鹿だと思ってんのか? 笑わせんなよ、小賢しい真似してくる阿呆相手を俺は何年もしてんだよ! 今更そんな穴だらけの策で俺を殺せると思ったら大間違いなんだよ! 駄犬」
腹を抱えたキリュウは立ち上がる。痛みには慣れている。幾らでも戦える。例え相手が死の騎士団を率いる男だとしても、キリュウはそれを上回るタフさを持っている。いくらでも戦ってみせよう。キリュウはクラトラストに立ち向かった。
剣を振る速さも重みも策も、全て持っている。だが、段々とキリュウは押されていった。
「くそっ……」
「切られても立ち上がる、嫌いじゃないぜ? だがな、痛みは感じなくても、身体は傷ついてんだぜ? そりゃ、動きも遅くなんだろーよ」
剣が重い。キリュウはここまで長く戦ってきたことがなかった。それは、キリュウが何度もなく立ち上がり、無敵のように思わせ、相手が怯んだ内に叩き切っていたからだ。しかしクラトラストは楽しんでいる。キリュウが立ち上がるたびに喜びの声をあげている。ああ、そろそろ駄目だ。
クラトラストの剣が目の前に迫る。
「すみません、ユナリオ……」
剣を受け入れる。だが、痛みは襲ってこない。
「ユナリオ……」
ユナリオがクラトラストの剣を防いでいた。ガクガクと震えながら。
「クラトラスト……、僕の従者は強いでしょ。今の君の力、僕でも受け止められたよ」
「ほぉ? なら俺とやるか? ユナリオ」
「弟はお兄さんを立てるものだよ」
「知ったこっちゃねぇな? ユナリオおにいさまよぉ!」
「残念だけど、僕と戦っても楽しくないと思うから逃げるよ」
ユナリオは黒い玉を懐から出すと、外に放り投げた。モクモクと黒い煙が辺りを覆う。目が眩んでいる間にユナリオはキリュウを馬に乗せ、誰もいない方向へと走り出した。
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