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第二王子と第八王子

 ナルキスはユナリオとキリュウが間者と接触したことを知り、背もたれに身体を預けた。 『キリュウ! やめて! ねぇ、ナルキス、お願いだ。僕の命が欲しいんだろう! それならいくらでも差し出すよ! だから、お願い、お願いだから、キリュウを見逃して! お願い、お願い、お願いだから……』  姫とそれを護る騎士。 「何が姫だ、何が騎士だ。あんなもの、ただの従僕に向ける言葉じゃない」  ユナリオはアルブム国民のようだと言われていた。だが、違う。彼はキリュウを傍に置き続けるという欲を持っていた。そのためなら何だってする。恐らくユナリオが第二王子に従うことにしたのはキリュウの命を護るため。おおよそ、彼は自分が死んでも彼だけは殺さないように願い出たのだろう。 「クラストはどうするだろうか」  先程、死んでも戦い続けろと言われたばかりだ。そして私もそれに従う。けれど、あの二人を見ていると羨ましいと……、思ってしまった。 「何を今更……。だめだな、消そうと思っても消えない。どう足掻いても望んでしまう」  ナルキスはあのとき本気で殺そうとした。殺そうとして、止めた。身体が勝手に動いたと言ってもいい。とにかく、死から彼らを遠ざけたくなった。それは、自分と彼らを重ねてしまったからなのか。それとも、彼らだけはその想いを叶えていてほしかったからなのか。分からない。  どちらにせよ、クラトラストは追えとは言ったが殺せとは一言も言っていない。命令に反したわけではないのだ。髪を一束持ち帰れば死と断定された。それで終わりだ。 「はぁ……、それよりも第二王子のことだな。まさか、裏で手を引いていたのが第二王子だとは。第八王子と踏んでいたんだが、予想が外れた」  第二王子フィレットは剣技の才も勉学の才も恵まれた。その為か昔から第一王子より第二王子の方に王としての器があると言われて来た。第一王子ルベリアデールはただの王の子の一人目に過ぎない。王位争いはこの二人の間においては幼い頃から始まっていた。 「だからといって、王位継承争いが兄弟全員に飛び火しないと誰が言った」  この国は二ガレオス。誰もが夢を持ち、一位の座に座ろうと藻掻く。ニガレオス国民全てが王位継承争いをしたとしても可笑しくはない国。しかし、現実にそれが行われないのは、この国の王の力が圧倒的に強いからだ。弱い王は望まれない。アルトプス王が兄弟間での殺し合いを命じたのも理解できないわけではないのだ。 「第二王子か……、手強い相手だ」  それこそ、第一王子よりも数段厄介な相手。 「次に狙うのは誰だ。」  時期王筆頭として育てられ、騎士の数は兄弟一の第一王子ルベリアデールか、姑息な手段を取り十も満たない兄弟達を容赦なく殺した第八王子ゲイジルシアか、国を滅ぼすほどの毒を作れる第十王子のカルロか。はたまた、死の騎士団を率い、国で最も強いと有名な第九王子クラトラストか。 「第六王子との戦いで疲弊した第九騎士団が狙われても可笑しくはない」  ナルキスは第六王子とその騎士を思い出す。大切なものとの縁を切れと彼らは最後に告げた。死の騎士団の人間は戦闘にしか興味がない。自己愛が強く、他の人間に興味がない。自分はどうか。両親、主に父は貴族だが手紙のみのやり取りしか行っていない。仮に父が人質に取られたとしても見殺しにしても良いと考えている。それは別に冷徹だとかそういった問題ではない。父がナルキスをそう育てた。クラトラストの為に生きるようにナルキスを育てた父は、クラトラストを犠牲にして自分を護ってくれなど言わない。では、唯一心を許しているイトロスはどうだろうか。イトロスに力はない。残念ながら弱い。けれど、医者になる夢があり、その夢を叶えられる力がある。彼なら難しい手段も成功させ、多くの命を救えるだろう。そんな彼が人質に取られたらナルキスはどうするだろう。見捨てられるのか。クラトラストの為に助けないという選択肢が取れるのか。 「無理だ」  優しい友人を、見捨てられない。