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第80話 その場所に入られたくないのに

 階段を下りていくその人を見送ってから、携はまた部室に入って行った。  今行けば、確実にそこに携がいる。  行って、いつも通りに軽い調子で尋ねたらいい。 「さっき見えたんだけど、あの綺麗な人は誰? あんなに携が打ち解けてるなんてびっくりしたよ」そう言えばいい。  携はきっと答えてくれる。嘘なんて付かない。ちょっと照れながらも「そうそう、実は最近親しくなったんだ。今度和明にも紹介するな」そんな風に、笑い掛けてくれる。  分かってる。分かってる……分かってる!  携がどんな風に喋るのか、そのトーンも強弱の付け方も、その時の表情も容易に想像が付くくらいずっとずっと傍に居た。  でも足が動かない。目に見えないバリアでも張られているかのように、一センチも前に進めないんだ。  一体どれくらいそこに立ち尽くしていたのか判らない。自失状態の俺の肩を、後ろから誰かがそっと叩いた。 「カズ……?」  ぴくりと肩が震えて、反射的に振り返りそうになるのを寸前で我慢する。  呼ばないでくれ、今──  ぽっかりと何かが抜けてしまったところに、今優しくされたらきっと縋ってしまう。  携以外に、その場所に入って欲しくないんだ。 「カズ、いくら執行部の近くでも、一人じゃ危ねえよ?」  少し掠れた声と共に、後ろからそっと腰に両手が回ってくる。  本当なら、いますぐ振りほどいて逃げなきゃいけない相手だった。こんな接近、許しちゃいけない。忌まわしいあの記憶の場所も、すぐそばにあるっていうのに。  それでも、足が動かなくて。  恐怖からではなく小刻みに震える体を、そっと包み込まれて、その腕を掴んでしまった。 「カズ、行こう」  暫くそのままじっとしていると、声がまた促して、俺は進むのは諦めて体を反転させた。腕を握ったまま、頭一つ分高い位置にあるその人を見上げて、無理に笑ってみせる。 「そうだな、周」  まだ消えない痕を残したままの痛々しい顔で、周がほっと息を付いた。 「良かったらちょっとだけ屋上寄ってこ?」  来た方向へと戻って行く俺の隣に並んで、周がそっと提案する。 「屋上?」  階段一つのことだし、いいかもしんない。まだ夕食には間があるし、そういえば屋上にはまだ探検しに行ってないんだった。 「そ。これから一番いい時間だから」  ふんわり微笑む周を見上げて、わけもなく謝りたくて仕方なくなってきた。  確かに最初こそあんなことされてビビっちゃったけど、その後の周は俺に何も酷いことなんてしてない。  この間の件だって、直接には関係ないのに……携にも智洋にも更に警戒されてるし。俺すらしっかりしていたら、周は普通にクラスメイトとして誰とでも仲良く出来るやつなのに……。  けど、実際は何も言えなくて。唇を結んだまま二人して最上階の扉を開けた。

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