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第86話 会長の優しさに甘えすぎかな
応援団の練習が終わり、今日は約束通り部室ではなくて五階の視聴覚教室に向かう。重い扉を開けて入ってみると、無人だった。
あれれ? 確かに会長はここって言ったよね。
不安になりつつ荷物を持ったままひな壇を降りて一番前の席に鞄を置くと、長机にくっついている椅子を一列分全部下ろして横になっている大野生徒会長が目に入った。片腕を枕にしているものの、良くこんな硬い場所で眠れるなあと呆気に取られる。
それにしても、あのお喋りな四人がいないなんてどういうことだろう。だから昼寝も出来るんだろうけど……。
余程疲れているんだろうなあと、すうすう寝息を立てている会長の横顔を眺める。
ほっそりとはしているけれど、意外に日焼けしているのが不思議でならない。
運動部でもないし、いつも事務仕事で奔走しているけど、自由時間は屋外でスポーツでもしてるんだろうか。
起きるのを待ってもいいけど、デッキは自分で使用してもいいわけだし、勝手にダビングさせてもらおうかな。マスターテープ、何処に置いてあるんだろうときょろきょろしていると、のそりと会長が起き上がった。
「すまない……ついうとうとしてしまった」
目を瞬かせながら手探りで机の上にあった眼鏡を取ると、それを掛けてから手櫛で髪を整えている。
「いえ、こちらこそ起こしてしまってすみません。随分お疲れのようだけど大丈夫なんですか?」
探すのを止めて、会長がいる長机の端の席に腰を下ろした。
「ありがとう、体調に問題はないのだが少し疲れが溜まっているかな。まあ、体育会が終わってしまえば少しはゆっくりできるさ」
微笑を浮かべて、さてと腰を浮かせる会長。教壇に置いてある俺が持参した新しいテープを指して「あれでいいのか」と確認しながらデッキの方へと足を向ける。返事をしながら俺も立ち上がり、繋いだ三台のビデオデッキとモニターのスイッチを入れてダビングを開始した。
分数はそれほどでもないけど、再生しながらじゃないとコピーできないから、その間どうすればいいんだろうとちょっと戸惑う。俺は何度観たって浩司先輩の雄姿に見惚れてうっとりするだけだからいいんだけど、会長はどうなんだろう。
「あのー、今日は他のメンバーは」
元の席に戻りながら尋ねると、自分の鞄からシナリオ用のファイルを取り出した会長も腰を下ろした。
「ああ、看板や仮装も佳境に入っているらしくてな。皆、自分のクラスにいるんだろう」
くいと中指でフレームの真ん中を押し上げて位置を直し、ぱらりと紙を捲る。
道理で上がってくる時に他の階も騒がしかった筈だ。だとしたら、応援のメンバー以外は大体自分のクラスで仕事をしてるってわけか~。
自分だけ休んでいるみたいで申し訳なくてもぞもぞしていると、「カズ」と優しく呼ばれた。
そういえば、会長には名字以外で名前を呼ばれた記憶がなくて、びっくりして目をまん丸にして見つめてしまった。
「応援は皆がまだ準備もしていないときから練習をしてきたんだ。今くらいのんびりしていても誰も文句をつけたりはしない」
「あ……はい」
心のうちを見透かされたみたいでこそばゆくて、俺は唇を噛んだ。
ふわりと、会長の手の平が頭に載せられる。
「僕も便乗してサボらせてもらっているがな」
くすりと笑みを浮かべて、一人じゃないんだからと言外に匂わせてくれている。
ストレートの真っ直ぐな黒髪の奥からこっちを見つめている細い目は優しそうで。最初の印象で地味とか平凡とか心の中ででも言っちゃってごめんなさいって思った。
手の平がゆっくりと動いて、俺の猫毛をふんわりと撫でてくれる。
中学の頃は、携だけが撫でてくれた頭。最近は色んな人が撫でてくれるけど……やっぱり携が一番好きだ。
でもその一番っていうのを、もう卒業しなくちゃいけない。
そう、思い出すと……じわっと涙が込み上げて来てしまった。
「カズ……?」
会長の瞳が揺れて、手の動きが止まる。一つ間を空けて腰掛けていた体をずらして俺の隣にやってきた。
「すみませんっ、ちょっと最近涙腺脆くて……」
拳で目を隠しながら、机の上に視線を落とす。
「何かあったのか……? いや、先日のこともあるし、嫌なことばかりだろうけどな」
寄り添いながら背中に回された腕の温もりが心地良かった。
今度は擦るように腰の上を撫でられて、詰めていた息をほうっと吐き出した。
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