第二王子が裏で手を引いていなくとも、第八王子がいる。第八王子は姑息で汚い戦術を使う。クラトラストの友人のナルキスが目をつけられても可笑しくない。 「イトロス……」  ナルキスは手紙を描くことにした。直接会うことはもう出来ないからだ。 『イトロスへ  君と友人であることをやめる。  もう、連絡をしてこないでくれ。  もう二度と会うことをしない。  ナルキス』  簡単に、直接的に書いたそれを従者に渡し、イトロスの元へと届ける。これでいいんだと思う。元々人の命を救うイトロスと人の命を奪うナルキスとでは、生きる道も未来も違うのだから。  だが、イトロスはさも当然の如くナルキスの前に現れた。 「ナルキス、あの手紙はなんだよ」  怒り狂うイトロス。ナルキスは視線を逸らし、誰もいないことを確認する。 「おいっ! 聞いてるのか! ナルキス!」 「はぁ、聞いている。手紙で書いたことが事実だ。それ以上も以下もない。君との友人関係は終わりにする。それだけだ」 「だからそれがなんでだって聞いたんだよ」 「分からないのか。クラストは強いものを望んでいる。私は強い。けれど、イトロス、お前は弱い。だから、いらないんだ」 「はぁ? そんなのおかしいだろ! そもそも、お前、今までそんなこと言って来なかったのに、なんで今更なんだよ!」 「お前も知っているだろう。王位継承争いが始まった。クラストはこれから王になる。クラストが求めるのは強い人間だ。だが、イトロスは弱い。クラストの周りに弱い人間は必要ない。そのクラストの騎士である私も同様だ。弱い人間は必要ない。王位継承争いでイトロスが自分の命欲しさに私やクラストの情報を明け渡す可能性もある」 「おまえ……本気でそんなこと思ってんのか」 「ああ、思っている。だからもう、私は君に会うのをやめるよ」 「クソッ!」  イトロスは舌打ちをついて、去っていく。ナルキスはその背が見えなくなってから、地面に座り込んだ。  優しいイトロス。誰にも心を許さなかったナルキスが唯一本音を言えた相手。クラトラストでさえ、見せたことのない弱みを見せた。クラトラストに伝えられない想いを打ち明けた相手。ナルキスは罪悪感で一杯になりながらも、仕方ないのだと唇を強く噛み締めた。  だが、その決別は全て遅かった。  ナルキスは地面にこびり着く血を見て、顔面蒼白になった。イトロスが足蹴もなく通っていた孤児院が襲われたのだ。ナルキスもよくその孤児院に行き、元気に遊ぶ子ども達を見ては心を癒やしていた。燃えた孤児院。その扉の前に張り紙が貼られていた。 『次はお前の大切な友人だ』  それはイトロスのことを指していた。確か今の時期は学会があると言っていた。お偉いさんが集まるその集会で人を殺すことは出来なかったのだろう。だが、それが終わればイトロスが危ない。誰が犯人だ。第二王子か? 第八王子か? 他の王子か?  ああ、駄目だ。早く殺さなければ……  殺す。殺す。殺す。  第八王子ゲイジルシアは王子という自分を愛している。ちやほやされるのが好きで、女を好み、金を好み、権力を好む。王位継承争いが起こったとて、女遊びも金を流水の如く使うこともやめない。ナルキスはゲイジルシアのことをよく知っている。同時期に学院に入っていることもあり、その性格は嫌なほど見てきた。嫌がる女生徒を無理矢理自分のものにしようとしたことだってあるのだ。  ゲイジルシアはまるで下衆な貴族そのもの。ただ権力の下でのうのうと生きる弱者だ。殺すのは容易い。まずはカルロから殺す。ナルキスは愛用の剣を壁にかけたまま退室した。  若者が集まる酒屋。女は男にもたれかかり、男は女の胸に顔を沈めた。がやがやと騒がしい中に、一人の女が入店した。露出は多くないが、いやに色気のある女だ。赤い唇は吸い付きたくなるほど艶めき、鋭い眼光は蕩けさせたくなるほど色気を放つ。女は真っ直ぐカウンターの方へ歩き、席についた。 「いらっしゃい。ルカさん。昨晩の男はどうだった?」  ルカと呼ばれた女はただ微笑み返した。話しかけた店主はその麗しいルカに頬を染める。だが同時に昨晩の男もルカを落とせなかったのかと思う。