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ナルキスとクラトラスト

「もう、行くのか?」 「ああ」  王都奪還を果たしたクラトラストとナルキス、その兵たち。ナルキスだけが銃に撃たれ、倒れた。その場でクラトラストがナルキスを撃ったリヴールを取り押さえた。珍しくクラトラストがイトロスの名を呼んだ。すぐに駆けつけたイトロスがナルキスの傷の処置を始めた。   「あのイヴールとかいう男。親の代でアルブムに逃げたらしい。イヴール自身も十の時に移動してるから二ガレオスの輝かしい記憶が今でも残ってんだと。イヴールの目的は二ガレオスに戻ることだった。単純だ。それが叶わないだけでなく、またアルブムに戻されそうになって、全て上手くいっているクラトラストを殺そうとしたんだと。まっ、逆恨みだな」 「そうか。まぁ、そんなことだとは思っていたよ。それで、クラトラスト様は?」 「クラトラストは王に戻って忙しそうだよ。けど、異世界人が来る前よりちゃんとした王してるよ。まっ、謎にあいつって前から評価は高かったけどよ」 「クラトラスト様は、事業に失敗した者が再び立ち上がれるような政策を打ち出していたから。少なからず、一度の失敗で終わることはなくなった。国民だって、住みよくなっていることはちゃんと理解していたんだ」 「まぁ、あの日の兵の数みりゃそうだな」 「私も王都奪還後のクラトラスト様の演説生で聞きたかったよ」 「……そんないいもんじゃなかったぞ、俺様だ俺様。例え呪われていようと関係ない。俺は俺のためにこの国の王でいてやるってさ。そんな感じ」 「そうか、クラトラスト様らしいな」  クスクス笑い、そしてナルキスは両手でバッグを持ち上げた。   「いいのか、アルブムに行ったらもう二度と帰ってこれない」 「この前からそればっかりだ」 「当たり前だろ! いくらお前の決めたことだからって……。俺だってお前と会えなくなるのは淋しいし」 「死んだことになってるんだ。二ガレオスにはいられない」  ナルキスは目覚めてからすぐにイトロスに頼んだ。自分は死んだことにしてくれと。イトロスは戸惑いながらも必死に頼み込むナルキスを見て、頷いた。 「未だになんで死んだことにしたのか分かんねぇんだけど」 「クラトラスト様のためだ。先の戦いで私は右目が見えなくなり、左足にも軽い後遺症が残った。そして今回の怪我で私は剣を振るうことも出来なくなった。潮時だ。これじゃあ、クラトラスト様のお側にはいられない。死んだも同然だ」  「……でも、アルブムに行かなくともいいじゃないか。それに、アルブムは二ガレオスと違うぞ」 「そうだな、話は聞いてるよ。この前、ユナリオ様と手紙のやり取りをしたしな。でも彼は楽しそうだった」 「ユナリオって……、第六王子のユナリオ様か。よく連絡が取れたな」 「ユナリオ様のアルブムへの案内役を知人に頼んでいたから。居場所はなんとなく分かっていた。暫くは彼らのところに身を寄せる予定だ」 「そっか……。本当にアルブムに行く気満々ってことかよ」 「イトロス、私はこの国を離れるが、クラトラスト様を頼むよ。きっと、私がいなくとも、シルバーや近衛騎士団が彼を支えるだろうけど。イトロスがついていたら私は安心できる」 「やだよ。王に戻る手伝いをしたのはナルキスのためだ。俺は今だってあの男が嫌いだよ、俺様だし。……俺様だし」  俺様と2回も言って、苦虫を噛み潰したような顔をする。ナルキスはそんなイトロスを見て、苦笑する。けれど、きっと、イトロスはナルキスの望みを叶えてくれる。それを知っていて、頼んだ。イトロスは義理堅い性格だから。 「ナルキス」 「イトロス、それじゃあ、行くよ」  ナルキスは笑って歩き出す。ずっと剣ばかりを握ってきた。クラトラストの為だけに生きてきた。出来れば未来もそうであることを望んでいた。