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第1章 捨てる神あれば拾う神あり1

 急に世界が灰色になる。  群衆も、空を飛び交う鳥も石になったみたいに、動きを止める。  これは――時の魔法?  辺りを見回すと、光り輝く美しい女性が、灰色の空を優雅に飛んでいる姿を目にする。  ふわりと彼女が、僕の前に下りくる。 「よかった、間に合いましたね」  真っ白な衣装に身を包み、この世のものとは思えない香りを(まと)った女性。  この方は、王族や神職の者しかお目に掛かれない高貴なお方なのではないだろうか?  過度の緊張から、じわりと汗が手に(にじ)む。僕は震え声で彼女に話しかける。 「恐れ多くも申し上げます。あなたは、女神様でございますか?」 「左様。私は運命の三女神の一柱、『過去』の女神です」  慌てて姿勢を正し、木の床に手をつき、(こうべ)を垂れる。 「大変失礼いたしました! とんだご無礼を……どうかお許しください」  もしかして、女神様を怒らせるようなことをした?  頬から(あご)先に汗が伝う。  女神様は、やさしい声色で「私はあなたを罰しに来たのではありません。あなたを助けに来たのです。さあ、(おもて)を上げて。発言を許します」と語りかけた。  頭をおもむろに上げ、視線を自分の膝へとやる。いきなり(しゃべ)っていいと言われても、何をお話したらいいのかわからなくて、考え込む。 「大丈夫、あなたが思っていることを口になさい」  にこりと(まじり)を下げて女神様が微笑んだ。不意に母の顔を思い出す。  僕は唇を湿らせ、口を開いた。 「なぜ、僕のような罪人を助けてくださるのですか? お心遣いは大変うれしいですが、僕は恩情を賜るような身分ではございません。どうか理由をお教えください」  女神様は手の平を僕に差し出した。そこには、七色に光り輝く一匹の蝶がいた。 「あなたは以前、私の(けん)(ぞく)であるこの子を助けてくださいましたね」 「いいえ、このように美しい蝶を助けた覚えはありません」 「覚えていない? 七色の不思議な(かいこ)を助けたことを?」  僕は「あっ」と声をあげる。    *  それは、ノエル様が現れる一年半前のこと。仕事が休みの日に、エドワード様と城下町をお忍びで出掛けた。昼食は城下町のパン屋でサンドイッチを食べることになった。  サンドイッチを買い、店の前にある椅子に並んで腰掛ける。  運の悪いことに、エドワード様が手にしていたサンドイッチから七色の不思議な虫が、にょきっと出てきたのだ。  エドワード様は、サンドイッチを地面に落とし、虫を踏み潰そうとした。 「お待ちください、エドワード様」 「なんだ、ルキウス? 俺に命令するのか!?」 「違います、その虫は(かいこ)ではないでしょうか?」 「蚕?」 「左様でございます」  僕が七色に光る虫を助けたのは、蚕に似ていたからというのが理由だ。  王族の娘たちは、ドレスや王宮の調度品を作るのに必要な絹を出す蚕を、大切にするよう教え込まれている。祖母は王族の出だ。娘である母や、孫である僕たちは、蚕を大切にするよう祖母に言われてきた。  店主は、事態を察するとエドワード様に頭を何度も下げ、虫が混入していたことを謝罪した。彼は、地面を()う七色の虫を目にして仰天する。 「兄ちゃん、もしかしなくてもそいつは『過去』の女神様の眷属じゃねえか? あの方は七色に光る蝶を従える。殺しちまうのは、いくらなんでもまずいぞ」  しかしエドワード様は店主の言葉を聞き入れず、激怒した。 「蚕ならば(くわ)の葉を食べるはずだ。だが、こやつは野菜を食べていた。魔物か悪魔の眷属に違いない。今すぐこの場で殺さねば、腹の虫が治まらん!」  そうして、地面を這う虫を踏みつけようとする。 「エドワード様、この後はどうします? せっかくのデートなんですから、もっと楽しいところへ行きませんか? ほら、あそこにあるお茶屋さんは最近できたばかりのお店で、若い女の子たちも多いです。きっと美味しいお茶が飲めるんですよ! お茶でも飲んで気分転換をしましょう。ねっ?」  彼の怒りを(なだ)めるために話題を変える。  渋々ながら「それもそうだな」とエドワード様が僕の言葉に了承してくれて、ほっとする。 「おい、虫! 今日はルキウスに免じて見逃してやる。だが次はないぞ。二度と俺の前に姿を現すなよ!」  言うや否や、茶屋の方へツカツカ歩いていった。

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