ここ数日、ルカは毎晩この店に来る。客はその麗しいルカを見て声を掛ける。ルカは気になった相手がいると、そのまま腕を組んで去っていく。ルカは毎晩のように男を連れて帰るが、しかし男達は一度もルカを抱くことは出来なかったのだという。ルカは微笑みながらワインを嗜み、いくら飲ませても決して酔いつぶれることはなかった。気付けば男のほうが酔いつぶれ、ベッドの上で眠る。起きたらそこには天女のように微笑むルカが一人。そして静かに去っていくのだ。ルカが一体何を望んでいるのか誰にもわからない。だが、この店の常連である男たちの間では密かにルカを酔わせて抱くのは誰かと掛けが行われ始めた。そして今日もその掛けは行われる。 「お前がかの有名なルカだな」  ルカに声を掛けたのは酒屋によく現れる男だ。彼は身分を隠しているようだが、やんごとなきお方というのは、服装や話し方でよく分かる。成金のお坊ちゃまか貴族の男か。何にせよ、関わりたくない男達は遠目で様子を窺う。 「……」 「ほぅ、噂通り無口な美女だ。いいな、気に入った! いくらでも金を出してやる! ほら、いくら欲しい、言ってみろ」  ルカは顔を横にふる。その姿に男はムッとし、顔を歪める。ルカは微笑むだけだ。 「チッ、この俺様についてこれないのか! ふざけやがって! こうなっらベッドの上で啼かせてやる!」  下品な言葉とともに、男はルカの腕を引っ張る。ルカは流されるまま、男とその従者に引きづられていった。  この辺りで最も高級とされるホテル。そのホテルの最上階にルカは連れてこられた。ベッドに押し倒されたルカの腕を男は無理矢理掴む。 「男を誑し込む悪女だって聞いたが、憂い奴だな。こんなにも震えて。まさか本当に処女だとでも言うのか?」  ルカはただ顔を背けるだけで何も言わない。男はニヤリと笑い、ルカの顎を引く。 「お前からキスをしろ。そうしたら、優しくしてやろう」 「……」 「何も話さぬか。ははっ、じゃあ、無理矢理抱いて潰してやろう!」  男はルカの服を破り捨てた。しかし、そこから見えたのは豊満な胸ではなく、板のように無骨な胸だった。 「なっ……、お前!」 「残念だな、ゲイジルシア。まさかこんなにも顔を近づけても気付かぬ阿呆だとは私も思わなかった」  ルカは懐に隠し持っていた短刀を男、第八王子ゲイジルシアの腹に突き刺した。そのまま長髪のカツラを取り、ぽとりと落ちた付け胸を床に落とす。 「ナルキス……」 「まさか、本当に引っかかるとはな」  学院時代、一度ナルキスは女装をしたことがあった。その際、たまたますれ違ったゲイジルシアに口説かれそうになった。ナルキスは自身の女装姿、ルカという女がゲイジルシアの理想の女であることはその時に知った。 「だま……したな……、クラトラストの差し金か……」 「クラストは関係ない。私の独断だ」 「はっ……、クラトラストの……、金魚のフンのくせに……、お前は自分の意志で来たってのか」 「ああ、そうだ。理由は分かっているだろう」 「イトロスのことか……? ははっ、俺は……、何もしてねぇぜ? どこかでポロッと漏れたんだろうよ」  ナルキスは先程刺した場所にナイフを刺し直す。 「イトロスという名を出したのだ。もう、分かっているのだろう」 「襲わせたのは俺じゃねぇよ。俺は教えてやっただけだ」 「誰に」 「そんなの決まってんだろ? ゲホッ……フィレットにだよ! こんな些細な情報を伝えただけで、女も金も大量に送られてきた!」  ナルキスは短剣を抜き、今度は心臓を貫いた。血を吐いたゲイジルシアはそのままパタリと動かなくなる。 「よくここまで生きていられたな」  隙だらけで、弱い。弱すぎる。いや、第二王子に生かされてきたのは、その隙故にか。いつでも処分でき、好きなように動かせる。現にこの男は三人の兄弟を殺し、クラトラストの弱みになり得る情報を流した。ここまで生かした価値は十分にあった。床に落ちる血を見て、ふらりと立ち上がる。そして、窓から外へ飛び出した。     

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