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第72話 寮長の今カノ

「こんな調子だからいい男も逃げてくって理解したらどうかなあ」  辰が、のほほんと言葉を掛けた。 「ぶー。異議あり! 逃げるような軟弱男には声掛けませんー」  ぷうっと頬を膨らませている表情も可愛いし、とてもさっきの所業がこの人のものだとは目の前で見ていても信じ難い。 「まあ、浩司さんは気楽で良かったらしいけどな。夜に二人でふらついて絡まれても、守らなくていいから」 「当たり前田のクラッカー。愛し愛しの浩司くんに手間掛けさせられっかっつーの! 寧ろ二人の貴重なラブラブタイム減らした罪で即行死罪決定!」 「流石は天下の矢部翔子さん」  気勢を吐く翔子さんに向かってパチパチと拍手しながら、わざとらしく辰がフルネームを告げると、周囲の温度が変わった。  物珍しげに近寄ってきていた観客たちが、潮が引くように遠退いて行く。  辰のすぐ近くでへたり込んでいた男も、頭の揺れが治まったのかようやくヤバイ相手に声を掛けてしまったと気付いてよろめきながらも近くの扉からビル外に出て行った。  うん、流石は天下の梁塁(りょうるい)高校の五人衆。  この辺りで一番のワルが集まる高校の中でも特に恐れられている女五人のうちの一人がこの人なんだよな~。  出逢いはいくらでも転がっていそうだけど、本当にどんな成り行きで浩司先輩と付き合うことになったのか、切実に経緯が知りたいと思ってしまった一件だった。 「あー、いたいた翔子。何か騒いでると思ったら急に静かんなって。やっぱお前か犯人は」  引いて行った波の間から、すうっと綺麗なお姉さんが現れた。肩の上で梳いている茶髪に光沢のあるシャツブラウスとタイトスカート、ピンヒール。大人っぽ過ぎてくらくらしそう。 「トイレがなげーんだよ。もう延長しないで切り上げたかんな。完徹はつれえわ」  ぱちぱちと瞬きしながら、空いているテーブルのスツールに腰掛けて、ブランド物のハンドバッグから煙草とライターを取り出した。 「不可抗力ですよう。いきなり腕掴んでくるしぃ」  もうすっかり平常モードに戻っているのか、翔子さんの声は明るい。ナックルはまた姿を消していた。幻だったとか……?  はあ、と疲れた声を出しながら、綺麗なお姉さんは煙草に火を点けてから「たっつー、久し振り~」と声を掛けた。 「まあ、いい感じに穏便に治めてくれてサンキュ」  先刻のフルネーム暴露の件らしい。 「私らと違って見た目じゃわかりづれえもんな。朝だし、知らずに声掛けるやつもまだこの界隈にいるんだな」  ふーっと紫煙を吐く整った口元をぼんやり眺めていると、相槌を打ちながら辰が俺の傍に来た。因みに、智洋はまた翔子さんの過激なアピールにたじたじしながら、腕一本なら許すことにしたようだった。 「円華さんたちは徹夜でカラオケっすか? てことは新菜さんも?」 「んー、新菜は今化粧直し中」  辰の問いに答えながら、円華さんは智洋をまじまじと見詰めている。  名前だけでもうピンときた。この人も翔子さんと同じグループの人で、有名な朝霧円華(あさぎりまどか)さんだろう。  もう一人ももうじき現れるはず。  何となくトイレの方向を探してしまう。けれど──  探すより前に、視界に鮮やかに飛び込んでくる、真っ赤にマニキュアされたロングヘア。円華さんと同じく光沢のあるブラウスは胸ぐりが大きく開いていて、柄の入ったロングフレアスカートの裾を揺らしながら、コツコツとこちらにやってくる。  円華さんを上回るほどの圧倒的なオーラと美しさを備えているこの人こそが、七元新菜(ななもとにいな)──みっくんの彼女、でもある。  とはいえ、お目に掛かるのは勿論初めてで、俺は放心状態で凝視していたらしく、近寄って来た新菜さんに訝しげに目を細められてしまった。

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