もう叶わない未来。叶えられない未来。 「……雨か」  頬に温かな雫が伝う。ぽつりぽつりと頬にだけ落ちていく。太陽が顔を出していることが不思議だ。通り雨だろうか。  クラトラスト様の為に生きていたい。  クラトラスト様の隣にありたい。  クラトラスト様の望みを自分が叶えたい。  クラトラスト様の……  ナルキスは夢破れた。もうこの国で生きる理由はない。クラトラストを遠くで見て生きるのも、ナルキスには苦でしかない。だからイトロスにはアルブムに行くと言ったが、そんなつもりは無かった。ナルキスは二ガレオスの南に位置する危険な海で、身を投げて死のうと思っている。助けてくれたイトロスに悪いと思って言えなかったが、のうのうと生きていくのは耐え難い。大切な人がそばにいるユナリオやキリュウとは違うのだ。 「死ぬ気か、ナルキス」  下向きで歩いていた。自分の影が綺麗に磨かれた靴に踏まれた。聞き覚えのある声にナルキスは顔を上げ、驚きで身体が固まった。 「クラトラスト様……、なぜ……、ここに……」 「俺の質問に答えろ、ナルキス」 「ア……ルブムに……亡命します」 「つまり、死ぬっつぅことだろ? あ゙」 「死ぬわけでは……」 「この国から出たら死だ。分かってんだろテメェはよぉ! 人には散々怒鳴り散らかしやがったのに、自分は逃げるのか? あ゙」 「そ、そういうわけでは……」 「じゃあ、なんで戻ってこねぇ」 「わ、私はもう剣を握ることが出来ません。貴方の側にいることが出来ない」 「はっ、そんだけかよ、くだんねぇ」 「くだらないだと……」  ナルキスは抑えていたモノがブチリと切られるような感覚に襲われた。ジワジワと溢れてくる。感情が抑えられなくなったナルキスは無意識にクラトラストの胸元を掴んでいた。 「くだらなくない! 私はずっと、ずっとこの剣で貴方の側にいたんだ! 貴方の側にいるためには剣しかない。貴方の側にいるためには、強くなくてはならない。だから、ずっと、ずっと、貴方に置いていかれないように、必死で、必死で剣術を磨いてきた。それが失われたんだ。もう、剣を振れないんだ。私は、クラストの側にはいられない」 「だからくだらねぇっつってんだろ!テメェの欲はそんなもんかよ。剣が振れなくなった程度で諦められるくらいの欲か? あ゙? そうじゃねぇだろ! 今まで俺の側近候補を容赦無く叩き落として置きながら、今更逃げるのか? ふざけんのも大概にしろ。俺は、剣しか振れねぇ馬鹿を側に置くほど落ちぶれてねぇんだよ」  するりと腕を降ろす。力が抜けて、地面に足をつけた。手で顔を覆い、唇を噛みしめる。顔を上げられない。ナルキスは真っ赤な顔を隠そうと必死だ。だが、クラトラストは容赦無く、ナルキスの髪を掴み顔を上げさせた。 「二度と言わねぇからよく聞いとけ、ナルキス」  クラトラストは不敵な笑みを浮かべた。 「俺の側にいろ」  その後数千年続く二ガレオス国。その二ガレオスで最も国を繁栄させ、平和を導いたというクラトラスト王。嘘か真か、予言書にはすべてを滅ぼす愚王として君臨すると書かれたクラトラスト王だが、その運命を跳ね除け、平和へと導いたという。そのクラトラスト王の側には一人の従者が控えていたという。争いを好むクラトラスト王の横で、剣さえ使えない弱い従者。だが、クラトラスト王を生涯支え、クラトラスト王もまた彼に心を許していたという。愛人とまで噂されたのはクラトラスト王が妻を迎えず独身を貫いたためか。従者に向ける目が他人とは違い温かなものだったからか。真偽は誰にも分からない。だが、数千年以上も経過した今でも、彼らが生涯を共に過ごしていた事実だけはネジ曲がることない真実だ。そして、その真実は今後も語り継がれることだろう。    

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