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第1章 捨てる神あれば拾う神あり2

 店主が僕の近くに来て何度も頭を下げた。 「すまないですね。あんたの恋人に嫌な思いをさせちまって、お代を返しますよ」 「どうかお気になさらないでください。僕も彼の気を逸らすためとはいえ、失礼なことを口にしました。申し訳ありません」 「滅相もねえ! うちは食い物をお客様へ売るのが仕事なんです。それなのに食い物の中から虫が出たと来た。そいつはこちらの落ち度です。そんなことを言わんでください!」  店主は顔を青()めさせ、胸の前で両手を振った。 「新鮮で美味しい安全な葉っぱをサンドイッチに使っている。だから、この子もむしゃむしゃ食べていたんです」  僕は、地面を大変そうに動いている七色の虫を拾い上げた。  うんうんと(うなづ)いているような仕草をする七色の虫の頭を、指先でそっと撫でる。 「こんなにすてきな味のする葉物野菜を作った農家の方と、その葉で美味しい料理を作るあなたに僕は敬意を評します」 「あんた、もしやお貴族様か騎士様なんじゃ……」  お忍びで出かけていることを思い出し、勢いよく立ち上がる。 「これ以降は気をつけてくださいね。中には悪評を立てて、お店の評判を落とそうと考えている人間もいますから。ごちそう様でした、また来ます」  そそくさとその場を後にし、路地に出る。 「おい、ルキウス。何をしている!? 俺が呼んでいるのに、なぜ来ない? さっさと来い!」  お大声で怒鳴るエドワード様に返事をし、目の前の生け垣の葉に七色の虫を置く。 「ごめんね、びっくりさせちゃって。悪いけど、ここでお別れだ」  どこかしょんぼりした様子の虫の頭を、最後にもう一度だけ撫でる。 「じゃあね、立派に育つんだよ」    * 「あのときの子……よかった。蝶になれたんだね」  七色に光る蝶が女神様の手の平から飛び立つ。ヒラヒラと羽ばたき、夜空に輝く星のような(りん)(ぷん)を出し、僕の左手の人差し指へとまった。 「何しろ最近は、悪魔や魔物たちの悪戯がひどいですから。魔物が私の庭を荒らし、この子を野菜の中へ紛れ込ませたのですよ。その折は、この子がお世話になりました。助けていただき、感謝します」  僕らの住む世界では、たびたび悪魔や魔物、魔獣が人を襲う。  だけどギルドや兵士、神官たちが定期的に国内を見周っているから王都に現れることは、ほとんどない。  王宮に文官として出仕していた僕は、友や兄から悪魔や魔物を倒したという話を聞くばかり。悪魔や魔物の(たぐい)を目にしたことは一度もない。その関係で、女神様の話しを聴いても実感がわかず、異国の地の話を耳にしているような気分になる。 「あの神子を名乗る少年が、この世界に現れたのも、神の名を(かた)った悪魔とその信奉者たちの魔術によるものです」 「ノエル様が神子じゃない!? 真ですか!」  女神様は神妙な顔をして静かに頷く。  瞬間、頭の中が真っ白になった。    *  ノエル様は黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌をした麗しき乙女のような容姿をした少年だ。東国の者に似た容姿をし、奇妙な服を身に纏い、突如としてこの国に現れた。  彼がこの国にやってきたのは三ヶ月前。国をあげての建国祭があった日だ。  城下町は朝からどんちゃん騒ぎだった。異国の品を売り買いする出店が立ち並ぶ。  王宮の城門前で空砲が鳴り、市民は楽器を奏で、歌い踊る。  田舎に住む者や他国からの旅人もやってきて、富める者も、貧しき者もお祝いの雰囲気を楽しんでいた。  王宮では、王族や貴族、騎士や文官、博士、教授たち、国に貢献した商人や農民たちを招待して、大規模な宴会が催された。  楽士たちが奏でる荘厳な音楽に合わせて華やかな衣装を身に纏った神殿娼婦の踊り子たちが軽やかに舞う。  皆、序列ごとに席につき、女官たちが持ってくる豪勢な食事に舌鼓を打っていた。  楽士たちが曲を奏でるのをやめ、神殿娼婦の踊り子たちが舞踊を終える。  その場にいた者は、美しい音色と華やかな踊りに、拍手する。  次は神官たちが王様や王妃様とともに、天上に住む神々への祝詞をあげる、というところで急に空模様が怪しくなった。  雨なんかちっとも降らないのに、王宮の真上に暗雲が立ち込め、雷鳴が(とどろ)く。  皆、雨に()れ、雷が落ちることを心配して屋根のあるところへ移動した。  すると雷が、神々の姿を模した(ねん)()の上に、落ちた。

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