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第82話 もう疑うのに疲れたんだ

 学園の周りはぐるりと山だ。だから校舎でも寮でも窓から外を見てもほぼ緑一色。その上に空があるんだけど……流石に屋上だけあって、ここからは木々の側面ではなくて上から見下ろす感じに足元に緑が広がり、その上には抜けるような青空と沈み行く夕日から滲む赤。その間を染める紫のグラデーション。  ゆっくりとした雲の動きと一緒に、青から赤へ染まり直してゆく空の色を眺めていると、静かに周が口を開いた。 「寮の窓から、なんだか急ぎ足で出て行くカズの姿が見えてさ……他に誰も一緒にいねえから、慌てて追いかけてきたんだ。見失ったから、部室棟とか寄り道してたら遅くなっちまったけど」  ああ、また心配掛けたんだな、俺。  空から視線を移動させ、一歩分離れて立っている周を見上げた。 「連休中も、黒凌のやつらは殆どこっちに残ってんだよ。そもそも帰省する習慣がねえし、帰ったって勉強しろって言われんのがオチだしな。それならまだここにいた方が遥かにましだ。俺たちはそういう暮らしをしてきたんだよ。だから、平日だろうが休日だろうが、一人にはなるなよ? テニス部のやつは何やってんだ?」  智洋──  言えないよな、いくら智洋にだって。携の部屋に遊びに行くとは伝えたけど、いなくて探すから付いて来てなんて。  結果、見つけた携には声を掛けることすら出来なくて……。  わざわざ探すんじゃなかった。大人しく部屋に帰って智洋としゃべったりして時間潰して、それから食堂に行けば、いつもの時間になれば携に会えるのに。部屋に行くならその後でも良かったのに。そうすれば、あんなの見なくて済んで、こんなに寂しくならなくて……。  馬鹿な俺。携に独占欲持ちすぎ。  大事な親友に他にも心を許せる友達が出来たなら、嬉しく思うべきなのは分かってるのに。 「泣くな」  そういう周の方こそ、泣きそうに顔を歪めていた。両脇に垂らした腕の先では、握りこんだ拳が震えている。 「カズ、駄目だ。そんな顔されたら、また抱き締めたくなる。俺はもう、体だけの関係なんて嫌なんだよっ」  そっか、今ならぎゅって抱き締められても、それ以上のコトされても……抵抗できねえよ、俺。  でも、縋っちゃ駄目だ。  周が本気で俺のこと好きって言ってくれてるなら、俺は自分の気持ちが確定しないまま甘えたら駄目だ。 「いつかは……してえけどっ、それは今じゃあないだろ?」  うん、そうだよね、周。  頷いて、深呼吸して、笑顔を。変な顔のまま、食堂に行っちゃ駄目だ。智洋にも携にも、こんな風に弱っているところを見せちゃ駄目だ。俺なんかのために、自分たちの時間を費やして欲しくない。 「ありがと。もう大丈夫」  胸の奥は痛いままに、周の袖を引いた。  もうじき十八時になる。いつもの指定席で、三人揃ってご飯を食べて。その時にウォルター先輩が居なければいつ戻るのか尋ねてみよう。別に明日になったって構わないんだしな。  それから五分ほどもう一度二人で並んで空を眺めてから、寮へと戻った。  食堂に入って行くともう智洋が先に食べていて、少し時間を過ぎちゃっていたことに気付いた。周はトレイを持って別のグループのところに行っちゃったものの、いつもの席に座る俺を怒鳴りつけたいのを我慢しているような表情で智洋が迎える。 「氷見は!?」  ぐるる、と喉の奥で唸っているように押し殺した怒りが紡ぎ出される。 「居なかったから、周と屋上で遊んでた~」  なんでもないことのように、精一杯いつものように言ったつもりだった。  トレイを置いて、席に着く。 「遅くなってゴメンな。あそこすげえ絶景なの知ってた? 温室になってんのも」 「和明っ」  キッときつい眼差しを向けられて。それでも俺は、笑顔を引っ込めたりはしない。 「智洋、心配してくれてありがと。俺さ……周のこと、信用することにしたんだ」  どんなに睨まれても、それは俺のことを心配しているからこそだと解っているから。 「だから、もう周のことそんなに警戒しなくていいよ。もしも何かあっても、俺の見込み違いだったってことで諦める。けどさ、大丈夫だと思うんだ」 「何言ってんだよ……」 「いいんだ。智洋がそうやって気遣ってくれんの凄く嬉しい。だけど、俺も疑うの嫌になったんだよ……周の誠意を信じてみようと思う」  控えた声量で、それでも断固として宣言する。  これは、俺が自分で決めたこと。  もうこれ以上、周のことを疑わない。好きだって言う気持ちは受け入れて、同じ想いは返せなくても……俺に示してくれる誠意も好意も、真実だと思うから。  智洋は、喉の奥で低く唸りながら暫く俺の顔を凝視していたけれど、ふいとトレイの方へと視線を戻した。 「──解ったよ。和明が決めたんなら、俺には何も言う権利ねえし」  また食事に戻った智洋にありがとうと言った時、ようやく携がやって来た。

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