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第51話 心の痛みはやっかいで
教室に戻らなかった時点で、携は何か起こったと気付いた筈だ。
昼飯の時には智洋も気付いて──二人は今、何も判らずに気を揉んでいるに違いなかった。
かといって、自分で立つこともままならない今の俺じゃあどうしようもない。
溜息をついていると、カルテにさらさらと書き込みながら、先生が「他に痛い所とか気になることはない?」と問いかけて来た。
「いえ……ただ、日直の仕事放りっぱなしだし、皆心配してるだろうなと思って……」
先生は一瞬呆気に取られた表情で俺を見下ろし、それからカルテを小脇に挟んで俺の体を仰向けにした。
「しわになるから、上は脱いだままにしておくね。その代わり肌掛けで隠しておくから少し休んだ方がいい。念の為レントゲン撮るから、ちょおーっと待っててね。流石に設備がないからレントゲン車呼ぶから」
タオルを長細く丸めたものを膝の下に入れてくれて、腰が少し楽になる。それからふんわりした薄い掛け布団を首まで掛けてから、「小一時間は掛かるかも」と言い置いて部屋を出て行った。
受話器を壁に戻した讃岐が「飯は?」と訊いてきた。
当然空腹感なんてなくて、首を振ると「じゃあ水分だけでも摂っとけ」とデスク脇の冷蔵庫からペットボトルのスポーツ飲料を取り出した。しかも引き出しまで勝手に開けてストローを差してから、顔の傍に持ってきてくれる。
横を向けば届く位置なので、俺は有り難く寝転んだまま飲ませてもらった。
半分ほど減ったところで口を離し「ありがとう」と言うと、頷いてまた蓋をして冷蔵庫に戻す。
い、いいのかなあ……先生の私物なんじゃあ?
讃岐は必要なこと以外喋らないし、話をする時以外は目も合わせない。
普通なら、なんて愛想のないヤツだって思うんだろうけど……それはきっと讃岐なりの気遣いなんだと思う。
俺は出来るだけ誰にも心配なんて掛けたくはないし、同情されても却ってこっちが気を遣って空元気を出して疲れてしまう。そういうの、解ってるんじゃないかな……。
心地良い沈黙が続いていたけど、敢えて静けさを破ることにした。
「あのさ、俺はいいけど讃岐は腹減っただろ? 飯食いに行ってきなよ」
思った通り、話し掛けると視線を合わせてくる。
「大丈夫だ。そろそろ交代要員が来る」
「交代要員?」
説明の必要もないほど絶妙のタイミングで、ばたばたと廊下を駆けてくる複数の足音が聞こえてきた。
その音は一旦医務室の前でピタリと止まり、そろそろといった感じにドアが開いていく。
ひょこっと智洋の頭が覗き、それを突き飛ばす勢いで携が入って来た。
「「和明っ!」」
ダダダッと二人が駆け寄ってくるのを待ち、そっと微笑んでみせる。
「ちょっとドジった」
「ちょっ、一体何が、」
勢い込む智洋の後ろから讃岐が言葉を投げた。
「なるべく静かにして動かさないでやれ。後頭部打ってて検査待ちだから。立てないから、まだ寮にも帰れない」
それを聞いた二人の顔色が真っ青になる。音を立てて血の気が引くとはこのことだろう。
気遣わしげに俺の全身を視線が彷徨い、それから讃岐の方を振り返った。
「事情は……知ってんのか」
呻くような智洋の問いに静かに頷き、それから先刻先生にしたのと同じく簡潔に事実を告げた。
きっとこれが讃岐じゃなかったら、言うべきか迷い、俺の意向も尋ねて来たに違いない。俺に限って言えば、嘘をついて隠すような間柄じゃないから、はっきり言ってくれて助かっている。
ほぼ気持ちは落ち着いているとは言っても、やっぱり詳細にあの時のことを説明するのは嫌だし、思い出すだけで悪寒が走る。大怪我をさせられて入院したあの時の不良たちにすら、こんな嫌悪感は抱かなかったというのに……。
体の痛みより、心の痛みの方が厄介なもんなんだな。
智洋は絶句し、しばらくしてから携が口を開いた。
「それで、犯人は」
「手加減はしたけど急所を一撃で倒したからな。まあ、普通はこれに懲りて手を出すのはやめる筈だ。勿論生徒会と職員会議にはかけるけどな。まあ停学で済ませるんじゃないか?」
「そうか……助かったよ、ありがとう」
「いや、これも仕事だからな。じゃあ後は任せていいか?」
ドアを開けようとして、讃岐の手が止まった。
「ああ、そうそう。谷本と距離を取らせようとするな。悪化するかもしれんからな」
ふと思い出したように言い、訝しげに二人が注視する。
「谷本が接触しなくなると『捨てられたお下がり』と見做されて、今は遠慮している奴らが動き出す可能性が高い。今のままか、谷本にも事情を話して牽制させた方がいい」
──恐るべき黒凌の思考回路に戦慄する。
今日の連中は、周が俺のことをSFとやらにしたと勘違いして、それなら自分たちもと襲ってきたんだろう。
けど、それ以外のやつらは今のところは周に遠慮していて……でも周の熱が醒めて俺とは関係を持たなくなったと見做されれば、そいつらも同じようにしようとするってことなのか。
本当は、俺はまだ周とは何もないのに……そんな誤解をされたまま、知らないやつらに狙われているなんて。
讃岐が出て行った後も、室内は静まり返っていた。
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