3 / 112
第1章 捨てる神あれば拾う神あり2
店主が僕の近くに来て何度も頭を下げた。
「すまないね。あんたの恋人にも嫌な思いをさせちまって。お代を全額お返ししますよ」
「そんな、どうかお気になさらないでください。僕も彼の気を逸らすためとはいえ、失礼なことを口にしましたから。申し訳ありませんでした」
「滅相もねえ! うちはお客様へ食い物を売るのが仕事です。それなのに食い物の中から虫が出てきちまった。それは店主であり、作り手であるわたしの落ち度です。そんな風に謝らないでください!」
店主は顔を青褪 めさせ、胸の前で両手を振った。
僕は、地面を大変そうに動いている七色の虫を手に乗せる。
「……『新鮮で美味しい葉っぱをサンドイッチに使っている』。だから、この子も美味しそうに、むしゃむしゃ葉っぱを食べていたんですよ」
うんうんと頷 く仕草をする七色の虫の頭を、指先で撫でる。
「こんなにすてきな味のする葉物野菜を作った農家の方と、その葉で美味しい料理を作るあなたに僕は敬意を評します。ありがとうございます」
「あんた、もしやお貴族様か騎士様なんじゃ……」
お忍びで出かけていることを思い出し、勢いよく立ち上がった。
「これ以降は気をつけてくださいね。中には悪評を立てて、お店の評判を落とそうと考えている人間もいますから。ごちそう様でした、また来ます」
そそくさとその場を去り、路地に出る。
「おい、ルキウス。何をしている!? 俺が呼んでいるんだから、さっさと来い!」
大声で怒鳴るエドワード様に返事をし、目の前の生け垣に七色の虫を放す。
「ごめんね、びっくりさせちゃって。悪いけど、ここでお別れだよ」
どこかしょんぼりした様子の虫の頭を、最後にもう一度だけ撫でる。
「じゃあね。立派に育って、綺麗な蝶になるんだよ」
*
「あのときの子だったんだ……よかった。蝶になれたんだね」
七色に光る蝶が女神様の手の平から飛び立った。ヒラヒラと羽ばたき、夜空に輝く星のような鱗 粉 を出し、僕の左手の人差し指にとまる。
「何しろ最近は、悪魔や魔物たちの悪戯がひどいですから。魔物が私の庭を荒らして、この子を野菜を市場に卸す積み荷の中へ紛れ込ませたのです。その折は、この子がお世話になりました。感謝します」
僕らの住む世界では、たびたび悪魔や魔物、魔獣が人を襲う。
だけどギルドや兵士、神官たちが定期的に国内を見周っているから王都に現れることは、ほとんどない。
王宮に文官として出仕していた僕は、友や兄から悪魔や魔物を倒したという話を聞くばかり。悪魔や魔物の類 を目にしたことは一度もない。その関係で、女神様の話しを聴いても実感がわかず、異国の地の話を耳にしているような気分になる。
「そんな……お礼を言われるほどのことは、していませんよ」
「いえ、本当に助かりました。最近は魔王の復活を考える魔物や悪魔が増えています。あの神子を名乗る少年がこの世界に現れたのも、神の名を騙 った悪魔と悪魔の信奉者たちによるものです」
「それは、どういうことですか!?」
女神様の言葉を聞いて、目の前が真っ暗になる。
*
ノエル様は、おとぎ話に出てくるお姫様のように可憐な容姿をした少年だ。東国の者のように黒い髪に黒い瞳、象牙色の肌というめずらしい風貌をしている。
彼がこの国にやってきたのは三ヶ月前。国をあげての建国祭があった日だ。
朝から王宮の城門前で空砲を打ち、異国の楽団が楽器を奏で、歌い踊る。
城下町は朝からどんちゃん騒ぎで、異国の品を売る出店が立ち並んだ。
田舎に住む者や旅人もやってきて、富める者も、貧しき者もお祝いの雰囲気を楽しんでいた。
王宮では、王族や貴族、騎士や文官、博士、教授たち、国に貢献した商人や農民たちを招待して、大規模な宴会が催された。
楽士たちが奏でる荘厳な音楽に合わせて、華やかな衣装に身を包んだ踊り子たちが軽やかに舞う。
皆、序列ごとに席につき、女官たちが持ってくる豪勢な食事に舌鼓を打つ。
楽士たちが曲を奏で終え、神殿娼婦の踊り子たちが舞うのをやめる。
その場にいた者たちは、美しい音色と華やかな踊りに、拍手した。
次は神官たちが王様や王妃様とともに、天上に住む神々に祈りを捧げる、という段階で、急な悪天候となった。
雨が降らないのに、王宮の真上に暗雲が立ち込め、雷鳴が轟 く。
皆、雨に濡 れ、雷が落ちるのを心配して屋根のあるところへ移動した。
ピシャー! と大きな音を立て、雷が神々の姿を模した粘 土 の上へ落ちた。
ともだちにシェアしよう!