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第1章 捨てる神あれば拾う神あり1

 急に世界が灰色になり、群集も、空を飛び交う鳥も石になったみたいに動きを止める。  これは――時の魔法?  辺りを見回すと、光り輝く美しい女性が、灰色の空を優雅に飛んでいた。  ふわり、と彼女が僕の前に下りてくる。  真っ白な衣装に身を包み、この世のものとは思えないよい香りを(まと)っている。 「もしかして、あなたは……女神様ですか?」 「左様。私は運命の三女神の一柱、『過去』の女神です」  慌てて姿勢を正し、床に手をついて(こうべ)を垂れる。頬から(あご)先に汗が伝う。 「安心なさい。私はあなたを罰しに来たのではなく、助けに来たのです。さあ、顔を上げて」  頭をおもむろに上げると、(まじり)を下げて女神様が微笑んだ。  女神様の白魚のような手に、七色に光り輝く一匹の蝶がとまっている。 「あなたは以前、この子を助けてくださいましたね」と問われ、首を横に振る。 「いいえ、このように美しい蝶を助けた覚えはありません」 「七色の不思議な幼虫を助けたことを覚えていませんか?」  そう尋ねられて、ノエル様が現れる前の出来事を思い出す。    *  仕事が休みの日に、エドワード様と城下町をお忍びデートした。  お昼の鐘が鳴り、僕らは城下町のパン屋で昼食をとることにした。  サンドイッチを買い、店の前にある椅子に並んで腰掛ける。  運の悪いことに、エドワード様が手にしていたサンドイッチから、七色の不思議な虫がにょきっと顔を出したのだ。すぐにエドワード様は、サンドイッチと虫を地面に捨て、踏み潰そうとした。 「お待ちください、エドワード様!」 「なんだ、ルキウス? 俺に命令するつもりか!?」 「いいえ、違います! その虫は(かいこ)ではないでしょうか?」  王族の娘たちは、ドレスや王宮の調度品を作るのに必要な絹を出す蚕を、大切にするよう教え込まれている。祖母は王族の出だ。娘である母や、孫である僕は、蚕を大切にするよう祖母から言われてきた。  店主は事態を察すると、虫が混入していたことを謝罪した。彼は、地面を()う七色の虫を目にして息を呑んだ。 「兄ちゃん、そいつは『過去』の女神様の(けん)(ぞく)じゃないか? あの方は七色に光る蝶を従える。殺しちまうのは、いくらなんでもまずいぞ」  しかしエドワード様は店主の言葉を聞き入れず、激怒した。 「蚕ならば(くわ)の葉を食べるだろう。だが、こやつは野菜を食べているではないか。そもそも蚕は()になる生き物だろう。七色の蚕から七色の蝶に変態するなど、絶対にあり得ぬ!」 「それは普通の蚕と蛾の話でしょう。女神様の眷属なんだから……」と店主が決まり悪そうに話しをする。  エドワード様は、そんな店主の言葉なんかお構いなしに、自分の意見を論じていく。 「きっと、こやつは魔物か悪魔の眷属に違いない。今すぐこの場で殺さねば、俺の腹の虫が治まらん!」と言って、ふたたび地面を這う虫を踏みつけようとする。 「エドワード様、この後はどうします? せっかくのデートなんですから、もっと楽しいところへ行きませんか? ほら、あそこにあるお茶屋さんは最近できたばかりのお店で、若い女の子たちも多いです。きっと美味しいお茶が飲めるんですよ! お茶でも飲んで気分転換をしましょう。ねっ?」  彼の怒りを(なだ)めるために話題を変える。  渋々ながら「それもそうだな」とエドワード様が僕の言葉に了承してくれて、ほっとする。 「おい、虫! 今日はルキウスに免じて見逃してやる。だが次はないぞ。二度と俺の前に姿を現すなよ!」  言うや否や、茶屋の方へツカツカ歩いていった。

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